(1)『裏の裏』
一人の少年が街道を歩いていた。
少年、とは言うものの一見すると少女のようにも見える。華奢な体躯に極めて中性的な顔立ちは、何とも言えない不思議な雰囲気を醸し出していた。
街中の背景色に溶け込んでしまいそうな白髪に色白の肌。
動きやすいようお腹や肩が大きく開いた白黒基調の軽量プロテクターも相俟って全体が無彩色ばかりのその少年は、唯一有彩色の赤い瞳で道の両端に立ち並ぶ露店に興味深げな視線を送りながらも、足を止めることなく通り過ぎていく。
「あまり先に行ったらダメだよ、アキラくん。私が見失っちゃうじゃない?」
少年は背後から聞こえてきたお姉さん調の声にくるりと振り返る。
声の持ち主は少年の後ろ二メートルの位置――保護者の距離を保って歩く少女だ。
「あ、ごめんなさいです。僕、この街に来るの初めてだったので」
そう言って屈託のない笑みを浮かべた少年――[アキラ]は再びくるりと進行方向に向き直って、心なしかさっきよりもゆっくりと歩き始める。
「それにしたってそれほど興味を惹かれるものかな。今まで君がいたところでもさほど変わらないと思うけど」
「全然違うです。雰囲気も場所も形も、何より人が違うです。僕はそれだけで十分……あっ、あの娘可愛い」
話している途中だというのに露店の売り子の女の子に気を取られ、今にも声をかけようとするアキラを、フードの下から発した殺気に満ちた視線で制止する少女。
周囲のプレイヤー全員が身構えるほどの強烈な加害の気配に、普段から喋り方に似合う気楽な性格のアキラでさえも苦笑しながら振り返り、背後の少女に視線を戻す。
突然発せられた緊迫した気配がその少女に因るモノだとは気付かずにざわめく周囲の通行人の中で、立ち止まった二人は互いに視線を重ね合う。
「やっぱりその性格は直した方がいいと思うよ、アキラくん」
「性格についてはカナさんに言われたくないです。僕はまだマシな方だと思うです」
「私のことは放っといていいのっ」
少し弾んだような、拗ねた語調でそう言い返す少女――[仮名]は、タッタッと小さな歩幅で少年に追い付くと、今度は二人並んで歩き始める。
「それよりホントに行くの? ついてくるまでは仕方ないとして、私はあんまり気乗りしないんだけどさ」
仮名はフードの下から、少し不安げな声でアキラにそう言う。
「どうしてです? カナさんなら何処でも入れてくれると思うです」
「私は表舞台ってガラじゃないんだよね。それに表の裏は彼女の担当だって相場も設定も決まってるし」
「彼女?」
きょとんとした表情で首を傾げるアキラに一瞥投げ遣りな視線を向けた仮名は、すぐにその視線を路面に落とすと、
「序列第二位のアプリコットだよ」
徐にフードの先を摘まんで、ただでさえフードの翳りで周囲からは見えていない伏し目をさらに隠すように、くいっと引き下げた。
「えっと、確かカナさんの所属ギルドのリーダーの人です?」
ランキングのシステム自体を気にしたこともないアキラは、記憶を辿ってその名前を思い出す。
「リーダーというよりはミスリーダーね。私はやりたくなかったから、彼女に全部押し付けた。私に似ても懐かない、優秀過ぎる性格破綻者に」
笑うような調子で嗤う仮名に、アキラは思わずコンマ一秒身動ぎした。
「……同族嫌悪みたいなモノです?」
アキラが何となく感じた危機感に従い、直接言うのを避けてFOのスキル名でぼかした言い方をすると、仮名はフードの陰でわずかに顔を顰めるような動きを見せる。
アプリコットがFOを生み出したROLの一員で、かつスキル命名を担当したことを知っている仮名にとって、アキラの配慮はむしろ逆効果以外の何物でもない。
「……向こうはどうか知らないけど、私は別に嫌ってないよ。奇を衒ってないだけで――露骨に振る舞ってはいないだけで私とアプリコットはかなり近いからね。それこそ同族嫌悪って言うより自己嫌悪になっちゃうくらいには。私は、私が自分を大好きなようにアプリコットは大好きだよ」
ただし個人的な好みと相容れないこととは別の話、似て非なる話だけど――――と、仮名は呟くように補足した。
「えっと……よくわからないです」
わざとらしく小難しい言い回しに再び首を傾げるアキラ。ある意味素直な性格のために、劇的な台詞回しに慣れていないのだ。
アプリコット相手に苦労しろ、と心中ですっぱり切り捨てた仮名は薄い――薄っぺらい笑みを浮かべて、釈然としない表情のアキラに向き直る。
「わからないならわからないままでいいんだよ。きっとそれが正しいんだから」
またも劇的で含みのある、不自然な言い回しを返した仮名はくすりと笑んだ口元をフードの下から覗かせる。
「見えてきたよ、アキラくん。あの建物が表の表――――≪アルカナクラウン≫のギルドハウスだよ」
細く華奢な腕をゆっくりと持ち上げ、スッと伸ばした指で視界に見えてきたそれの存在を示唆する仮名。
その指を追って視線を泳がせたアキラは、一際目立つ二階建てのギルドハウスを視認すると、仮名に向き直る。
「カナさんはどうするです?」
「私はやっぱり止めておくよ。大衆の注目に縛られて自由に動けなくなるのは重石になって面白くないし、何より写し鏡と顔を突き合わせるのは≪シャルフ・フリューゲル≫だけで充分だから」
「ちょっと残念ですけど、仕方ないです。いってきます、カナさん」
いってらっしゃい――――と仮名が返すと、アキラは徐にポケットから取り出した目元を隠すような仮面を着けて、後ろ手に別れを告げながら離れていった――。
「――暇な奴」
――途端にそれまで穏やかな空気を纏っていた仮名が豹変する。
彼女は演者だ。
演じることで、彼女はあらゆる干渉を意のままに躱す。
演じるということに関してはアプリコットと共通の性質を持っているが、アプリコットと違って仮名は人は欺かない。彼女が欺くのはあくまでも人の目だった。
相手によって態度を変えるのは言わずもがな誰でもやることだが、仮名は個性や個人証明すらも使い分ける。
――時には名前すらも。
仮名はアキラから目を逸らし、別の方向に視線を向けると、
「――攻略に表も裏もない」
一人呟き、歩き出す。
その視線の先にあるのは、≪アルカナクラウン≫に隣接したギルド――――≪クレイモア≫。
「――ここでいいか。裏の裏の私には」




