(24)『お前は私を知らない』
『クラエスの森』全域に分布する無差別空中迎撃植物モンスター『対空砲花』のために空中移動をかなり制限されるこの森において、地下の『碧緑色の水没林』の他にも実質的に隔絶された森林地帯――――北東エリア。
その周囲を小高い崖に囲まれたその場所の入り口に当たる二本の細い道の内のひとつ――――その正面に位置する大木の上にスペルビアはいた。
寝て、いた。
何れにせよ好きな時に寝て好きな時に起きるという破綻した生活を送っているスペルビアにとって、アプリコットに頼まれた任務を受けようが受けまいがその習慣は変わらないのだが、『人が我慢できない欲は食欲なんかじゃない。睡眠欲だ』というある種の真理通り、ここまで来ると筋金入りの睡眠欲である。
ざざっ……!
その時、明らかに風によるものではない不自然な木々のざわめきを感じ取ったスペルビアはぱちりと目を半分開け、もぞもぞと姿勢を変えながら枕代わりにしていた鳥の巣から起き上がって周囲を見回す。
ちなみに、その鳥の巣の本来の主である『百羽百舌』は一匹一匹の力は弱いが百単位の群れでプレイヤーにバードストライク攻撃を仕掛けてくる鳥型モンスターで、実のところこのクラエスの森でも危険視されるモンスター五種の内の一種である。
そしてスペルビアの寝ていたその大木の枝にはその巣が無数に残っているが、これはスペルビアがこの場所を陣地に――もとい寝床に決めた際に襲い掛かってきた巣の数を著しく凌駕する数の百羽百舌のものだ。その直後、それこそ雷が閃くような時間の間にスペルビアの高火力攻撃スキル【轟砲雷落】によって殲滅されているのだが。
閑話休題。
何か――何者かの気配を敏感に感じ取ったスペルビアは、とんとんっと額を指で叩いて意識を覚醒させると、半開きの目のままで静かに周囲の気配を探る。
そしてスペルビアは二の腕に付けられた翼を模した白い腕章を見遣ると、木の幹に立てかけてあった巨鎚【戦禍の鬼哭】を片手で肩に軽々担ぎ上げる。
バチバチッ……!
わざわざ黒く染め直してあるその髪から蒼いスパークが迸った。
「――誰?」
ぼんやりとした目を一方向――その通路の方に向けてスペルビアが呟いた。
その声は普通ならほとんど聞こえないほどの小さなものだったが、スペルビアに対して気を張っていたその相手にはちゃんと聞こえていたようだった。
「……数字を見る限り大したヤツじゃなさそうだな、アンタは」
通路の奥から低い声が聞こえてくる。
スペルビアはその視線をもう一度二の腕の腕章に向ける。
そこに書かれているのは赤い色の『10』という数字。
その数字を見る限りでは声の主の言う通り序列十位――十人のスタッフの中で最弱ということになるのだろう。
普通なら。
通路の方からスペルビアの目の前にゆっくりと姿を現したのは、鋸のようなギザギザの刃を持つ巨大な剛大剣を持つ拳闘竜の男[ヴェレーノ]と、紅色の魔爪を両手に嵌めた霊牙種の女[クライム]。
この“巡り合せの一悶着順争”にギルド≪トキシックバイト≫から参加したギルドリーダーとその補佐役だ。
どちらも一上位ギルドの実力者として名の知れたプレイヤーではあるのだが、ある時期を境にPK――プレイヤーキルを止めたスペルビアは同時に他のプレイヤーへの興味をほとんど失っているため、自分と直接の関わりがないプレイヤーの名を知るはずもない。
「何か用……?」
スペルビアは木の上から飛び降りると、持ち前のぼんやりとした雰囲気全開で二人に近付く。
その驚くほどに無防備な挙動に若干面食らったような顔をした二人だが、その手に持っていた巨大な巨鎚を見て、表情を堅くする。
「いや、用ってほどじゃない。アンタ、本当に例のアレ持ってんのか? あの…………何だったか――」
「――まァた忘れたの? 隠匿の四つ葉、クローザー・クローバーだってばァ」
ヴェレーノが言葉に詰まると、クライムがその大人らしい身体に似合わない甲高い声で助け船を入れる。
「これのこと?」
スペルビアは無造作に着物の袖に手を突っ込むと、銀の四つ葉があしらわれたアクセサリーを取り出し、そしてそれを無警戒に二人の前に差し出して見せる。
「へぇ、これが……ね」
「ねぇ、ちょっとだァけ触ってもいい? 名前を確認したいからァ」
「……いい」
