(7)『悪くない』
「どうして貴女がソレを――【幻刀・小夜】を持ってるのっ……?」
「これを見て、まだ女を装う余裕を装うのは、余程馬鹿なのかそれとも私が舐められてるのか……」
チロ、と舌をわずかに覗かせて笑った仮名は、トン……トン……っとステップを踏むように後ろに下がり、またも無防備にウィンドウを触り始める。
舐められてる、とか――――それは完全にこっちの台詞だろ。
(ちっくしょ……ッ……)
【群影刀バスカーヴィル】を握り直し、半ば自棄気味に前に足を踏み出す。
(幻刀が相手なら、群影刀じゃ力負けするか……。今のアイツは群影槍を装備してないから、すぐにまたレナを呼んでやれば――)
とその時、思考が停止した。
視界の端に、自分の魔力表示のゲージバーが映ったからだ――――もとい映らなかったからだ。
(MPが……!?)
「何だ……。今気づいたの? マヌケ」
くすっ。
と、仮名はウィンドウを操作しながらこっちを一瞥向けて笑む。
何かを企んでいる顔――――と何の遜色もなく形容できる悪戯っぽい黒い笑みに、思わず怯んでしまった俺の足が止まる。
「お前、何した……?」
何とかそれだけ問い返す。
アプリコットに似ている――――と、ついさっきそんな感想を抱いたものだが、否それは違っていた。アプリコットには似ていない。似て非なるもの、でなく似ず近いものだ。
俺のもっとも身近にいる、かつもっとも最上位に位置する変人アプリコットは、何かを企んでいる時こそ普段通りに振る舞い、特別何も考えていない時こそ怪しく――危うく、裏があるように振る舞う。
しかし、仮名はある程度隠すようにはしているものの、おそらく裏表がない性格なのだ。まさか、『裏表がない』なんて言葉をこんな捻じ曲がった状況で使うとは思わなかったが、ある種ぴったりと言えなくもない辺りが恐ろしい。
「何をも何も、何物も何でもないよ」
それだけじゃない。
アプリコットは確かに、まるで遊んでいるかのように戦いを楽しんでいる。が故に勝つこともあれば負けることもあり、相手からしても捉えようによってはその戦いを楽しむことができる。
しかし、仮名は戦っている時ほど鋭い敵意のようなものがほとんど感じられない。決闘という明白な争点が提示されている今ですらまるで無関係の一般人を巻き込んでいるような気分になり、思わず攻撃の手が手控える。が故に戦っているように思えず、勝ち負けがまったく想像できない。
(コイツ、戦いにくい……!)
とにかく今の最優先は、あのスキルを使われる前に間合いに入ること――――と即座に思考を切り替え、即座に群影刀を振るって仮名に向かって右手を突き出した。
ギャリィィィィッ……!
金属同士がぶつかり合う衝撃が手から全身を駆け巡り、不快な金属音が耳に障る。
「そんなに逸らなくても、今時スキル戦闘なんて流行らない――」
さっきからスキルと体術しか使ってないお前に言われたくはない。
群影刀の一撃を幻刀の刀身に滑らせるようにして鍔で受け止めた仮名は、即座に幻刀を持つ手首を返し、わずかに身体の軸をズラした。
俺の攻撃の勢いを利用してバランスを崩そうとしているのだ。回転扉のように、力を加えられた部分を引き戻すことで。
ただ、上位プレイヤーにとってこの戦法は極めてオーソドックスなものであり、逆を言えば上位プレイヤーの大半はこの戦法の対抗手段を何らかの形で用意している。
俺の場合は身体を捻り、肩を使って逆に押し込む。回転扉の――身体の軸の方に。
もちろん無茶な駆動でバランスを崩してしまうのは変わらずだが、一方的に崩されるより退く時に隙を見せるより、むしろ効果的な戦法だった。
しかし、仮名は一筋縄ではいかないことを忘れていた。
「――スキル封じはお前だけのモノじゃないってことだよ、“無効化能力者”」
ぎょっとする。
そして一瞬気を取られ、その一瞬で全てが入れ替わった。つまり逆に回転扉の軸が傾き、倒れてくる。俺がやろうとしたことをそっくりそのまま返されたのだ。
どん……。
押し倒され、路面に敷き詰められたタイルの感触が背中に伝わってくる。そして逆に腹には柔らかな衝撃が――。
「実際使い勝手は良過ぎるくらい、私好みで私殺し。【再生負荷能】は相手がスキルを使った時に残MPを全損させる、お前の【0】と同じ最上位スキル」
「ッ!?」
正体だけじゃなく、【0】のことまで知っている辺りもツッコミどころだが、今の俺にそれを言及する余裕はなかった。
(残MPを全損させるッ……!?)
