(9)『全途他難-ブラック・ラッキー-』
黒き隠者は先行調査の結果を話し始める。
ただの一度の失敗で悲劇的な結末を迎えかねないこの世界でも、彼女は何も変わらない。それはするべきことを自覚して、できることを自認しているからだった。
「それでアンダーヒル。次層の情報は首尾良く手に入ったんか?」
そう言えばさっき刹那が『物陰の人影はフィールドを確認しに行ってる』とか何とか言ってたな――――なんてことをトドロキさんの台詞で思い出しつつ、俺は話を振られたアンダーヒルの方に視線を向ける。
「次層第二百二十四層は『啾々たる鬼哭の戦場』。主観的な意見になってしまいますが、日本の戦国時代の戦場跡をイメージしていただければ分かりやすいかと思います」
頭の中に、荒れ果てた赤々とした大地と散乱する武者姿の白骨、あちこちに突き立ったボロボロの錆び刀の情景が浮かぶ。
怖いな。
「主な出現モンスターは〔生ける屍〕〔飢餓の悪霊〕〔凱旋の慚愧〕の三種のようですね」
アンダーヒルは坦々とした口調で報告を進めているが、名前だけでわかるのは割と地上のフィールドでも一般的な〔生ける屍〕くらいで、あとの二つはどんなモンスターかある程度しかイメージできない。『戦場跡』というキーワードから、大方不死種系のモンスターなのだろうと何となく類推はできるのだが。
トドロキさんも似たような心象だったのだろう。少し困り顔で頬をかきながら、気まずさの中で第一声をあげる。
「三種だけなんか?」
「あくまでも三十分間の調査時間内に観測できたものが三種類――――ということになりますので、ご留意ください」
「せやけど、今回のフィールド、今までに比べたらえらく控えめやね。ま、行って見んとわからへんってことやな。手に入ったんは、そんだけなん?」
トドロキさんの問いに無言で頷いたアンダーヒルは、不服ですかとばかりに唇をわずかに尖らせて俺を見上げてくる。
何で俺なんだよ――――と問い質したいところだが、そんなことをしたら本格的に的にされてしまうだろう。
経験上の直感だが。
「ただ一つだけ忠告するなら、食事はしないで行くことをお奨めします」
ピシッとトドロキさんが硬直した。
既に食事は済ませてしまっているからだ。早朝にも関わらず。
「な、何なん……?」
「いえ、出現モンスターの一部が人によっては生理的な嫌悪感を催すのではないかと愚考しました。そのような場合、人は時折嘔吐することがあると聞いています」
「おい、何かその言い方だと、お前人間じゃないみたいだぞ」
思わずツッコミを入れるが、アンダーヒルは訳がわからないというように静かに首を傾げた。やはりアンダーヒルは、感覚が何処かズレてるようだ。
「要するにグロいってだけでしょ? 平気よ、そんなの」
「せ、せやな~……」
トドロキさんが刹那に、あまり説得力のない相槌を返している。
とその時、ずっとおどおどしたまま俺たちの遣り取りを見ていたネアちゃんが、
「私、そういうの苦手なんですけど……大丈夫かな……?」
ぽつりと呟いた。
途端、俺・刹那・トドロキさん・アンダーヒルがぴくりとも動かなくなり、刹那が気まずそうに視線を逸らしつつも、何とかしなさいよとばかりに俺を睨み付けてくる。
「あのー……ネアちゃん。初期武器から、何を選ぼうとしてらっしゃるのですか?」
両手にオブジェクト化した投擲用短刀と近接戦闘用短剣を見比べるようにして、武器を選んでいる様子のネアちゃんに声をかけると、きょとんとした澄んだ瞳を向けられて思わず怯む。
何故か途中から敬語になってしまったが、この際気にしないことにしよう。
