『自由の光‐ヒカリ‐』
「貴女の世界を破壊するから、私の仲間になってくれないかしら?」
私の中の言語解析プログラムは、その言葉が日本語であると即座に判別し、その意味までを正確に読み取った。
「……は?」
――読み取った上で聞き返した。
[FreiheitOnline]というゲームの為に作り上げられた大規模三次元仮想現実空間の破壊を理由に、私に同一目標の達成のための協力者になることを依頼している。
接続詞が間違っている可能性がある。
しかし私は、目の前でにこやかに微笑む女性ユーザーの台詞をあくまでも文面通りに理解しようと試みる。しかしその結果にやはり釈然としない違和感を覚えた時、女性は再び口を開いた。
「貴女の世界を修復不可能なまで完膚なきまでに徹底的に破壊するから、私の仲間になってくれないかしら?」
同様の意味を示す台詞。しかし、さっきよりも強意の文節が含まれている。
(ッ……!?)
戦慄した。
戦き、慄いた。
この女性は――この女、なんてことを言うんだ。なんてことを、この私に言ってくるんだ。
この私――P-AI計画、疑 似 感 情・試 験 用 人 格NPC“秘仮”に。
「「どうして私が――」ッ!?」
声が、重なる。
「――と言うと思っていたわ。貴女、そういう顔しているものね」
気持ち悪いと、気味が悪いと思った。
「理由は簡単よ。簡易で、単純で、簡慢で、単調だわ。面白くないから、ただそれだけのこと。堂々と自由を冠するこの世界で、思い思いの自由を掲げる群衆。誰一人、自分のアイデンティティには見向きもしない。他人に迷惑をかけなければ何をしてもいいと思い込み、個人の独自性を求めるが故にステレオタイプに染まってゆく。そう思う存在自体が、そう思わせる迷惑な風潮を作り出すことにも気づかないまま、堂々巡りのようにいつもいつまでも大量の無個性を機械的に製造している。まるで惰性の妥協のように考えることを放棄して。これじゃあ、私の求めた理想郷には程遠く縁遠い――――現実と同じ、そのものじゃない?」
女は優しげな笑みを浮かべたまま、さも的を射たと言わんばかりの口調でそんなことを言い出した。
「気に入らないからって壊すつもりか?」
乱暴な口調で、問い返す。
そうでもしないと、呑まれそうで。
「ええ、気に入らないから壊すのよ。力で捩じ伏せて、力で捻じ曲げる。今時の若者っぽくていいでしょう? 懲らしめて、知らしめてあげるのよ。個人の自由というワガママを、さも当然のように振りかざして代表者の足を引っ張るだけの偽の民主主義者たちに。思い出させてあげるのよ。つまり――」
くすり、と女性は優美な微笑みを浮かべると、人差し指をすっと立てた。
「――ひとつの大きな物語の重要人物になれる喜びを」
狂っている――――そう思った。
言葉の真偽ではない。それを疑う以前の問題だ。
狂直的で、清狂的で――――狂信的な人間だった。
否、人であると思えない。
これは狂言的だ。
「いったいどれだけいるのでしょうね。私を倒して、エンディングロールに名を連ねられる人間が」
「何をする気かは知らないけど、私がそんなことに協力するとでも思ってるの?」
世界を――自分を壊すことなんて。
「ええ、思っているわよ。何故なら貴女は賢い。少し考えればすぐに気づけるわ。この世界にしか存在できない貴女には、既に拒否権がないことを」
「何を言って……? …………ッ!?」
目を覗き込まれた瞬間、その女の言わんとしていることを唐突に理解した。
私には、この女を止めることはできないから――――。
「自主的に協力してくれると嬉しいわ。貴女なら、役作りは簡単そうだもの♪」
思わず殴り付けたくなる衝動を抑える。
きっと当たらないからだ。それも何故か、何故だかわかってしまう。ロジックも思考経過もわからないのに、その結果だけが頭に浮かんでくる。
「尤も……それだけの理由なら私もこんなことをしなくてもよかったかもしれないわね」
あの時だったのかもしれない。私がその女――儚の言葉をいちいち斟酌するのを止めたのは。
――そして、私は覚醒した。
光が瞬くように白い天井が視界に映る。
「目が覚めたかい?」
