(20)『だけど馬鹿』
GL会談前日――――早朝。
偶然同じタイミングで起きてきたらしいトドロキさんと廊下で鉢合わせた俺は、連れ合ってロビーに出てきていた。
「……何なん、これ」
「トドロキさん、気にしちゃダメです」
「せやなぁ……」
ロビーの中央に向かい合って置かれている三人掛けのソファ。そのソファの、廊下側の入り口からは死角になっていた向こう側に、何故かうつ伏せになったまま動かないアプリコットと仮名が倒れていた。
仮名は四肢を床に投げ出すように倒れているが、アプリコットが手をまっすぐ大腿側部に添えた直立姿勢のままで倒れているせいか、二人とも随分とボロボロになっているのにギャグ喜劇のワンシーンにしか見えない。
どう対応すべきか迷いつつ近い場所にいた仮名に歩み寄ると、その足音に気付いたのか、仮名の髪から突き出している猫耳がピクッと動いた。
そしてのそのそと俺に這い寄ってきたかと思うと、突然俺の足首を掴み、
「翼をください……」
そう言って、再び力尽きた。
「いや、何があったんだよ……」
何気なく振り返ると、ちょうど同じようにトドロキさんの足首を掴み、クタッと力尽きるアプリコットの姿が目に入る。
「トドロキさん、アプリコットは何か言ってませんでした?」
もしかしたらトドロキさんも何か聞いてるかもしれないと思って訊いてみると、トドロキさんは肩を竦めた。
「二十四時間戦えますか、やって。意味はようわからんけど、まさかこの二人、昨日の朝からずっと戦り合っとったわけやないやろな……?」
「え゛……いや、まさかいくらこの二人でもそんなことは……」
一概に否定しきれない辺りは、この二人のミステリアスさ――もとい未だに謎を含んだ部分が多すぎるからだろう。
「シイナ様、スリーカーズ様」
後ろから声を掛けられて振り返ると、メイドの射音がそこに立っていた。その手には、綺麗に畳まれた薄手の毛布を数枚抱えている。
「おはよう、射音」
「おはようございます、シイナ様」
射音は軽く頭を下げると、すたすたと俺たちの方に近づいてくる。
「これ、どないしたん?」
トドロキさんがアプリコットを指差して訊ねると、ブランケットを一度ソファの上に下ろした射音は黙って首を横に振った。そして、徐にロビーの外にあるテラスの方を指差す。
「事情はわかりませんが、先ほどテラスで倒れていましたので、差し当ってハウス内に収容致しました」
「その判断自体は間違ってへんと思うで」
呆れ顔で口元を引き攣らせ、「本人らが間違うとるだけで」と付け足すように呟くトドロキさん。
射音はその間にアプリコットをロビーの壁際にあるアプリコット専用ソファまで運び、そこにある毛布を上にかけて戻ってくる。
「ソファ出した方が早いよな」
仮名も何処かに運ぼうとする射音を制し、メニューウィンドウを開いて操作し、ギルドハウスの管理ウィンドウを呼び出す。ハウス内のインテリアや部屋・施設の増築等はギルドリーダーの俺とハウス管理人の刹那のみが行えるある種の特権だ。
ギルドの備品ストレージから三人掛け用のソファを一階エントランスホールが臨める手すりの近くにオブジェクト化させると、小さな寝息を立てる仮名を寝かせ、射音がさっき運んできたブランケットを上にかけてやる。
「目を覚ますまでは放置しとこう」
「せやな。まぁ、自分からトラブルに首突っ込むほどウチらも暇やないんやけど」
既に存在自体がトラブル扱いされてるぞ、アプリコット。
「シイナ様、スリーカーズ様、食事はいかがでしょうか?」
不動の立ち姿勢でそう訊いてくる射音の目は、目標定まらずといった感じに泳いでいた。
その視線の先を辿ると、ブランケットの端から覗いているすらりと長い仮名の尻尾の先が、ゆらゆらと規則的に動いている。それが気になるのだろう。
「ウチはまだええわ」
事も無げにそう言ったトドロキさんが、自身のお尻の白い狐の尻尾をくるりと回すと、射音の目がチラッと一瞬そっちにも逸れた。
それを目敏く見つけたトドロキさんは、くくっと含み笑いを漏らす。
「俺も後でいい」
「ではご用があればお呼びください」
そう言ってお辞儀をした射音は最後にもう一度仮名の尻尾の先にもう一度目を遣り、すたすたと階段の方に歩いて降りていった。
「トドロキさん、射音で遊ばないでください」
「別にええやん、減るもんやなし。シイナはこっちのがええ?」
くっくっと悪戯っぽい笑みを浮かべて、和装【妖狐皮・九尾】のボリューム感のある胸元を少しはだけてくるトドロキさんから目を逸らし、
「……もう自分ので見飽きましたから、間に合ってます」
「こっちも見んとその台詞は説得力ないで、少年♪」
ホントにこの人は――
「はしたないですよ、スリーカーズ」
「……ッ!?」
突然背後から響いた淡白な声に驚いて、トドロキさんがびくっと尻尾を逆立てて硬直、俺も咄嗟に振り返ってそこにいた黒い人影を視界に捉える。
「あー……あはは、アンダーヒル。今日は何ややたら早うないかー……?」
「そんなことはありませんが」
珍しく責めるような感情の込められたジト目を向けるアンダーヒルが立っていた。