それとどちらかと言われるまでもなく、オカルティックなモンスターが苦手ならもっとリーチの長い太刀とか騎兵槍とかを選ぶべきだと思う。あるいは長距離射撃ライフル辺りならちょっとした練習で使えるようになると思うし。使えることと強いこととは別次元の話だが。
「ネアちゃん」
「何ですか、シイナさん」
「まさかとは思うから一応訊いてみるけど、ついてくる気じゃないよね?」
「そのつもりです。助けて頂いた恩に報いるためには、これくらいしかやれることがありませんから。一応回復魔法も少しなら覚えてますし」
「いや、そういう問題じゃねぇよ」
とぼけたようなネアちゃんの返事に、物理的に掌を返しつつツッコミを入れる。
「黒鬼避役の時は運良く無事だったけど、次は一撃でプチるかもしれない」
「いやシイナ、“プチる”って……」
刹那が何か言っているが、特別大事なことでもなさそうだから軽く流す。
「そもそも俺たちが攻略しなきゃいけない巨塔ってのは、普通のフィールドとは難易度が違――――ん?」
軽く流した刹那の台詞の前に、軽く流しちゃいけない台詞があった気がする。
と三秒ほど黙考して、気付いた。
「……ちょっと待った。ネアちゃんってレベル1とか2だよね? なのに回復魔法覚えてるんだ……?」
一番低レベルの回復魔法は“祈り”。
上限の一パーセント程度しか回復できないためむしろ高レベルプレイヤー向きの魔法だが、それですら確かレベル15前後にならなければ取得できないはずだ。
天使種系種族は、一人でも戦えるタイプの種族が占める今の上位環境からすればかなりマイナーな種族。その上で、俺たちが関わるような高レベルプレイヤーなんてほぼいないし、いたとしても低レベルだった頃の話なんてまともに聞いたことがないから、魔法取得レベルまではうろ覚えだが。
知人の天使といえば――――いや、アレはずっと前から何の事情かFOへのログインはやめているはずだ。
そんなことを交えつつ、ネアちゃんのフィールド行きをどうやって止めさせようか考えていた時、少し戸惑いがちに俺の様子を窺っていたネアちゃんが両手をぎゅっと握って顔を上げた。
「あ、あの……!」
「な、何……!?」
「私、レベル1じゃありませんっ」
その次の瞬間、ネアちゃんの口から信じられない数字が飛び出した。
「113です!」
ネアちゃんの張り上げた声に押し退けられたように、俺の思考が停止する。
「レベル113って、どういうこと……!?」
皆が二の句を継げないでいた空気を破って声を上げたのは刹那だった。その目は大きく見開かれ、何処か叱責するような雰囲気を周囲に散らしている。
「何か、変なんですか……?」
初めて見る刹那の苛立っている姿に困惑する表情を見せながらも、ネアちゃんはまっすぐ刹那の目を見てそう言った。刹那のこの苛立ちが、不可解なことが続いているからだとわかっているのだ。
「始めたのは数日前って話だったわよね? それでもう百超えなんてまずありえない――――ううん、ありえない」
「そう、なんですか?」
ゲーム初心者のネアちゃんに、育成RPGの基本システムを知っていろというのも酷な話だろう――――と俺は刹那とネアちゃんの間に割って入る。
「ネアちゃんも知っての通り、このゲームのレベル上限は1000だ。ちなみにベータテスターの俺やトドロキさんでもまだ上限には達してない。今のところそこまで到達してるのは儚一人だけしか知らないし、いくら低レベルとはいえ三日四日でそのレベルまで到達するのは、普通に敵を倒してるだけじゃありえ――」
また、言葉に詰まった。
思い出したのだ。数日前、ネアちゃんと初めて会った時のことを。
第二百二十三層『動無き大河の楽園』で黒鬼避役と遭遇した直後、一時退避した俺たちがネアちゃんの存在に気付いたのは、突然爆発が起こって黒煙が上がったからだ。