汎用性が高いとか、そんなレベルの話じゃない。【0】と同じとか言っていたが、ユニークスキルを消滅させるオプション付きのスキル無効化スキルなんて、足元にも及ばない万能具合だ。
スキルも魔法も、聖剣や魔刀の魔力強化も、マイナーな話になると超人種系種族の超能力も、つまりは物理戦闘を除いた戦闘内訳のほぼ全てを占めるこれらの行動は、基本的に魔力消費によって行使するもの。
MPを全損させるということは、最大級の――災害級の行動阻害をこの上なく直接的に意味している。
言ってしまえば、火狩の使っていた【零】以上に実在自体を疑う次元のスキルだった。
「相手を潰す、戦いの中それ以外の余計なことを考えると潰される――――ヤられる前にヤり返せ」
俺の上に馬乗りになった仮名は、幻刀の白刃を縦にして、今にも刺そうとするかのように振り上げる。
これは、マズい。
と一刺しくらいは覚悟したものの、仮名はその体勢のまま動く様子もなく、ただジッと俺を見下ろしていた――。
「ちッ」
――かと思うと、突然舌打ち。
幻刀を開きっぱなしのウィンドウに放り込む。そして急に穏やかな目付きになったかと思うと、伏せるように俺に身体を寄せてきて――
「じっとしてて……シイナ」
息がかかるような距離で囁かれ、ぎくりと身体が強張る。
「――それが隙」
突如、右腕に痛みが走った。
思わず群影刀を手放して腕を跳ね上げながら見ると、右の二の腕に仮名が噛みついていた。
「痛抱き――――もとい頂き」
パッと跳躍で俺から離れた仮名は、まるで曲芸のように地面に腕を衝いて宙を舞い、数メートル先にスタンと降り立つ。
その右手には――――漆黒の太刀。
(洒落になんねーッ……)
心中悶える。
さすがにこれじゃパティのことを笑えない――――と思った時、その当人の姿を視界に捉えてようやく気付く。
白煙の霧がいつのまにかほとんど晴れていた。
だから自前の武器である幻刀を隠しつつ、俺の群影刀を奪い取ってから離れたのだ。
「うわー、シイナもダメー!? やっぱり簡単に武器取られちゃうよね! ねっ!」
「パティ、お願いだからそれ以上傷口抉らないで……」
パティに空気を読んでなんて無茶は言わないから、せめて静かにしてて――――と言いかけた事実は秘密だ。
さっきと同じように肩に担ぐように群影刀を構えた仮名は静かな目で俺を見据えながら、とん、とん、とタイミングを図るように足を踏み鳴らしている。
パティが降参したのも頷ける。こんなに敵対を躊躇いたくなる相手は、そうそういるはずもない。
それが嫌悪の極致が表面化したものならもっとマシな展開になったのだろうが、何というか好奇心を駆り立てられるような感覚だ。全体的なプラスマイナスで言えば、プラスの方に近い感情だが。
「いい刀。どうせならこれも欲しいとこだけど……お前のだから仕方ない」
そう言って、仮名は群影刀を左に投げ捨てる。
ガランと音を立てて、路面に落ちる黒い太刀。普段なら特別気にすることもないその動きに、何故か目が泳いだ。
「性懲りもない」
ヒュッ……。
仮名は、操作していたメニューウィンドウから上方に放り出されるように飛び出した小物体を空中で横薙ぎに振るった左手でキャッチすると、
「【煙天下】」
三度目の煙幕。【闇然地帯】を使ってこないのは正直ありがたいが、だからこそ不気味でもある。
そしてよく考えると、【0】はユニークスキル以外のスキルはノーコストで無効化できることを今さらながら思い出したのだが、しかしこの時も俺の思考能力は別の事柄に占められていた。
直前に視界に捉えていた仮名の左手に握られたモノに空気が凍りつく。
少なくとも俺はそう感じた。
(【夜心の相曲銃】もか……)
頭痛がしてくる。
銃身のフレームの輪郭がわずかに湾曲して、銃口付近が少しだけ細くなった独特の形をした白色外装の魔弾銃だ。
というか今さらだが、本当に自分の武器や戦い方を隠すためだけに【煙天下】等目隠しスキルを使ってるのか……?