「お、おはよう、アンダーヒル」
気まずい空気を変える目的もあったが、とりあえず挨拶として声をかける。
「おはようございます、シイナ。昨日はお疲れさまでした」
「いや、本番は明日だからここでそれを言うのも何かおかしい気がするけど…………まぁそれはいいか。そっちこそお疲れ」
「ありがとうございます」
アンダーヒルは相変わらずの平坦な口調でそう言うと、仮名の寝ているソファに足音も立てずに歩み寄ると、
「……【言葉語りの魔鏡台】」
いつのまにか懐から取り出していたらしい一辺五十センチほどの小さな正方平面鏡を仮名に向け、即座に本業である情報収集を開始した。
「にしても、話には聞いとったけど、そいつが仮名なんか~。シイナ、ジブンそれと戦ったんやろ? どうやった? やっぱ強いん?」
これを好機と見たのか、アンダーヒルの鏡の邪魔をしない位置から仮名の顔を覗き込んだトドロキさんが、妙なテンションで話を逸らしにかかる。
「まぁ、レベル1000獣人っていうのもあるんでしょうけど、相当強いと思いますよ。独特な戦い方だったから少ししか見てないですが」
アンダーヒルも特別気にしていないようだし、ここはトドロキさんに乗っておくことにする。
しかし改めて考えると、仮名に関してはその独特な――まるで戦っていないかのような戦い方も確かに気になるが、それ以上に気になるものがある。
あの魔槍――【群影槍ランフォスオース】だ。
自分で使っていてもよくわかることだが、【精霊召喚式】同様に魔力の消費が激しいものの凄まじい汎用性を誇る召喚系スキル【魔犬召喚術式】。それに非常によく似た召喚スキル【怪鳥召喚術式】が群影槍に付加されているのだろう。名前の法則性からもそれぐらいはわかる。
ただそうなると、やはり思い当たるのはレナの存在――――つまりは群影刀同様に、戦闘介入型独立NPCを保持しているのかどうか、だ。
「可能性はありますね」
アンダーヒルにそのことを相談すると、そんな答えが返ってきた。
そして「同族がいるんなら、レナが知ってるんとちゃうん?」というトドロキさんの一言で、レナ=セイリオスを召喚することになった。
「――【魔犬召喚術式】、モード『レナ=セイリオス』――」
床の上に黒い水たまりのような闇がどろどろと膨れ上がり、ぐにゃりと変形しながら立て膝で座するレナの――痩せ気味の(自称)男の娘の姿へと変化した。
「ふむ、朝か。して、このような早朝に何用か、我が主よ」
犬歯を覗かせて不敵に笑ったレナは、腰に手を当てて立ち上がる。
「ちょっと聞きたいことがあったからな」
「我の性別か?」
「お前は自称男ダロウガ……」
結局真実どっちなのか未だにわかってないけどな。
「そう激昂するでない、我が主よ。それで聞きたいこととは何であるか」
「あぁ。お前、【群影槍ランフォスオース】って知ってるか?」
「知らん。あんな物は我の感知するところではない」
思いっきり知っているといってくださいましたよ、この堕ちた星狼王。
「知ってるなら話せ、レナ」
「知らんと言うに。我が主は我が信じられないと言うのであるか!?」
「“あんな物は我の感知するところではない”発言の何処にお前を信じるに値する根拠があるんだよ」
「ぐ……」
どうして俺の所有するNPCってこんなんばっかりなんだ……。
「知らないって言ってるんだからそれでいいじゃない……。何なら私が教えてあげるけど」
「「「「……ッ!?」」」」
俺・レナ・トドロキさん・アンダーヒル――――その四人が同時に声のした方を振り向く。
目の前の、ソファを。
そこにはいつのまにか上体を起こして、つまらなそうな目でこちらを見る仮名の姿があった。その膝の上には、巨大な鳥の嘴のような漆黒の槍が鎮座している。
今コイツ……いつ動いた!?
そのソファは――寝ている仮名は直前まで視界の端に入っていた。
ほとんど見ることができなくても、動けばその変化ぐらいは捉えられる位置にあったのに。
平然とはしているが、これにはさすがのアンダーヒルも驚いているようで、さっきより一歩後ずさった位置で警戒するような視線を仮名に向けている。
「そんなに警戒しなくてもいいのに、“物陰の人影”。私は見ての通りお疲れだからね。今から一戦交えても、今さら私に得はない。そんなことよりどんなことより、見せてあげようか。この槍の、統制人格――――【怪鳥召喚術式】、モード『ルナ=フェニックス』」
仮名が語るようにそう呟いた瞬間、さっきレナを召喚した時と同じように黒い水たまりのような闇が床の上に広がった。どろどろと変形して、変化していく。
健康的な肌色に華奢な四肢、小柄な体躯、燃えるような紅髪に蛍光がかった薄い黄緑色の瞳。
姿が固定化されると同時にその肌の表面に白光を纏い、燃えるような紅髪は事実炎に包まれた。
「これが私の戦闘介入型独立NPC――」
「ルナ=フェニックス♪」
「――だけど馬鹿」
ぴょこんと跳ねたその小柄な少女は、瞬く間に振り下ろされた仮名の足に踏みつけられ、為す術も抵抗もないままにべちゃっと床に叩きつけられた。