「ネアちゃん……二百二十三層でボスに対して魔法を使わなかったか? 火の」
「え……えと、はい。『太火の陽炎』という魔法を……あの黒いカメレオンにぶつけました」
「黒鬼避役討伐者に[ネア]の名前を確認しました。もう少し早く気付くべきでしたね。歴然でしたので、確認を怠っていました」
俺が自分で調べようと思っていたことを予見してくれていたらしいアンダーヒルが俺に向かってそう報告してくる。
要するにこういうことだ。
カメレオンに襲われたネアちゃんは魔法を使い、微々たるダメージとはいえミッテヴェルトのボスモンスターの戦闘に参加し、直後に倒している。
討伐経験値はフィールドから一度も出ていなければモンスターが倒された時に加算される。ヤツを倒した時に彼女がまだフィールド内にいたため、経験値を貰えたのだ。
塔の最新層ボスクラスの討伐経験値がアバター製作の直後のようなプレイヤーに入ってしまったのだ。
その結果は推して知るべし。
このゲームも他のRPG同様、高レベルになるほどレベルアップに必要な経験値が多くなる。俺たちが1レベルすら上がらなくても、ビギナーとレベル900越えとじゃ全然違う。コツコツとレベルを積み上げてきた古参プレイヤーには当然のごとく経験はないが、そういった理由ならネアちゃんの大幅なレベルアップも腑に落ちる。
見ると、他の皆も納得だか得心だか、そういった感情がありありと表に出ていた。
ただ一人を除いて――
「しかし、不可解です」
「まあ、これなら納得……って、え?」
一瞬反射的に同意しかけたが、一度反復してみると、アンダーヒルの声は確かに「不可解」と言っていた。
「基本的に貰える経験値の絶対値は等しいので、あの時に得た経験値から計算してみたのですが、レベル2だったと仮定してもレベルは79で止まります。それではあと34レベル分の説明がつきません。ネア、あなたのステータスを見せてください」
アンダーヒルはすーっと滑るようにネアちゃんに歩み寄ると、彼女の開いたウィンドウを横から覗き込み、黙り込んだ。
「ユニークスキル……【全途他難】。どうやら一度の戦闘でレベルが50以上アップした時に発現するスキルのようです」
そんなものが普通にプレイしてて発現するわけがない。
ネアちゃんのような悪気のない子だからよかったものの、所謂寄生プレイヤーが得るようなスキルを創るなんてスタッフはどれだけ暇だったんだ、と本気で開発者の頭を心配する。
「それでどんなスキルなの?」
と刹那が促すままに、ネアちゃんがウィンドウを操作する。
「……『午前零時、その一日で得た経験値を倍加する』ようですね」
つまり成長速度が他の人の二倍、単純に言えば得る経験値を二倍にするということだ。
(どこの学習装置だよ……)
「倍の経験値量で計算し直したところ、現在の結果と一致しました」
「相変わらず気味悪い頭やね。ジブンまさか人工知能ゆうオチやないやろな」
と冗談めかして言ったトドロキさんに、アンダーヒルは静かに視線を傾けた。
「…………………………何を馬鹿なことを言っているのですか、スリーカーズ」
「今の間はなん――――目ェ逸らすな、アンダーヒル」
「SFの読みすぎではないですか。私が二ノ宮時雨の作り出した高汎用自律学習型人工知能などとありえません。常識的に考えてください」
「なんで切り捨てたんを拾い直したん!? なんか情報増えとるし」
「冗談です」
「ジブンのは冗談か本気かわからんわ!」
とりあえずコントに突入している二人は放置する方向で確定しよう。
ていうか、アンダーヒルが冗談を言うなんて意外すぎるんだが。
未だコントを展開しているトドロキさんとアンダーヒルに背を向けて、いつのまにか椅子から立ってネアちゃんのウィンドウを覗きこみながら何事か話している刹那に歩み寄る。