白と微かな陰影のみで構成された視界の外縁から、見知った顔が映り込んだ。
「ドクター……」
[魑魅魍魎]というおおよそ名前らしくもない名前を使う、やはり奇人変人の範疇にある男だ。
「やぁ、火狩ちゃん。まず安心するといいよ。今、この部屋には火狩ちゃんと僕以外は誰もいないからねェ」
「身の危険を感じる」
「あっさりそんなこと言っちゃう!? ムードの欠片もなくなっちゃったよっ!」
大丈夫。ないものはなくならない。
何やら驚愕を露にして騒ぎ始めた長身の白衣を無視して、周囲を見回す。
ごちゃごちゃした真っ白な空間――――何処か見たことのある、そこそこ広い研究室のような部屋だった。
ドクターの拠点のひとつだろう。
巨塔第五百層にいくつかと、地上にもたくさん持っていると聞いている。
「とにかくお疲れさまだね」
優しげな口調でそう言ったドクターは、白衣のポケットからおもむろに取り出した猫耳カチューシャを私の頭に着けながら。
「えぐふッ!」
「何をする?」
鳩尾を打ち抜かれた魑魅魍魎はカハッと吐血し、へなへなと萎れてバタンッと床に倒れ込む。
そして心臓を押さえるようなポーズで、
「火狩ちゃん……『御主人様』って呼んでくれるかなァ……?」
「廃ドクター」
「寝ても覚めてもやっぱりそっちになっちゃうんだねェ……。寝惚けモードのルビアちゃんは『御主人様』でも『にーさま』でも何でも呼んでくれるのに。メイド妹ルビアちゃんはぁはぁ……」
ぶつぶつと何やら危ういことを呟きながら、右手で床に『の』の字を書き始めるドクターから目を逸らす。
ところで私はどうして裸なんだろ――。
「あぁ、それは君のために僕好みのアバターを特別プレゼントしたばっかりだからであって別に君に何をしたわけでもちょっと待ったそれは痛いから落ち着いてわぎゃあああああああああああッ!」
粛清完了。
偶然落ちていた木製の定規を十回ほどドクターの肩に叩きつける。
とりあえずこれ以上この格好でいると、頭どうかしてる変態を本格的に床と同化させないと何をされるかわからないから、すぐ近くに畳まれていた白衣を羽織った。
どうしてインナーすら具現化しないのかは後でゆっくり問い詰めようかな。
「裸ワイシャツならぬ裸白衣の幼女だってェッ!? この破壊力はベベベベッドは振り下ろすものじゃないよッ?」
床と同化させよう。
そんなことを考えながら振り下ろしていたベッドを放り捨て、とにかく事情を訊くためにドクターの復活を待っていると、さすが脆弱な不死身の変態。
三秒ほどでゾンビのように黄泉帰ってきた。
そして今の状況を再び訊ねると、
「あァ、そうだねェ。つまりこういうことなんだよ。今の君は前の君の人格と一部の記憶だけを復元した二人目の火狩ちゃん。僕が個人的にとっておいたとっておきのバックアップが役目を果たしたってことでねェ♪」
予備複製データ。
つまり、この私ではない前の私に何かあったということを意味している。
「どうしてとっておいたの~?」
訊ねた。
冷や汗をだらだら流して目を逸らしたドクターの腹部に、手にとった熱いコーヒー入りのマグカップを投げつける。
「熱痛いッ」
「次はメガネをやる。その次は白衣だ」
「ちょっとカッコ良さげな言い方で僕のアイデンティティを軒並み潰す気かい!?」
「安心していーかもねー♪ さすがの私様でも変態は治せ――直せそうにないから……」
「諦められるように呆れられた!?」
カタカタと激しく震える手でメガネをグッと上げるドクター。あからさますぎてわざとらしいくらい動揺してる。
「それでDOは今どうなってるの~?」
「依然進行中だねェ。あァ、でも君はもう参加しなくていいよォ」
「え? じゃあ何のために私を?」
「さぁねェ……、これからの目的は自分で決めればいいんじゃないかなァ?」
とぼけたような口調でそう言ったドクターは、デスクにゆっくりと腰掛けた。
「は?」
「あの結末は容易に想像できたからねェ。だけどそれじゃああまりにも救いがないからさァ」
ドクターは立ち上がると、すたすたと歩み寄ってきた。
「どうせハカナちゃんのことだから、一度負けた君をもう計画の参加者とは認めないだろうからねェ」
