(9)『怖いお姉さん』
『準備はいいよな、アンダーヒル。万一あたしが取り零したらフォローは頼んだ』
「はい。気楽に構えておくこととします」
『さりげなくプレッシャーかけてんじゃねえよ。事故るぞ?』
「少年の無事を祈ります」
とある場所で待機するアルトと音声通信でそんな遣り取りを交わしながら、アンダーヒルは目視計測で読み取った情報を元に、頭の中にギルドハウスの空間構造を形成する。
アンダーヒルが潜むのは、一階エントランスホール階段裏のデッドスペース。
大扉の周辺を障害物なく狙え、なおかつ即座に二階への位置移動が容易な場所だ。
そして構える狙撃銃は、【正式採用弍型・黒朱鷺】。アンダーヒルが【コヴロフ】の次に多用するサブウェポンで、黒色フレームに白のラインが特徴の狙撃銃だ。
(銃口初速九〇一mps。対象の移動予測地点との距離二三・三メートル、誤差プラスマイナス〇・一。室内は無風状態。室温は――)
アンダーヒルの頭の中でいくつものパラメータが浮かび上がり、把握した空間構造図形の中に少年の行動予測とそれに対するアルト及び自身の反応・その際の射撃の弾道が数パターン書き加えられていく。
「それでは扉を開けて気を引いてください、玖音」
『了解です』
三十秒間の時間稼ぎで少年の応対をしていた玖音が通信を切り、大扉の鍵に触れ――――ガチャン。
開錠音が耳に届く。
そして玖音がゆっくりと、等速で大扉を押し開いた。
「お入り下さい」
玖音が恭しくそう言って道を開けると、その向こうに人影が見えた――――瞬間だった。
ヒュンッ。
その人影の背後にもうひとつの人影が飛び降りてきて、訪問者をギルドハウスの中に突き飛ばした。
「えっ?」
少年から、疑問の声が上がる。
『無影』――――【付隠透】と個人の才覚を併用したアンダーヒルのそれほど完全に姿を消すことはできないが、アルトも独学で足音や呼吸を抑え、一般的な隠蔽スキルを使いこなし、衣擦れの少ない特殊な形の装備で二つ名に上げられるほど精度の高い隠密性能を誇る。
その特技を最大利用して二階の窓に潜み、扉を開けて中に入るタイミングを狙って少年を突き飛ばしたのだ。
さらに状況を把握される前に続けて動いたアルトは、倒れ込もうとする少年の背中に飛び乗ってそのまま地面に押さえ込む。
「な、何を……っ!」
突然少年の背中が膨らみ、アルトを押し退けるように黒い翼が開いた。
それを見た瞬間、アンダーヒルは照準器から顔を上げて、少年の姿を再確認する。
(仮面に黒い翼……堕天使系種族の可能性が非常に高いですが、元々単独戦闘には向いていないはず……。ということはやはり――)
「ちッ、大人しくしてろよ。【四面狙枷】!」
アルトが鎖鎌の逆側、分銅の付いた方を少年に向かって投げると、ぐんと加速して伸びた鎖は少年の周囲をぐるぐると囲み、集束する――――寸前で翼を羽搏かせて飛び上がった少年に躱される。
(……仕方ありませんね)
アンダーヒルはガシャッと遊底操作で装填済みだった実弾を排出し、次弾として込めていた特殊弾を薬室に送り込む。
(パターン、E。再装填完了。臨機修正――完了)
バスンッ!
引き金を引く動作から一瞬遅れて銃口から空中の少年に向かって銃弾が飛び出し、銃身全体が反動で跳ねる。
ドシュッ。
着弾直後、その銃創から――少年の右肩に食い込んだ銃弾から黒煙が噴き出す。
「起動」
アンダーヒルの宣言と共に黒煙から飛び出した鎖は、少年の全身に絡みつくとエントランスホールの床に落ちるアルトの影と同化して少年を地に墜とした。
銃手能力【特殊弾職人】。
拳銃・魔弾銃・狙撃銃全ての熟練度が1000になって以降、銃職人の称号を持つNPCに銃弾についての話を振ることで会得できるスキルで、一日に一個、戦闘スキルあるいはユニークスキルを中に込めた特殊弾を作ることができる。
先日、魔弾銃のカンストで条件を満たしたアンダーヒルは、グランからこのスキルを会得したのだ。
今使ったものはその試作一号――――【死獅子の四肢威し】を込めた狙撃用特殊弾だ。
少年が動けなくなったのを確認すると、アンダーヒルは階段の陰から姿を現す。
「影魔種は弱いって聞いてるが、ありゃ嘘だな」
ちなみに影魔種系種族が弱いとされる理由には、物理・特殊攻撃力のステータスが低い割に攻撃能力を持つ種族特有スキルが【影魔の掌握】しかないことに起因しているのも事実なのだが。
「私はまだ種族進化していませんが、上位種になれば然ほど差はないのが実状です。ところで気になっていたのですが、貴女は何故巫精霊のままなのですか?」
「ん? あぁ、いや大した理由じゃねえよ。方向性に迷ってる内に面倒になって放ってあるだけだからな」
上位進化先が複数存在する種族は、進化可能なレベルに達した時点で進化先を選び、いつでも上位進化することができる。
巫精霊の場合は風精霊・水精霊・土精霊・火精霊・雪精霊・雷精霊の六種だ。
「特有スキルが使えないだけで、あたしみたいな戦闘だけならステータスが平均に近い今のがやりやすいんだよ」
「しかしそろそろ上位進化しなければ成長限界に引っ掛かるかと。ちなみにおすすめは雪精霊か雷精霊です」
アンダーヒルは話を切るようにそう言うと、改めて影の鎖に拘束されたままの床に転がされた少年に視線を落とす。
「……っと忘れてたな、コイツのこと」
「私は忘れてはいませんが」
「おい、アンダーヒル。今さりげなく人を忘れっぽい扱いしなかったか」
「特別その意図はありません」
嘘を吐かないアンダーヒル。彼女が否定した以上、その言葉に偽りはない。
アルトは頭痛を抑えるように額に手を添え、アンダーヒルに続いて少年――アキラを見下ろした。
「んで、テメーは何なんだ」
半ばキレ気味にアキラへの尋問を開始する。
「えっと、何なんだと言われてもどう答えればいいのかよくわからないですけど……。とりあえず僕はどうすればこっちの怖いお姉さんに殺されなくても済むですか?」
少年は屈託のない(ように見える)精一杯の笑顔を取り繕い、『怖いお姉さん』と形容されたアルトの怒りの手刀を頭頂部に食らって引っくり返った。