目の前に、仮名の姿がぼんやりと浮かび上がる。
右手に再び【幻刀】、左手には【相曲銃】。
入団試験決闘、多くのギルドが、半ば形式的に定めてあるだけの入団資格を問う決闘において――――まったく想定外の災厄。
まさかまた見ることになるとは思わなかった。昔、自分で使っておいて今さらだとは思うが、もはや強いとかそういう次元で捉えられない常識破りの伝説級武器の組み合わせだ。
ここまで来ると、もはやスキルを使われない内に、なんて話じゃない。
群影刀も奪い捨てられ、ある意味【災厄の対剣】以上に強力な付加スキルを持つ武器を相手にどうやって勝てと?
「小夜曲と夜想曲の一刀一銃併用式。もう止まらないのは、まだ覚えてる?」
「もちろん……。それにしても、随分とお気に入りみたいね、それ」
「それこそもちろん。【戦慄的短音怪】、【静弱の叙浄詩】」
使いやがった。
「……この有様の私に手加減する気はないってことね」
「手加減は強者の証。私は強くないから…………正当防衛で勝ちにいく」
何に勝つ気だ。
心中の突っ込みと裏腹に、あまりに厳しい状況に喉を鳴らす。二つあるうちの一方とはいえ武器を奪われ、しかも相手は本気モード。分が悪いという状況を通り越して、もはや閉幕が見えてきている。
「もうわかってるんでしょ――――ここから先は見えた」
読まれてる。でも、相手も逆転の可能性を否定できていない。だからこその揺さぶりだ。
左手に持つ【大罪魔銃レヴィアタン】を利き手に持ち替える。隙を見て手持ちのナイフか狙撃銃を出せれば最善だ。しかし、相手は稀代の変人じゃない。ただで武器を出させてくれるほど、お人好しではないはずだ。
それなら、何とか気を逸らして武器を出す。
ダメで元々、隙を作らないようにさえ気をつければ損のない選択だ。
「さあね。英雄譚なら、ここからの逆転こそむしろ典型でしょ」
「……そう。じゃあ、見せて貰おうかな。その英雄譚とやらを」
そう言うと同時に、仮名は面白がる様に手の中で拳銃を弄んだ。
それは一瞬の挙動。ほんのコンマ一秒の所作だった。でも、その一瞬の油断を見逃してやれるほど、俺は素人でも人が良くもない。
そう判断し、素早くウィンドウを操作しようとした手が止まった。
一瞬の判断――――相手を見る暇もなかった。
「……ッ!」
耳元を掠める風切り音。
太刀の切っ先が掠めたのだと気がつくより先に、足元を乾いた音が横切った。
「よく避けました」
攻撃してきた相手の驚いたような、からかいの台詞に、向き直って構える。乾いた音は仮名の拳銃が床を転がった音だった。
武器の放棄を代価にした奇襲攻撃。武器を不用意に扱うことで油断を演じ、相手の隙を誘う。そんな行動後の保険を考えない無茶を仮名はやってのけた。
(マズい……。相も変わらず相当マズい……)
相手は油断の中にブラフを混ぜてきている。隙をつけない以上、戦いは実力勝負になってくる。思った以上に追い詰められていた。背中が凍えるような感覚に襲われる。
相手も何故か動かないが、とてもこちらが動ける状況ではない。
膠着状態が出来上がっていた。しかし、おそらくはこの程度の均衡は仮名の想定通り――――想定の範疇。いつでも崩せるのだろう。
まさか今さらになってこんな感想を覚えるとは思ってもみなかった。
(実力が違い過ぎる……)
