(5)『勝てと?』
「パティ!?」
突然視界を埋め尽くした白く明らむ煙幕に、まだ決闘に参加していない俺も咄嗟にギルドハウスの大扉前から離れて、煙幕の端から外に飛び出す。
次の瞬間、煙幕の中からメイド服姿の背中が飛び出してきた。パティが、バックステップで大きく後退して抜けたのだ。
「初っ端から煙天下だなんて、相当キてるよねー」
今や、≪クレイモア≫ギルドハウスの前の通りまでを覆い尽くした白煙を見ながら、パティが少し引き気味に呟く。
本来、逃走用に用いる煙幕スキル【煙天下】。
目眩ましという点では優秀なのだが、相当近くにいないと敵影すら判別できなくなるこの煙幕は、やはり一定範囲内で行われるのが通例の決闘で使われることはほとんど――もとい、まずない。
視界を塞がれるというのは、敵にとっても辛くなるが、自分にとっても厳しい戦いになるはずなのだ。
「――ってパティ、どうしたの!?」
思わず大声を上げる。
「うん、ちょっとね。取られちゃった」
パティがあまりにも自然体だったから一瞬気付くのが遅れたが、彼女の手に直前まで握られていたはずの装飾の少ない両手剣【聖王近衛剣クレイモア・ハウル】の姿はなかった。
しかも、よく見ると体力も少し減っている。
(音なんてしたか……!?)
プレイヤー同士が接触すれば、金属音や足音などそれなりに音で判断できる。
咄嗟の回避行動を取っていたとはいえ、それを聞き逃さないようにするのは長年(というほど長くもないが)身体に染み付いた習慣のようなものだ。
それを聞き漏らすなんて、相当狼狽えてたみたいだな。
「あの子、強いと言うよりは面倒かもね」
即座にもう一本の聖王近衛剣を取り出したパティが、ため息混じりにそんな感想を漏らす。
概ね同意見。
アプリコットもそうだが、このテの連中はまず予測できない行動が多い。儚の基本的な戦法ではないが、大多数のプレイヤーは有効戦術を取ろうとする。
それはある程度共通する部分もあり、その結果として相手の動きを読むことに繋がるわけだが、アプリコット辺りはそれが有効かどうかを無視――――つまり効率を度外視して意表を衝いてくる。
現に今対峙している相手――[仮名]が、次にどういう動きに出るかまったく予想できていなかった。
「っ!」
パティが身構える。
白煙の中に人影が浮かび上がり、その輪郭はすぐに鮮明になっていく。
煙幕の中から歩み出てきた仮名は、パティから奪ったらしい聖王近衛剣を肩に担ぐような構え方で右手に携えていた。
頭の上の猫耳がピクッと動き、ピンと立ったウサギ耳が仮名の歩調に合わせてゆらゆらと揺れる。
その立ち居姿は、何処か不気味な雰囲気を纏っていた。
「ようやく出てき――」
「白黒単彩、【闇然地帯】」
――視界が、暗転する。
(ま……った、かよっ……!)
【闇然地帯】は自分の周囲に黒い霧のように暗闇を停滞させて、視界を遮る戦闘スキルだ。
フィールドで使うと、直接接触以外でモンスターとの戦闘が起きないため、モンスターから潜伏するために用いられるのだが、プレイヤー同士では視界を遮る以外に特別な効果はない。
つまり仮名はこのスキルを、対峙する相手――パティの視界を塞ぐために使っている……!
キュッと、地面のタイルを靴底で擦る音が聞こえる。
この音は、パティのモノじゃない。仮名の――しかも、短く響くような高い音は動いている足音だ。
(なんてヤツだよ……)
仮名は今のところ、戦い方も自分の武器さえも俺たちに見せることなく、使っているスキルもごく一般的なものふたつ。それだけでパティを翻弄し、次の相手である俺にも手の内を曝さないように動いている。
強くはないが面倒。
実質、これ以上に大多数のプレイヤーが苦手とする相手はいない。
(アプリコットは強くて面倒だから厄介なんだけどな……)
などと考えながら、半球状に広がった直径二十メートルほどの黒い霧から抜ける。
この黒い遮光霧の効果時間は一回につき一分間。それを過ぎると、黒い霧はゆっくりと消え始め視界も明瞭になってくる。
ギンッ、ギィッ……!
