『汎発竜匣パンデミック・b』
ギルドハウス二階[刹那]の部屋、通称“茨の部屋”。
いつだったかのそう命名されて以降、この名前を口にした者は(物理的な)鉄槌が下る、という都市伝説が生まれた。実際に犠牲者も出ているらしいのだが、今の段階でそう見られているのは一名である。もちろん命名者のアプリコットなわけだが。
しかしまぁ、そんなおどろおどろしい(?)名前が付けられた場所も一歩足を踏み入れると――
「何よ、バカシイナ。文句あるんなら死んでから言いなさいよ」
――刹那の絶対王権領域である。
前に来た時はいつのまにか運ばれていただけで、終始寝たフリで刹那と言葉を交わしたわけではないから部屋自体が普通であることはわかっているが、さしたる実害がないと言えば嘘になる。
要するに刹那の暴君レベルが一気に引き上げられるのだ、このプライベート空間。
刹那としては、そこに入るのは所有物か侵入者のどちらか、という感じの意識なのだろう。どちらもあまり好意的なものとは見做していない。
ちなみに今の罵倒は、「おい、刹那。お前まさか、そんなにソイツのことが気に入ったのか……?」という質問をぶつけてみた際に返ってきた言葉である。ソイツというのはもちろん、件のドラゴンパピーである。
死人に口なし、つまり黙ってろと言いたいのだろう。余りにも暴君過ぎて手も足も出ない。いずれにせよここに来た目的を考えれば、口を出すことに変わりはないが。
「お前蛇嫌いの癖に、なんでドラゴンは平気なんだよ……」
「は? 何言ってんのアンタ。ドラゴンと蛇じゃ全然違うじゃない。足もあるし、可愛いし、角もあるし、可愛いし、翼もあるし、可愛いし、撫でると喜ぶし、可愛いし、何処があんな地べた這いずるしか能のないウロコ張り腐れロープと同じだってのよ。ぶっ飛ばすわよ?」
「うん、お前の脳内のドラゴン像に狂いが生じてんのはわかった」
酷い言われようだな、蛇。
そしてうすうす感じてはいたけど、理由の半分はこのドラゴンパピー限定だった。
刹那が小鹿のような形のチビ竜の頭を撫でると、チビ竜の方もくぁーと小さく鳴いてその手に頭を擦り付ける。早くも馴染んでいるところを見ると、なかなか人懐っこい性格のようだ。
その部分はまるで、卵を孵し、ここ数日甲斐甲斐しく世話をしていたというアプリコットの性格を色濃く受け継いでいるみたいだな。さすがにそんなことは関係ないだろうけど。
「やーん、可愛い♪」
もはやキャラ崩壊レベルだな。
「お前、それが成長して万が一バグスリード・ワイバーンになったらどうするつもりなんだ?」
「逃げるわ」
「おい」
即答だった。
「あるいはこのギルドから放り出すわ」
「お前は外道だ」
「仕方ないでしょ。相容れない同士だったのよ。その時は名前をアプリコットに改名してあげるから感謝しなさい、シイナ」
「お前な……」
なんで俺が感謝しなきゃいけないんだ。
きょとんとして首をひねるチビ竜の頭を撫でながら、刹那は緩みきった笑顔で毒を吐く。チビ竜は言葉がわからないのが幸いして、無邪気に鳴いている。その目はまっすぐ刹那に向けられ、やはり何処となく嬉しそうだった。言葉がわかってしまえば、素直には喜べないだろうが。
「それに前足あるし、バグスリードにはならないわよ。ねー♪」
なんだろう。やっぱり正真正銘の赤ちゃんと成体も身体が小さいだけの小動物では、なんというか保護欲に訴えるものが違うのだろうか。いや、母性か。
刹那にもやはり女らしいところがある――と言うと本格的に本格コースで殺されかねないし、俺の言いたいことから若干ズレてしまうのだが。もっとわかりやすく肯定的に言った方がニュアンスは近いかもしれない。
こういう時の刹那は可愛い――という、つまりそれだけのことなのだが。
「そういえばさっき改名って……。お前ら、ソイツに名前付けたのか?」
「は? 何言ってんのよ。さっきホールで決めてるの見てなかったの?」
いつのまにか決めてたらしい。
