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FreiheitOnline‐フライハイトオンライン‐  作者: 立花詩歌
第七章『巡り合せの一悶着順争―集いし力―』
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(17)『噛みつくから』

 刹那がロビーを出ていった後、緊張の糸が切れた俺はため息を()くと、もたれるように手すりに体重を預ける。

 追いかけてやるべきか否か――――それを悩みつつ刹那の謎の態度に頭を抱える。

 サジテールには困ったものだが、あんな悪戯(いたずら)をするようなトコロもある、とわかっただけ良しとしよう。その点は気付かせてくれた刹那に感謝だ。

 そうなると問題事項は今回の刹那だ。

 彼女が何でアレを気にしたのかがわからない以上は追いかけたところで逆効果、釈明が釈明にもならない。理由もわからないのに謝るというのをあの刹那が看過するはずがないし、理由がわからないことを謝るというのもおそらくリスキーだろう。

 ただでさえそういう意味での相性が悪い刹那相手では神経を逆撫でする効果の方が圧倒して高かった。

 逆に理由を問い(ただ)しても、そういう時に限って刹那は言おうとせず、基本的には口ではぐらかされた挙げ句に拳でごまかされる二段構えのパターンだ。

 何かひとつ――――決定的な手掛かりさえあれば刹那という人間のことをもっと理解できそうなものだが、如何(いかん)せん急性不機嫌症候群や理不尽な暴走、今のような態度に共通点が見当たらない。何故か俺にばかり理由が曖昧な言動が多いのも、一応手掛かりのひとつなのだろうか。

 普通に訊ねれば教えてくれる、なんて素直な性格の刹那なんてまったく想像できないが、あの性格だからこその刹那でもあるから素直になってくれと祈ってみるのも個人的には違和感が大きかった。


「アイツもたまに可愛く見える時はあるんだけどなぁ……」


 若干自棄気味にそう呟くと、ほぼ同時に近くでゴソッと物音がして視線を流す。


「……ばれた」


 気がつくと、さっきまでロビー中央のソファ辺りで寝ていたはずのスペルビアが俺の隣に這い寄ってきていた。

 薄桃色の清代の民族衣装チャイニーズ・スタイルの袖が床に広がり、ごろごろしていたからか少しだけ着崩れている胸元からさりげなく目を逸らす。


「何がだよ。というかお前はフェレスか」

「這い寄る昏睡(こんすい)、寝ルラトホテプ?」


 混沌よりむしろ怖かった。


「何か用か?」


 近寄ってきた猫にするような感覚でスペルビアの頭に手を乗せながらそう言うと、


「ん……」


 スペルビアは気分良さげに頬を染め、寝返りを打って仰向けになった。そして普段通りの眠そうな半開きの目で俺を見上げて、にまーっと笑った。

 椎乃とはタイプが違うけど、コイツはコイツでいつも幸せそうだな。

 寝返りを打った時に咄嗟(とっさ)に少し引いていた俺の右手に、スペルビアの袖が伸びてくる。まるで飛んでいる蝶に手を伸ばす子供のような仕草に思わず手を預けると、スペルビアはその手のひらをぴとっと自分の頬にくっつけた。


「んー……」


 何してらっしゃいますか、この子は。

 俺の右手をしっかりと捉えたまま目を閉じたスペルビアは、えへへぇとマタタビを得た猫のように頬を緩める。

 ハッと気が付くと、そんな俺とスペルビアの方を見ながら鉄壁の(ごと)き微笑みを浮かべている人物が一人いた。


「おい、ミスト。何を見てる……?」

「おっと、僕のことはお気になさらず、続きをどうぞ」


 (うなが)すように手のひらを見せながら、白い歯を覗かせて笑いかけてくるのは、ミストことミストルティンだ。


「何の続きかは知らんが、見世物のつもりは更々(さらさら)ないぞ」


 スペルビアから腕を取り返そうと引っ張りつつそう言ってやると、ミストルティンは微笑ましい光景を見ているように笑った。

 スペルビアの緩みきった顔を傍から見ている内はわからないだろうが、普段巨鎚(ギガント)を軽々振るっているほどの馬鹿力で手にしがみついているのだ。

 痛いわけじゃないが、こうも身体の自由が利かないと精神的にクるものがある。


「僕は見ていても楽しいですよ?」

「だから見世物じゃないって。お前、もう≪竜乙女達(ドラグメイデンズ)≫に戻れよ」


 ミストルティンは元々からソロ活動をしていたというだけで実力自体は俺と大差ない。欠けている連携の技術を修得・習熟した今となっては、本当ならもういつ元のギルドに戻っても構わないぐらいだ。

 ちなみに、ミストルティンが他2人の訓練より短い期間で済んだのは何でもそつなくこなす素質のおかげでもあるのだが、それ以上にアルトや詩音は個性の――我の強さがネックになっている。


