(8)『片付け』
シイナと仮名の決闘の最中――――ちょうど目を覚ましたリコが主人であるシイナの元に自動転送されたのと時を同じくして、ギルド≪アルカナクラウン≫ではもうひとりが目を覚ましていた。
「ふぁ……」
自室で上半身を起こした体勢のまま、わずかに口を開けて小さなあくびをひとつ。
アンダーヒルである。
あくびに大脳皮質を刺激して一時的に意識を覚醒させる効果があるのはよく知られているが、アンダーヒルはこの効果の不確実な自然動作一回で完全に覚醒する。
目を覚ましたアンダーヒルはベッドを静かに見つめながら、その感触を確かめるように少し手で押してみる。
そして次に――――足が動くかどうかを確かめる。
実のところアンダーヒルは、毎朝毎朝起きる度に人知れず一人でその足が動かなくなる恐怖と戦っていた。頭ではわかっていても、やはり気持ちが追い付かないのだ。
ゆっくりと立ち上がったアンダーヒルは、姿を隠蔽するスキルを持つ黒いローブ【物陰の人影】を羽織ると、部屋を後にした。
二階ロビーに出ると、アンダーヒルはまず眉を顰めた。とはいえ傍から見れば表情に――無表情に然ほどの変化はないのだが。
「何かあったのですか?」
全体的に壁際に寄っている椅子やテーブルやソファを見て、アンダーヒルは誰へとなく質問を投げ掛ける。
その直後、中央付近に疲労困憊の様子で倒れる刹那・シンの二人と、湯呑みを片手にその隣の床に腰を下ろしているリュウを見て、アンダーヒルは大まかな経緯を悟る――もとい推測する。
「見りゃわかんだろ、お前なら。見ての通りそのまんまだよ」
突然隣から聞こえたアルトの声にアンダーヒルが振り向くと、案の定声から判別したアルトその人がカウンターの上に腰掛けていた。
「早朝から刹那とシンの意見の相違が摩擦となって武力衝突に発展し、両名の消耗を確認したリュウが事態収拾のため武力介入に及んだ、ということでしたら概ね理解できます」
その推測がかなり事実に近い辺りは、やはり≪アルカナクラウン≫内で使われる『アンダーヒル・クオリティ』という言葉が全てを表していた。
「いや確かに間違っちゃいねーが、まさかそんな大仰な言い方されるとは思ってもなかったぞ。戦争かよ」
いつも通りの口調で頬を引き攣らせながらそう言ったアルトは、カウンターの上でくるりと身体の向きを変えると、すとんとその中に飛び下りる。
そしてキッチンスペースの棚の上に置いてあった赤い薬缶を手に取り、オブジェクト化した立方体型の容器結晶からその中に水を注ぎ入れる。
「紅茶でいいんだよな? あたしはコーヒーだが」
「ありがとうございます、アルト」
「このぐらい何でもねぇよ。【瞬間沸騰】」
アルトは調理用スキルで即座にお湯を沸騰させると、並行作業で手際よく紅茶とコーヒーの用意を始める。
「クッキングスキルをわざわざ取るなんて珍しいですね、アルト」
「いや、アンタも持ってるだろ、アンダーヒル。いや別に、アンタが取ってるから取ったってわけじゃねーけど。べ、別にいいだろ、趣味みたいなもんだよ」
「誰も悪いとは言っていませんよ」
ちなみに、少し前までアンダーヒルに対して若干敬語を使うようになっていたアルトだが、アンダーヒルが同い年であること等の理由を並べてそれをやめさせたのはつい先日のことである。
アルトがお茶の用意をしている間に再びロビーの現状を再確認したアンダーヒルは暫し思案すると、
「【盲目にして無貌のもの】」
アンダーヒルの差し出した手の中に、奇怪な生命体の彫刻が施された金属製の小箱が現れる。
アンダーヒルが蝶番で取りつけられた蓋を徐に開くと、金属の帯と七つの支柱で箱の中に吊るされていた赤い筋入りの黒色多面結晶が妖しい光を放った。
「フェレス」
アンダーヒルが名を呼び、そして箱の蓋を閉じると、蓋の隙間からガスのような不定形の闇が溢れ出してくる。
「相変わらず気味悪い光景だな、それ」
アルトがその様子を一瞥して、躊躇いなく毒を吐く。
箱から流れ出した闇は床にまで溢れ落ち、アンダーヒルの足元を黒々とした靄で覆っていく。
そして次の瞬間――――ずるり……。
闇の中から生え出るように、暗緑色の腕が飛び出した。びくびくん、と危なげな挙動で震えたその腕はやがてぐにゃりと曲がって床に手を突き、その闇の中から這い出るように本体を引っ張り上げる。
「ヤァ、御主人。今度は我に何用カナ?」
アンダーヒルの召喚獣で触手ツインテールと暗緑色の身体が特徴的な、フェレスことニャルラトホテプだ。
「片付けを手伝ってください」
「何ダ、そんなことなら我に任せておけばイイ。その程度で主人の手を煩わせるナンテ、あの黒いのに笑われそうじゃナイカ」
フェレスはアンダーヒルを押し留めると、足元に転がっていた一人掛け用の椅子を左ツインテール――触手で掬うように弾き飛ばす。
まるで鞭のような高速の一撃で宙に舞い上がった椅子は空中でギュルンと数回転し、正位置でアンダーヒルの前に落下した。
「座ってれば後は勝手にやるサ」
そう言って腰を折り、アンダーヒルに着席を促したフェレスはその場でくるりと反転し、ロビーの方に向き直る。
「イザ」
両腕に螺旋状に走る白い筋のような部分から開き、無数の触手に分かれて回転しながら解けていく。
そして二の腕まで解けた瞬間、一本一本が部屋の四方八方に向かって瞬く間に伸びて広がっていく。
「ほらよ、アンダーヒル。うぉ……」
「ありがとうございます」
アンダーヒルの前のカウンターテーブルに紅茶を置いたアルトが、フェレスの片付けを見て、一歩後退る。
ロビーの三次元空間を黒味がかった緑色の触手が目まぐるしく縦横無尽に駆け巡り、椅子やテーブル、ソファを元の場所に戻していき、ことのついでとばかりにまだ動けない様子の刹那とシンを置き直したソファに放り出している。
そしてアンダーヒルがアルトの入れた紅茶を一口啜った時だった。
ピンポーン……。
突然、エントランスホールからロビーにかけて、訪問を告げるチャイムが響いた。
「こんな朝早くから誰だ……?」
「私が出ましょう」
アンダーヒルは射音に繋がっていた外部音声を自分に切り替え、同時に【言葉語りの魔鏡台】の正面監視用鏡の画像を呼び出す。
「……?」
アンダーヒルは、鏡に映っていた白黒基調の少年(?)を見て、首を傾げた。
「この辺りでは見ない顔ですね……」
「少なくともこの辺の連中ならここに直で来るやつはいないはずだからな……」
「はい、通達は済んでいるので、≪クレイモア≫に向かうはずです」
アンダーヒルとアルトは、二人で顔を見合わせる。
「あたしが前に出るから、後方は任せたぞ、アンダーヒル」
「了解しました」
「こっちもこっちで片付けになるかもな」
そう言ったアルトの袖の中からはジャラッと鎖鎌が床に落ち、アンダーヒルの【コヴロフ】がガジャコッとボルトアクション操作音を響かせた。
「ン?」
微かに殺気立つ二人に気づいたフェレスは振り返りはしたものの、すぐに何事もなかったかのように片付けを再開した。




