(21)『何も知らない』
「マ、マスターいきなり酷いです~!」
召喚された直後にその御主人様本人に足蹴にされた小柄な少女――ルナ=フェニックスは、稚ない舌ったらずな声を上げながら、その両手を仮名に向かってもがくように伸ばす。
「――煩い、召喚解除」
「え、マスター!? ちょっとマ――」
皆まで言わせずにどろりと型崩れして液状になったルナは、仮名が抱えた群影槍の影の中に吸い込まれるようにして消えていく。
「随分と……あっさりした扱いやな」
「――気を遣わなくても酷い扱いの自覚はあるよ、スリーカーズ」
「あるんかい!」
「――自己評価は正確な性格。でも問題なんか何もない。大体私は、訊かれたことに――お前らの望む通りに答えを返しただけで、ルナと遊ばせる意義も義理も理由もない。それはそうと、それもそうだね。これで会うのは二度目かな、六分の一群隊の次席“レナ=セイリオス”」
仮名がチラッと何処か冷ややかな視線を送ると、名前を呼ばれたレナがぴくりと反応を見せ、そして怪訝そうな表情を浮かべて仮名を見る。
「二度……? なるほど。貴様が我が主の先日の決闘の相手であるか」
今気付いたと言うように笑い、レナは仮名を睨んだ。
「あの際は妙な煙のためにまともな戦いとは凡そ言えぬものであったが、元よりあの鳥頭は我の相手をさせるには力不足であり、故に我が群にとってあれを殲滅する任は役不足である」
「――概ね同意」
自身の召喚獣をフォローするふうもなく、仮名は群影槍をウィンドウの中に仕舞う。
そして不意にカクンと首を傾け、トドロキさんの方に視線を遣った。
トドロキさんが眉を顰めて「なんや」と訊くと、
「――何も」
仮名は急に興味を失ったように天井を振り仰ぎながらそう言った。
「何もないんやったらその挙動はありえへんやろ。何かあるなら遠慮なく言わへんかい」
トドロキさんは若干不機嫌そうにしながらも冷静を装った語調でそう返す。しかし、仮名は面倒くさそうに視線をトドロキさんに戻すと、
「――遠慮が必要になるほどお前と仲良くなった覚えはないし、なりたいと思った覚えもない。嫌われたところで興味がないから、遠慮なんて意味がない。だからほら、お前に関しては私にとって百聞は苦行、一見すれば興味を失う程度の相手」
「ジブンは話に聞いてた通り相当性格悪そうやな?」
「――何処の誰からどんな話を聞いたかは知らないけど、何処の誰かもしれない人間の情報を鵜呑みにするなんて、これだからV-TACの人間は嫌い」
トドロキさんが――そして俺に加えてアンダーヒルさえも息を呑んだ。
V-TACとはVR Technology Anti-cybercrime Committeeを表す俗称――――つまりVR技術犯罪対策委員会のことだ。VRを初めとする技術インフラが社会に普及し始めた頃、その現行法の届かない自由度への懸念が高まった民意により発足した公的組織だが、実際に捜査権を持っていることもあり限定的とはいえ警察に近い。
名目上は国家公安委員会に属してはいるものの、その実態は公安委員会の下位組織というわけではない、というのは有名な噂だった。
それにしても、この仮名の口振り――――まるでトドロキさんを知っているような……?