「二人のことをよろしく頼まれているから、なかなか帰るに帰れないんだ。………………それに帰るとGL(リーダー)に女装させられるんだよね……」


 急にシリアスムードに入ったミストルティンの表情に哀愁が漂う。どうやら向こうのギルドでは相当の苦労人らしい。

 て言うかドナ姉さん、()()と思えば何でもいいのか。


「ミストも来る?」


 こてん、と転がってミストルティンの方に振り返ったスペルビアがアホなことを言い始めたので、取り敢えず柔らかくて摘まみやすい頬をつねって仕置いておく。

 ようやくそこで手が解放された。


「あふぇー……」


 と情けない声をあげるスペルビアに「魅力的な提案だけど、今日のところは遠慮しておくよ」と困ったような笑みを浮かべてミストルティンが返答する。


「おい、()()()()()()()って何だよ、馬鹿ミスト」

「困ったことに女性からのお誘いやお願いはあまり断れない性分でね……」


 本音から困っているのがわかる声色だったが、地味にいい声してるのがイラつく。

 スペルビアもスペルビアで痛みを和らげるように頬をむにむにと(さす)って「またこんど……」とか呟いている。

 色々と大丈夫か、コイツら。


「シイナ、意地悪?」


 ころん、とまた転がって俺の方に振り向いたスペルビアが涙目で見上げてくる。


「意地悪じゃない」

「性悪?」

「それはアプリコットに言え」

「むー」


 唇を尖らせて拗ねるように目を伏せたスペルビアは、八つ当たりか間接的な抗議のつもりか木製の手すりの柱をぺちぺちと手のひらで叩き始めた。


「シイナさんはつれないですね」

「お前はちょっと黙ってようか、ミスト。というかお前、俺が男ってわかってんだからさん付けはやめろよ、気味悪い。せめて(くん)にしろ、君に」

「それもそうですね。それでは――――シイナ君はつれないね」


 鳥肌が立った。


「待て、やっぱ呼び捨てにしろ」


 どうやったら敬称変えただけで不健全度が跳ね上がるんだよ。言い方か、やっぱり言い方が悪いのか。心臓止まるかと思ったぞ。


「親しくなると意外とわがままも言えるタイプなんだね、シイナは」

「気色悪っ!?」


 ようやくわかった。呼び方の問題ではなく、呼ぶ(かた)自体に問題がある。

 ミストルティンは俺が男だって知ってるくせにまだ女扱いをしているのだろう。

 この身体(アバター)になって久しいが、自分がどっちで見られているのか、というのがわかるのだ。最初は誰が知っていて誰が知らないのかということを逐一(ちくいち)覚えていたのだが、俺にも多少の観察眼がついてきたということだろう。


「これは手厳しい。また何か僕に落ち度がありましたか?」

「わざとやってるだろ……。もうお前こっち向くな。とっととどっか行け」


 コイツの相手は色んな意味で疲れる、とこれ見よがしにそっぽを向いて無視を決め込んでやると、それに気が付いたらしいミストルティンは残念とでもいいたげに肩を(すく)め、にこりと微笑みを浮かべる。


「少し私用で出てきますね」


 そう言って(きびす)を返すと、ミストルティンは階段を使ってエントランスホールの方に降りていってしまった。


「……ったく、何なんだアイツ」

「ミスト、シイナ好き?」

「んなわけあるか。あってたまるか」


 如何にも無邪気な調子でそういうことを言わないで欲しい。無邪気というのは裏表がないことで、要するに冗談ではなく本気で訊いていることを意味している。


「俺もアイツも男だからな」

「んぅ……難しい?」


 何処がですか、スペルビアさん。


「でも私はシイナの――」


 言葉が途切れた。

 また話している途中で寝落ちしたかと思って頭にポンと手を置くと、


()()()

「……!?」


 急に鋭く響いた声に驚いて手元を見下ろすと、ぐぐぐっと危なげな挙動で顔を上げ、()()()の目で俺を見上げているスペルビアが視界に映り込む。


「……そっちは久しぶりだな」


 思わず背筋が強張り、口元が引き攣る。

 最近忘れがちだったが、スペルビアの真面目なことをいう時の謎のモードだ。


「シイナ、刹那ちゃんと喧嘩?」


 カッと見開いた目で瞬きひとつせず、俺の心を見通そうとでもしているかのように視線を重ねてくる。


「いきなり話が戻ったな……。まあちょっとしたいつものやつだよ」

「シイナは刹那ちゃんと仲良くしなきゃダメ……シイナは刹那ちゃんと仲良くしなきゃダメ……シイナは刹那ちゃんと仲良くしなきゃダメ……」

「……ッ!?」


 ぐぐぐっと両手を床について上体を持ち上げ、まるで刷り込もうとするかのように同じ言葉を繰り返し囁くスペルビア。

 その口元の病的な笑みには、恐怖すら覚える狂気を感じた。


「わかった? シイナは、刹那ちゃんと仲良くしなきゃダメ。わかったら頷いてわかったら頷いてわからなかったら――」


 ――噛みつくから――


 途端に、右手に激痛が走った。

 スペルビアが、俺の右手に力一杯犬歯を立てている……!

 咄嗟に引き剥がそうと左手でスペルビアの頭を掴むと――――バチッ!

 スペルビアの額からスタンガンのように電流が(ほとばし)り、左手が反射で放してしまう。

 そしてその時、痛みが微かに引き、スペルビアが噛みつくのをやめて上体を起こし、再び俺と視線を重ねた。


「これは刹那ちゃんの痛み」


 最後にわけのわからないことを言ったスペルビアはとろんと眠りに落ちるように、自然と(まぶた)を閉じた。

 直感で、未だに激痛の残る右手を足の横に――――スペルビアから隠す。

 俺がその動作を終わらせた時、スペルビアの目がぱちっと開いた。

 半分だけ。


「口の中噛んじゃった……?」


 いつも通りの何処か無気力で無邪気な声で、口の中に広がっているらしい血の味に首を傾げるスペルビア。

 その様子に、ほっとする。

 すると同時に俺は、右手をさりげなく隠しながら立ち上がった。


「んぅ?」

「ちょっと刹那んとこ行ってくるよ」


 スペルビアに背を向けてロビー奥の扉に向かって歩き出すと、背後から早くも寝息が聞こえてきた。

 さっきのことは……覚えてないみたいだな。よくわからないけど。


(何だったんだ……アレ……?)


 廊下に出た俺は、痛みの和らいできた右手にポーションを直接ぶっかけつつ、そんなことを考えていた。

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