人気のない早朝のトゥルム大通りに蛍光緑の立体レイヤーの格子線が浮かび上がり、着色と実体化を経てひとつのアバターとして完成した。
[ん……?」
緊張感の無い疑問色の声がその場に響いた。
その場に立つワンピース調の寝巻きのリコは俺の方に視線を向けると、続いて仮名の方に同じような視線を向ける。
そしてもう一度ずつ、二人の間を視線が泳ぎ――――。
「また敵か、シイナ。こんな早朝から寝首をかきに来るとはよくよく卑怯な奴らだな、≪道化の王冠≫!」
仮名に人差し指を向けて、何処か納得した風にそう言った。
確かにお前だけは卑怯な手段を使えないくらい頭がちょっとアレだけど、それをお前が言うなよ、元≪道化の王冠≫。というか、仮名が≪道化の王冠≫だったら、何で元メンバーのお前が気付かないんだよ、おかしいだろ。
「戦闘介入型NPC……お前がリコか。電子仕掛けの永久乙女」
「む? 貴様、私のことを知っているのか?」
「……えっと、リコ? 今、私は決闘中なのだけれど?」
これ以上身内の恥を晒すわけにはと思わず自分に助け舟を出す。
「決闘? しかし、これは……ふむ、なるほど」
たぶん何もわかっていないだろうが、これはしたりという顔になるリコ。
「ちょうどいい。NPC所有ならそのアンドロイドもお前の腕だし――――ヤる?」
この戦闘狂にそんなこと言わないで下さい、仮名さん。
右手に輻射振動破殻攻撃の赤い光を纏わせながら、リコは急に鋭くなった眼光で仮名を睨みつける――――が、その口元は笑むように歪んでいた。
「貴様、私に勝てると思うのか?」
「お前の実力がシイナより劣れば確実に勝てる」
「それは安心しろ。無論、実力は私の方が上だ」
「お前は自分より強いNPCを飼ってるの……?」
リコの自信たっぷりの声と仮名の憐れむような声が耳に痛い。
しかし問題はこの戦闘狂――――決闘なんて縛りで括られようが、自分より強い相手が大好きなちょっと困った性格の持ち主である。
しかも、今のリコは――――決闘のルールに縛られていない。
「えっと……降参するよ」
「なんと、シイナ!?」
俺が負けを宣言したことより目の前の仮名と戦う機会を逸したことの方が悲しい、という感情がひしひしと伝わってくるリコの悲痛な声に、耳を閉ざす。
この子、後でどうしてやろうか。とりあえず俺に対する認識は改めさせるとして。
「いいの……? 私が≪クレイモア≫に入って……」
仮名は幻刀と相曲銃をウィンドウに放り込みながら、何故か少し気弱な調子でそう言う。
「正直、ここからじゃ、勝てる気しないし。たぶん、これが最善でしょ」
それと視界の外から聞こえてくるパティのつまらなそうな声も無視しておこう。
「次は、勝てる……って?」
少し見下したような――そしてわざと確かめるような言い方をする仮名から群影刀を受け取って鞘に収めると、俺は「んー」と勿体つけるように言って、
「ま、負けは負けだね。次やっても勝てるかはわからないよ――――でも、負けない」
「――悪くない」
急に口調を変えてそう言った仮名は、油断したとばかりにそっと口に手を遣った。
白煙霧の晴れた早朝の路上――。
「これからよろしくね、仮名ちゃん♪」
「――パトリシア、ちゃん付けをやめたら入団する」
≪クレイモア≫に、ギルメンが増えた――――と言っていいのかどうかは疑問だが。




