『汎発竜匣パンデミック・d』
「……この辺にはいないみたいだな」
「そうですね」
「二階にいなくて下から連絡がないってことはやっぱり地下階なんだろうね。一階だけなら同じ時間で探し終えてるはずだし」
俺とアンダーヒルは担当区画内の空き部屋を全て確認し終えると、シンと合流し、三人でロビーの階段から一階に降りつつそんな遣り取りを交わす。
案外気が楽になったのは、サジテールの不可能性領域の効果が続いているからだろう。何故か未だに微かな痛みも続いているが、それはデメリットのようなものかもしれない。
(呼吸により、周囲の毒性気体を無毒化する……か。本気でロジックがわからないな……。不可能云々なんてひとつひとつ斟酌するプログラムなんてそもそもできなさそうだし――)
――できたとしてもゲームだけに使うな。他にも使い道あるだろ。
アンダーヒルは以前幾つかのパターンが決められていて、その時々の状況判断で使えるものを選んでいると予想していたが、幾つあるっていうつもりだよ。何となく感覚だが、百個や二百個じゃ済まない気がするぞ。
閑話休題。
「あるいは三人ともやられてるかな」
「シイナ、それ冗談じゃ済まないから。笑顔でさらっと怖いこと言うなよな」
「ちょっとした冗談半分だ」
「もう半分は?」
「退屈凌ぎ」
「アプリコットか!?」
「それはツッコミか?」
色々と救いようのない会話で気を紛らわせつつ、一階から地下に降りるための階段に差し掛かる。
「いるな……」
一階よりわずかに暗い地下の入り口を見下ろし、シンが一言呟く。
「わかるのか?」
「【罠鳴き声】が警告してるのさ」
シンは口元に引き攣るような笑みを浮かべると、率先して階段を降り始める。
ちなみに【罠鳴き声】は、罠を探知すると警告音を鳴らす一般的な常時スキルだ。罠系アイテムや罠素材アイテムの設置、モンスターの地雷系攻撃など広い範囲をカバー出来るため愛用しているプレイヤーは多いが、逆に面白くなくなるとゲーマーの間では賛否両論だったりもする。合理主義のシンにとっては最高の相棒のひとつらしい。
いずれにせよ、その手のアイテムを使わずに罠を張れるアプリコットやアンダーヒルに対しては無力だが。
「『アナプノイ・クルヴィウス』は強力な毒を使用しますが、本体のステータス自体はさほど高くありません。物理防御率も低いので、六人の内の誰が接触しても五分と保たないでしょう」
シンの後に続いて階段に足を踏み出しながら、アンダーヒルがそう言う。
「かといって殺すわけにはいかないんだし、何だかんだ面倒なことになりそうだね」
「出会い頭に気をつけろよ、シン。お前、いつもの癖で居合いで斬り捨てそうだから先に言っとくけど」
「僕は危険人物か!?」
アンダーヒルを挟んで、階段の下の方からシンの声が飛んでくる。
よもや凶太刀や危剣刃物の二つ名を忘れたわけでもないだろうに。
そんなことを考えながら惰性で階段を降りていると、目の前のアンダーヒルの身体が突然がくんと沈み込んだ。
「ッ!?」
慌てて、アンダーヒルの右の二の腕を【物陰の人影】の黒い布ごと掴み、引っ張って支えてやる。
「大丈夫か、アンダーヒル」
シンが振り返って声をかけると、アンダーヒルはすぐに体勢を整えて立ち上がる。
「大丈夫です。足を踏み外しただけですので、心配はありません」
そんな平坦な声が返ってきた。
「珍しいな、お前が」
シンはそれだけ返すと階段を一番下に降り、角から廊下の様子を確認し始める。
(確かに珍しい――――というかありえるのか……?)