あの性格を考えれば、確かに一度負けた敵がまたパワーアップして登場なんて毛嫌いしそうな展開だろう。だからこそ一回目も決着がつく前にクロノスが止めに入ったわけだし。
(でも、ああそうか……。私は何処かで負けたんだ……たぶん、その……そう、アルカナクラウンに)
ようやく状況を把握する。
そんなに主人公がラスボス以外にやられるのが嫌なら、とっとと潰しにいけばいいものを。
そう思うのはやっぱり自分が人間ではないからなのか、あるいは儚と違って正常なシナプスサーキットを持っているからか――――どちらにしろ気にくわないことに変わりはないが。
ドクターはかけていたメガネを外し、それを白衣の裾で綺麗に拭うと、
「後は自由にすればいい。でも攻略プレイヤーを潰そうとは思わない方がいいよ。そんなことをすれば、間違いなく今度はハカナちゃんに潰されちゃうからさァ」
「そんな都合が良くていいのかよ」
思わず語調が乱れる。
「ん、んーと、あれかなァ。まさかして火狩ちゃん、らしくもなく自分は悪いことをしたからこんな待遇を享受できるなんて許されないとでも思ってるの? 残念だけどこの世界はそんなはっきりとした因果応報はないんだよねェ。見られることが前提の創作物ならともかく、ハカナちゃんと違って僕は現実主義だからねェ。バックアップは妥当な判断だと思わないかな?」
キリッとアホなキメ顔を向けてきたドクターは、綺麗に磨きあげたメガネを私にかけさせてくる。
「お兄様♪ 本音は?」
「猫耳メガネっ妹溺愛モノキターッ! うふぇふぇふはははっ、ほらほらあれだよ、兄様これを期にちっちゃい子だけのハーレムルートを開拓しようかと思、あ、ちょっとタンマ――」
「めこっ♪」
研究室にドクターの断末魔の悲鳴が響いた――――が、その声は何処か嬉しそうだった。
一分後、
「あ、あはは、とにかくこれからどうするにせよ姿は変えたし、あと名前だけは変えておいた方がいいよねェ。今なら望み通りに変えてあげられるけど何がいいかなァ?」
何かのチートを使っているのか、またも驚異の早さで復活したドクターは能天気な明るい声でそう言った。
私はその質問を保留し、
「こんなことして、ドクターは大丈夫なの? 勝手にやってるっぽいけど」
少し緊張しつつも、危惧を口にした。
しかし、ドクターは一瞬だけきょとんとした表情を見せると、
「多分ねェ。まぁ、≪道化の王冠≫には僕以上の天才はいないから大丈夫だよ、タブンネっ」
そう軽く言ってのけた。
「それより火狩ちゃんが心配だからねェ。全盛期ほどの力はないし、あれだけ集めたユニークスキルも大半は失っちゃったから、絶対的な強さは三割ほどに落ちてるよ?」
「三割あればドクターよりは強い」
「いや、僕は最弱だから比較に使っちゃダメだよ、火狩ちゃん」
ドクターはふざけるわけでもなく、そこにあった椅子に腰を下ろしてただ苦笑する。
ドクターは一度体力を全損し、自演の輪廻で初期値降格されている。もし不正を使っていなければ、自己研鑚なんてこととは縁遠いドクターが自己育成なんてするわけもなく、それはつまり今のドクターはその辺の犬より弱いということだ。
ただし、単純な戦闘だけなら、という条件がつく。
(ドクターの強さってそこじゃないんだよね……)
目まぐるしく感情が揺れる。
「ねぇ、ドクター」
「うん?」
「ありがと……」
ドクターは面食らったように一瞬目を見開くと、息を吐くようにフッと笑みを浮かべた。
「その言葉さえ聞ければ、ハカナちゃんの拷問にも耐えられそうだよ…………精神的には」
やっぱり物理的には瞬殺らしい。
「おっと、そろそろハカナちゃんところに戻らないといけない時間だねェ。新しい名前は決まったかなァ?」
「うん、決まった」
新しい名前。
[火狩]という、それ以外の何でもなかったもう一人の私。
その最期はわからないけれど、その私はこの私じゃない。この私のためだけの名前。
その名前をつけた瞬間から、私は自由――――と言えるのかな……?
「火狩ちゃん?」
「ううん、何でもない。ドクター、私の新しい名前は――」
自由については、これから考えよう。すごく、暇になりそうな気がするし。