「ウチを知っとるんか……?」
俺の思考と同期したように、トドロキさんが核心的な質問を投げかける。
「――“知らないよ。何も知らない”、と普段の私なら言うだろうけど、ここでそれを言っても意味はないよね。知ってるには知ってるよ、轟立華。そっちはしっかり忘れてるようだけど、こっちで会うのは初めてだから無理もない――」
やはりアプリコットを髣髴とさせる長々と続く語り調の台詞を淀みなく言い切った仮名は、突然八重歯を覗かせて、ふわぁと欠伸をした。
そして――――ぽふんっ。
「――じゃあ、おやすみ」
突然そう言ってソファに倒れ込み、すーっと静かに息を呼吸をしながら目を閉じる。
「――ってそこまで言っといて寝るんかい!」
「そこまでもどこまでも、私の言葉は私のもの。誰とどれだけ話そうとお前には無関係」
仮名は目を閉じたまま、面倒くさそうにそう答える。
「さっきまで話してた当事者に言うには相当自分勝手な台詞やな……」
「――自分勝手だなんて自分勝手に決めつけないでよ。昨日の朝からずっとアプリコットの相手をさせられてたせいで、こっちは疲れ切ってるんだから」
まさかとは思っていたが、やっぱりほぼ丸一日戦っていたらしい。
仮名はその台詞を最後に頭からブランケットを被って黙り込んでしまう。
しばらく四人で動きのなくなった仮名を見守っていたが、すぐにその中から穏やかな寝息が聞こえるようになって、仕方なくロビー中央のソファに場所を移す。
「なんやアプリコットと話してる気分やったわ……」
「わからなくもないですけどね」
下手すると、同じ厄介かつ気分屋な二人でも、単純なトラブルメーカーのアプリコットよりも性格が悪い仮名の方が、実際に生じる被害は大きいかもしれない。
「せやけど、アイツ≪クレイモア≫に入ったはずやろ?」
早朝から疲れ気味のトドロキさんが、ソファに深く背を預けながら呟くようにそう言った。
「何でこっちに来てるんでしょうね」
レナはともかくとしてずっと思案顔で黙っているアンダーヒルの方を見ながら、何となく言いたいことがわかるトドロキさんの台詞にそう返す。
仮名が≪シャルフ・フリューゲル≫から≪クレイモア≫に移ったというのは、その時点で≪クレイモア≫のギルドハウス内に自室を持つことが可能になったということだ。
≪シャルフ・フリューゲル≫に持っていただろう部屋を使えなくなった以上はNPCの運営している宿屋やソロプレイヤー用の集合住宅に部屋を持つか、ギルドハウスに部屋を作るしかない。
ギルドハウス内なら初期投資も維持費もかからないから、基本的にはこれ一択だ。
彼女の特異性はともかくとして。
「単純に考えれば、アプリコットとの戦闘の直後で互いに余裕がなかった可能性が最も高いでしょうが、アプリコットの場合、イレギュラーの可能性に重きを置いて思考しなければならない傾向が見られるため、何とも言い難いです」
計算と合理性の塊であるアンダーヒルにここまで言わせたか、アプリコット。
「理由は不明ですが、入団直後である彼女が帰っていないとなれば、無用なトラブルに発展する可能性もあります。シイナはクレイモアの数名にその旨をメッセージで伝えておいてください」
「了解」
とはいえギルド包みの付き合いがある≪クレイモア≫でも、俺が実際に親しいのは[Nora]と[パトリシア]の二人ぐらいだが。
「ところでさっきのは本当なんですか、トドロキさん」
「さっきの?」
「V-TACのことです」
「事実ですよ」
トドロキさんが口を開くより早く、何やらウィンドウを開いて作業をしているアンダーヒルの方から端的な肯定が返ってきた。途端、トドロキさんが呆れ顔でアンダーヒルにジト目を向ける。
「お前も知ってたのかよ……」
「アンダーヒルは民間の協力者扱いやね」
すまし顔でトドロキさんのジト目を受け流したアンダーヒルにため息混じりにそう言うと、アンダーヒルからの返答よりも早く、今度はトドロキさんがそう言った。
「職業柄、情報提供する場合もありましたので。それ故の諜報部です」
「今さらそれを拾い直すのかよ。久しぶり過ぎるぞ、それ聞くの」
「DO以降後は解散していましたので、そもそも存在しませんよ」
「実際には≪放浪役≫言う少人数ギルドやってんけどな」
「初めて聞いたぞ、そんなギルド……」
この二人みたいに極力記録を残さないプレイをしてたら、名前を聞くことなんてないと思うが。
ただでさえ上から下まで優に1000以上のギルドが犇くこのFOフロンティアにおいて、一部を除いて消えたり現れたりするギルドの名前を覚えてるヤツなんて――
「……?」
コイツくらいだ。
俺の視線をいち早く察知したものの今回は読唇もとい読心できなかったらしいアンダーヒルは、小さく首を傾げて何を考えているのかよくわからない視線を向けてくる。
「何か用ですか、シイナ」
「いや、何でもない。それよりアプリコットのヤツ、あれで明日のGL会談大丈夫なのか……?」
アンダーヒルの訝しげながらも素直な視線に堪えきれずに話を逸らす。
「彼女ならおそらく大丈夫でしょう。危機対応能力は誰よりも高いですし、何よりこのギルドで【コヴロフ】の威力を実体験したのは彼女だけです」
「その台詞、相当怖いからな?」