アンダーヒルが足を踏み外すということは、つまり身体の運動を御しきれていないことを示している。誰よりも制体術、すなわち肉体の自己制御に長けた彼女に限って、そんなことはほぼない。
考えても見るといい。
狙撃銃と言うのは遠距離から敵を狙い撃つ時に用いる武器だ。
手元が一ミリズレると、単純計算百メートル先ですら一・五メートル強、千メートル先では十七メートルもズレてしまう。そんな武器で二千メートル近く離れた小さな標的でも撃ち抜くアンダーヒルは、自分の指先や手・腕・肩、延いては上半身から全身に至るまで〇・〇一ミリの精度で動かしているのだ。
もちろん例外はこれまでにも何回か目撃しているわけだが、その例外とはつまり――――今現在の彼女が万全のコンディションではないことを示している。
「……シイナ? もう大丈夫です」
何処か不安げな声で我に返ると、振り返って斜に立つアンダーヒルの黒く澄んだ瞳が俺を見上げていた。
「あ、あぁ……悪い」
一応謝りつつ、パッと手を放す。
アンダーヒルはなぜ謝られたのかがわからないといった感じに首を傾げると【コヴロフ】のストラップを肩に担ぎ直し、トントンと木板を叩く軽快な音を響かせて下の階に降りていく。
音を――足音を響かせて。
俺はアンダーヒルの後を一段飛ばしで追いかけ、ほぼ同じタイミングで地下一階――アイテム貯蔵のための冷蔵室や倉庫、元ドレッドレイド入団志願者たちを一時的に拘禁していた牢屋のあるフロアに足を踏み入れた。
「シイナ、アレだよ」
シンに促されて廊下の角から顔を出すと、少し進んだ辺りに毒々しい紫色の塊が廊下の中央に三つ並んでいた。
高さ二十センチ、形は中央が窪んだ山のようなお椀型で時折ボコッボコッと脈動するように震えている。
「キモいな」
と俺。
「キモいだろ」
とシン。
「……それしか語彙がないのですか?」
シンと二人揃ってアンダーヒルのジト目を頂戴する。
思ったより精神的にクるものがあるな、その目。刹那の場合は結構直接馬鹿にされてる感じだから耐性はできてるが、憐れまれるような視線は重くのし掛かる。
「あれがあるってことは詩音たちは来てないってことなのか……? んで、シン。アレをどうやって突破するんだって?」
「たぶん近づくと高濃度の毒ガス撒き散らすだろうから、アンダーヒルの狙撃で」
床抉る気か。
「非殺傷弾ですので、問題はありません」
銃弾初速九百メートルの非殺傷弾には俺はツッコまない。ここではよく考えると何処かおかしい不思議な現象も起こりうる。そういうものも存在しうる。
落ち着け、いつものことだ。
「下がってください」
指示通りに俺とシンが階段まで戻ると、アンダーヒルは肩から下ろした【コヴロフ】をしゃがみで構え、廊下の先の毒ガス地雷をスコープ越しに鋭い視線で射抜く――――カチン。
「…………」
微かに響いた乾いた音に、その場の空気が一瞬で凍りついた。
「……失礼しました」
毅然とした態度でそう謝ったアンダーヒルはテキパキと空弾倉を新しいものと交換すると――ガジャコッ。
遊底操作。
そして、再び角の向こうにその大きな対物狙撃ライフルの銃口を向け――――ガァンッ!
発砲する。
ガジャコッ。
ガァンッ!
ガジャコッ。
ガァンッ!
ガジャコッ。
連続して交互に響いた発砲音と遊底操作音。続いて空薬莢が床に落ちて、三回乾いた金属音を奏でる。
「……」
何故か沈黙が走る。
「一応処理できました」
「え゛……その一応って何?」
思わず聞き返すと、アンダーヒルは角の向こうに再び視線を戻して黙り込む。
シンが無言でアンダーヒルに歩み寄り、角の向こうを見て絶句する。
元より言葉は失っていたが。
シンのそんな態度で、沸々と沸き上がっていた嫌な予感がより確信に近いモノへと変わる。
「おい、アンダーヒル」
おそるおそる廊下の先を覗き見た俺は、思わずその先の光景を指差しながらアンダーヒルに振り返る。
廊下中央――確かに毒ガス罠の塊は全て消し飛んでいた。残っていたあからさまに紫色のもやも、長くは続かないのかスーッと消えていく。
だが――――廊下の床板の一部も同じように消し飛んでいた。
「あれでゴムスタンか?」
「………………実弾です」
ダメだ、このアンダーヒル。
平静を装ってはいるものの、普段の彼女とはまるで別人だった。
「ポ、ポンコツ……」
「シイナ、それを言ってやるな」
頭が痛い気がするのは毒のせいではないだろう。
その時だった――――ドォンッ!