「――ないし、何か手持ちにイイのが……。113かぁ……あったかなー?」
「何の話だ?」
俺がそう声をかけると、「あ?」と顔を上げた刹那が睨んできた。
何故。
「バカシイナ、アンタ女らしく喋る練習してんの? 今のアンタはボーイッシュでごまかせない見た目って自覚しなさいよ」
「おい、人の名前がさもそれであるかのごとく自然に流すな」
「うっさい、バカシイナ。仮にもギルドリーダーなら、極稀でいいからたまにはらしいことしなさいよ」
おい、その言い方だと俺が普段リーダーらしくないってことになるぞ。いや、“なる”んじゃなくて“してる”んだろうな。
「お前、実は俺のこと嫌いだろ」
「普通に嫌い」
素で返された……。
「悔しかったら一回死んで女に生まれ変わってから、らしく喋ってみなさいよ」
「おい、それ、死んでんぞ!?」
ツッコミも虚しく、軽く無視に入った刹那は、こちらをチラチラと気にしている様子のネアちゃんとの話を再開する。どうやら防具の話をしているようだ。
女らしい喋り、か……。
いずれにせよ、いずれ練習せざるを得ない状況ってことを考えると、いい機会かもしれない。何度も言うが、トドロキさんの言う通り、俺が『魔弾刀のシイナ』であることを知られるデメリットは大きいからな。
少し黙考していた俺は、防具の話を続ける二人の前で――
「え、えっとー、……何をしてらっしゃるのかしらー?」
「……キモッ」
「一蹴かよ!」
せっかくサービス精神溢れる笑顔をプラスしてまで丁寧に訊いてやったのになんなんだ、この言いぐさは。
「今どきそんな喋り方してるお嬢、そういないわよ。女子にどんな幻想持ってんのよ、マンガの見すぎじゃない?」
「理不尽なくらい言い返せねぇっ……。俺は女らしい喋り方なんて知らねえんだよ」
「何よ、逆ギレ?」
「どっちが!? 俺の方はすばらしく論理性に富んだキレ方だよッ!」
「周りの人の真似でもしてれば? あ、私の真似はしないでね。キモいから」
「いや、周りのヤツって言っても――」
周りを見回す。
アンダーヒルは確かに綺麗な発音でアナウンサーのような喋り方だが、逆に言えば言葉遣いは中性的だ。
トドロキさんに関しては俺がやってもエセ関西弁にしかならないし、ネアちゃんも言葉遣いだけなら中性的、喋り方そのものを真似しようと思ってもリアレーションがあるせいでSAN値がガリガリ削られるのは目に見えてる。そして一応刹那は、ある意味現代女子のスタンダードモデルと言えるが、コイツほど自然に毒づけないから俺には無理だ。
「――俺には真似できそうにないヤツラばかりが揃ってるんだけど……」
ついでに言うと、母親は満塁からの連続スリーアウトチェンジ、妹の喋り方は女らしいというよりは子供っぽいから却下した。
他の女と言えば儚と……一人称が「ボク」の変人ぐらいのもの。
どれもこれも参考にならなかった。
Tips:『討伐経験値』
モンスター討伐時に獲得するFOにおいて最も一般的な経験値。モンスターに対してダメージを与えたプレイヤーのみが獲得する権利を持ち、そのモンスターが討伐されると同時に経験値獲得が発生する。この討伐経験値は討伐に際してのダメージ貢献度等にはまったく影響されず、討伐参加者には必ずモンスターのレベルと種類・個体値に応じた等しい量の経験値を得る。ただし、討伐前にそのフィールドから離脱した場合は権利を放棄したと見做され、たとえ討伐前に再入場したとしても経験値が得られることはない。またこの仕様のために、大規模討伐等で一回だけ攻撃して経験値と討伐報酬だけを掠め取ろうとするプレイヤーが少なからずおり、“寄生プレイヤー”と呼ばれている。