暗闇の中から、金属同士が打ち合う音が聞こえ響いてくる。
さっきの白煙霧以上に視界を遮る黒闇霧は、一センチ先ですら見ることができない掛け値なしの真っ暗闇。
「そんな中で戦えるのかよ……」
若干小細工っぽいが、少なくともあの仮名という女の子が生半可な実力じゃないことは確かだ。
絶対的な数値上の強さはともかくとして、実戦慣れしてる。
とにかく少しでも仮名の手の内を確認しておいた方が良さそうだな、などと思ったその瞬間、ドガッと暗闇の中で衝撃音が響き――――ズザザッ!
強い一撃で押し込まれたらしいパティが半球状の暗闇領域から吹き飛ばされてきて、何とか受け身を取って立ち上がった。
「ハァッ……ハァッ……」
相当ハードだったのか、パティは早くも息が上がっていた。
暗闇という強制的に緊張を強いられる状況も影響が大きいだろうが、中での一方的な展開を疑うほどの消耗ぶりだった。
(……ッ!?)
その体力が、半分ほどまで減少していた。パーティを組んでいるわけではないから、直接頭上のゲージバーを確認しないとわからないのだ。
しかも、また聖王近衛剣を手に持っていない。それどころか、腿の帯銃帯にかけてあったショットガンもなくなっている。
その時、効果時間が切れたのか黒霧がゆっくりと消え始めた。
「これはマズいねっ。【伝播障害】!」
仮名の次の一手に備え、パティは周囲にバリアを展開した――
「まぁ……お試しは自由」
――途端に暗闇の中から仮名の声が聞こえ、白い手が端から現れた。
何もないところから腕が現れたように見えて思わずぎょっとした瞬間、その手に乗っているモノに戦慄する。
ポロッとその掌から黒っぽい円柱状の物体が地面に落ちて、カランと乾いた音を立て――――カッ!
視界が、白転した。
閃光が瞬き、受光許容量を超えた目はしばらくの間視覚を失う。
閃光炸薬弾――――フラッシュ・グレネードだ。
「嫌がらせッ!?」
三連続で視界を奪われたパティから、全面同意の焦ったような声が上がる。
しかも仮名の奴、自分は眼が光を遮る黒い霧の中にある時を狙って使っている。
まさに、独壇場だった。
カッ、シャァァァァン……!
ガラスの割れるような音が響き渡る。
(この短時間で、伝播障害を抜かれたのか……!?)
「【足蹄不能】」
ドサッ。
仮名の声に続いて、何かが倒れた音がする。
「【針丘地療】」
ドスッ、ドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスッ――――。
サジテールの金属矢射出器で聞き慣れた、無数の細い杭――金属矢が打ち込まれる音が断続的に聞こえてくる。
一瞬、本気で焦ったが、【針丘地療】は倒れた敵の衣服に無数の針を打ち込んで、相手の動きを封じる戦闘スキル。手に入りにくいが、使いこなせれば強力なスキルだ。倒れた時に受け身を取られて少しでも体勢を持ち直されると不発になる弱点もあるのだが。
「もう……いい?」
ぼんやりと戻ってきた視界の向こうから、仮名の声が聞こえてくる。
輪郭はかなりぼやけているが、色彩から、倒れたパティを見下ろして、仮名が立っているのが判別できた。
ガシャン、ガシャンッ。
「ッ!?」
両肩に担ぐように両手に携えていた双振りの聖王近衛剣を地面に投げ捨てた仮名は、適当に背中に吊っていたらしいショットガンを、パティの方に――顔に、向ける。
「う~ん……まぁ、釈然としないけど仕方ないよね。諦めるよ――」
「いい判断」
「――服」
ブチブチブチィッ。
おい、待て。
本来ならその体勢から抜けることは人間の構造上不可能――――なはずなのに、ステータスという数値に裏打ちされたこの世界では、腕力その他の値によっては可能になるようだ。
「いやはや、びっくりはしたけどまだまだ楽しくなりそうだよねぇ」
服が所々引き裂け、半ば半裸になったパティがバック転で仮名から大きく距離を取る。
「驚いたのはこっち。もう少し遊ぼうか、パトリシア」
「いや、私はもういいや♪ これだけ戦えれば充分だし。それより私はシイナと仮名の決闘見たいかなー。これで仮名がウチに入ればいくらでも戦れるでしょ~」
ギラン、とパティの目が妖しく光る。
「了承。それじゃあ、戦ろうか、シイナ――――≪アルカナクラウン≫」
「シイナ、手加減は禁止ね~」
――勝てと?