「「ッ!?」」
突然、ギルドハウス全体が揺れ、重い衝撃音が轟いた。
「下だな」
下りてきた階段の正面にある、さらに下へと続く階段を見てシンが呟く。その下には、詩音・アルト・ミストルティンの特別レッスンに使っている演習室のあるフロアが広がっている。
「シン、ちょっとアンダーヒル連れて戻っててくれ。下にいるんなら、誰が言ったって同じだろ」
「だったら毒耐性のある僕が行った方が早いだろ? こっちは任せとけよ、シイナ」
「いや、でも……いいのか?」
実はコイツ、ドラゴンパピーのシイナには何故かやたらと嫌われていた。今考えると詩音も避けられていたようだし、もしかしたら対毒耐性値の高い種族を無意識に避けていたのかもしれない。プレイヤー側からは判別できなくても、ドラゴン側は自分の能力を認識していただろうし。
「はっはっは、こんなに堂々“シイナ”をボッコボコに出来る機会なんてそうそうないからなっ。代わりにアンダーヒルは任せたぜ?」
「お前、後で右脳と左脳とりかえっこしてやるから覚悟しろよ?」
「笑顔でさらっと怖いこと言うなよ!? 冗談は冗談として認識しようぜ、親友!」
「安心しろ、シン。こっちのは冗談じゃないからな。まったく今さら冗談だなんて冗談じゃない」
「第二アプリコットがここにいるけど!?」
「い・く・な・ら・い・け♪」
見るからに黒い笑顔を浮かべて、シンを階段の方に蹴りだしてやる。
せっかく気遣ってやったというのに恩を仇で返した報いだ――――とは言わないが。
「後で僕の雄姿をたっぷり聞かせてやるからな、シイナぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」
「さて、戻るぞ。アンダーヒル」
暑苦しいシンの雄叫びをさらりと聞き流し、未だ平静に見えるアンダーヒルの両肩に手を置いて背中を押し、一階へ上がる階段を登り始める。
「何処にでしょうか?」
見えるだけでやはり若干抜けているようだが。
「で、結局何も出来なかったわけか」
「言うなっ、何も言うな、トドメを刺すなぁぁぁぁッ!」
部屋の隅で蹲り、寂しい背中を見せるシンが叫ぶ。
「で、あれだけのこと言っておいて結局何も出来なかったわけか」
「なんで言い直した!?」
「うるさいな。一応まだアプリコットが休んでるんだから黙ってろよ」
「あはは、兄ちゃん、キチクーっ♪」
詩音はたぶん意味がわかって使っていないだろうから放っておこう。
あの後、俺がアンダーヒルと共にGLルームに戻ると、数分後に戻ってきたシンは、詩音とリコ・サジテールを連れていた。
さっきの衝撃は、詩音が【局地性暴風刑法】で『アナプノイ・クルヴィウス』をまとめて吹き飛ばし、演習室の壁に叩きつけた音だったのだ。
もちろん、意気揚々と演習室に飛び込んだシンの見せ場などあるはずもなく、まさに「この世の絶望を見た」というような顔をしていた。
ドラゴンの『シイナ』は、地下室で伸びているらしいが。
打たれ弱いな。その辺りは俺と同じか。
「まぁ、今回はカッコ悪かったですね。シン」
ベッドから起き上がってきたアプリコットがニコォっと笑いながら、慰めるような言葉を言う。
「アプリコット、もう大丈夫なのか?」
「ええまあちょっと頭がガンガンするだけです」
それは大丈夫なのか……?
「それにシンが弱ってる時にボクだけがいなくてどうするんですか」
「アプリコット……お前……」
シンが振り返りながら、ちょっと感極まったような声を上げかけて――――止まった。
アプリコットの続く台詞に気づいたのだろう。あるいはアプリコットの白々しい笑みを見たか。
「こんな面白そうな状況、楽しめないなんて人生半分損してます♪」
「だよなぁ!」
なんというか――――いつも以上にいつも通りな≪アルカナクラウン≫の一日だった。