スペルビアはまるで取れるものなら取ってみろとばかりに、二十センチほど手前で人差し指を待機させるクライムに【隠匿の四つ葉】を差し出すと、ヴェレーノとクライムは驚いた様子で、一瞬目を合わせる様な動作をした。
実際のところ、スペルビアは『名前を確認するための物理接触をさせて欲しい』と言われたから差し出したに過ぎないのだが、クライムはおそるおそるといった感じに手を伸ばし、スペルビアの手のひらに乗ったそれに指先で触れる。
そして、ウィンドウが現れたのを確認すると、何か危険物にでも触れていたかのようにぱっと手を引いた。
「――確かにこれみたいだな。サンキュー、嬢ちゃん」
ヴェレーノは今までの不穏な空気を払拭するように歯を見せて笑った。
「……これを取りに来たの?」
「んぁ、いやいや。ソイツを取るのは分不相応だ。んな危ねー代物に手ぇ出しちゃ、うちのギルドの連中に何されるかわっかんねぇしな」
「アタシがその筆頭♪ あれでしょ、お嬢ちゃァん。それ、地雷でしょー?」
「聞いてない」
スペルビアは、【隠匿の四つ葉】を袖の奥に忍ばせたトゲ付き鉄球の鎖に付けたフックに吊るすと、クライムが外していた紅色の魔爪を着け直す一連の動作をぼんやりと眺める。
「んじゃ、野暮用も終わったことだし本題に入るかね、嬢ちゃん――」
目線の高さを合わせるように手を膝に突いて前屈みになったヴェレーノは、スペルビアの半開きの目と視線を重ねた。
「幾つか質問していいか?」
「いい」
「≪シャルフ・フリューゲル≫が何処にあるのか教えられるか?」
「無理」
「こっから先には何かがあるか?」
「無駄」
「後ろの連中は嬢ちゃん一人でヤれるか?」
「無論」
スペルビアと早口のような小声の遣り取りを交わしたヴェレーノは「言うまでもねえか」と呟き、肩を竦めると、
「サンキュー、嬢ちゃん。おし、行くぞ。クライム」
「らじゃァねー♪」
『了解』と『挨拶』を組み合わせたような妙な台詞を残し、先に立って進み始めたヴェレーノを追ってクライムも森の中へ入っていった。
そしてそれから三分ほどぼんやりと立ち尽くしていたスペルビアの背後に、動作音を極力殺して樹上から近付いてきていた人影が飛び降りてきた。
「動かない方がいいぞ、スペルビア。今、俺の仲間が、お前さんの右肩を狙ってる。いつでも弾き飛ばせるからな。腕を吹き飛ばされたことはあるか?」
≪ロードウォーカー≫所属の“首狩人”[天夢]は、魔刃剣をスペルビアの頸動脈に軽く押し当てて脅す。
「【隠匿の四つ葉】を出せ、スペルビア」
「テン、久しぶり」
緊張感のない声で以前会ったことのあるPKPの名を呼んだスペルビアは、もぞもぞと袖の中から銀色のアクセサリーを取り出して、脇の下から差し出されていた天夢の左手にそれを渡す。
それをチラッと確認した天夢はスペルビアの背中をドンと押して転ばせると、最初に飛び降りてきた時に使った細い鉄線を頼りに瞬く間に枝に上る。
「俺がこっちの方が得意なのは、お前もわかってるだろ、スペルビア」
「うん、でもお前は私を知らない。“腕を吹き飛ばされたことはあるか?”」
スペルビアが途中から天夢の声真似をしてさっき言われたばかりの台詞を返すと、天夢の左腕が爆発して、赤々とした血肉が周囲に飛び散った。
その次の瞬間、
「――雷霆精能力、【閃脚万雷】――」
五十メートル離れた木の上で、スナイパーライフルのスコープを通して相方の腕が吹き飛ぶ瞬間を見ていた≪ロードウォーカー≫のGL“遠し矢”[パコ]の体幹を、【戦禍の鬼哭】の高速の一撃が打ち抜いた。
その距離を数秒で詰めたスペルビアの手にあるのは、オブジェクト加工により【隠匿の四つ葉】に似せて精巧に作られた爆弾系アイテム【隠匿の四つ葉】の起爆スイッチだ。
実のところ、スペルビアの腕章に入れられた『10』という数字。割り振ったのは、当然ほぼまともなことをしないことでお馴染み、アプリコットなのだが、この数字が意味しているのは何でもないひとつの事実。
その事実というのは、文字通り――――桁違い。
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“巡り合せの一悶着順争”――
現在の脱落ギルド。
≪ロードウォーカー≫
――タイムリミットまで残り六十八時間三十一分。