俺がなんと言おうと、結局≪アルカナクラウン≫預かりになりそうだな。ここに来た用件の半分が自然消滅した。
そういえばさっきのアンダーヒル、何処となく様子がおかしかった気がするんだけどな――などと現実逃避じみたことを考えつつ、目の前の刹那に意識を戻す。
「それでどんな名前なんだ?」
「シイナ」
「ん? ……ってか質問に答えろよ」
「答えてるじゃない。シ・イ・ナ」
ちょっと待て。
「お前それまさか、そのチビの名前なんじゃ……」
「そうよ?」
何? 耳腐ってんの? とでも言いたげな顔で俺を見上げてくる刹那。
ホント、一回コイツ泣かしたい。
「そうよじゃねえよ、それ俺の名前だからむしろ俺のアイデンティティのひとつだから! 俺はどうしろと!? 今さら名前変えられると思うなよリアルでも同じだし!」
「仕方ないでしょ。ネアちゃんとリコと詩音とスペルビアが推薦してきたんだから。ミストルティンと理音と射音は何でもいいって感じだったし」
え゛……なんてことしてくれちゃってんの、水橋さん。
俺は静かに、かつ素早く正確にウィンドウを操作し、詩音――つまり俺の愚妹の椎乃に音声通信をコールする。そして数秒の間をおいて、「はいはーい! どしたの、兄ちゃん?」とやたら上機嫌な様子の音声が聞こえた時、そのウィンドウに向かって――。
「お前、後でリコと一緒に折檻な」
そう言ってぶつりと音声を切ると、素早く詩音からの音声通信を着拒設定にする。
切り際に「え? え? ナニナニいきなりせ、石棺……!?」などと残念な反応が見られたが、今はどうでもいい。
スペルビアに関してはいつも寝ぼけて、寝とぼけてるようなヤツだからな。コミュニケーションの一点に関しては未だに自信がない。故に――――次会った時にデコピンしてやることにする。
「……アルトは好きにしろって途中でどっか行っちゃったし、リュウとシンは面白がって途中で賛成に回ったから、賛成多数でハイ可決。これで私に何しろってのよ」
オーケイ、リュウにシン。お前ら、それは俺への宣戦布告だな? 後で死ぬ直前までボコボコにしてやる――――と対悪友特有のノリで復讐を決意していると、ふと刹那の言い方に違和感を覚えた。
「あれ? それじゃもしかして、お前は反対してくれたのか?」
「当たり前じゃない。だってこの子、シイナって感じじゃないし……」
理由は別に俺への配慮じゃなくてもいい。そんな無茶な決定に対して反対に回ってくれただけで素直に嬉しかった。
「そ、それに……私にとってシイナはアンタ一人だし。同じ名前を付けただけの代替品で満足なんてしないわよ……」
「……ん? 代替?」
「ッな、何でもない……」
慌てた様子でさっと顔を逸らした刹那。
その顔は恥ずかしそうに赤く染まっていて、何かマズいことを口走ったかのような反応だった。
(……ま、気にはなるけど気にしないでおいてやるか)
刹那に借りを返すような気分で流すことにして、刹那の胸元に抱かれたドラゴンパピーに手を伸ばす。
チビ竜は少し警戒するようにその手を見たが、鼻面を撫でてやるとすぐに警戒心を解き、興味津々の様子で俺の人差し指を甘噛みしてくる。小さな歯がチクチクと痛いが、気になるほどではない。
案外可愛いな。
「ん?」
じーっと刹那が俺の顔を見上げているのに気づいて、思わず声を上げると、
「あ、ううん、何でもな、ないからっ。そ、そういえばアンタ、なんでわざわざ私の部屋まで来てるのよ。な、何か用?」
再び目を逸らして、若干不機嫌そうな声でそう言ってくる。
「あぁ、トドロキさんが刹那を探してたんだよ。なんか頼みごとがあるとか勧誘だとか言ってた気がするけど」
「スリーカーズが?」
何だろ……と呟き、思案顔になる刹那。
しかし、すぐに立ち上がると、
「じゃあ私、スリーカーズんトコ行ってくるからシイナよろしくね、シイナ」
そう言って、チビ竜を差し出してきた。
名前が同じだと凄まじくややこしいな。前のシイナがチビ竜の方だとはわかるが。
「落とすんじゃないわよ?」
少し危なげだったがなんとか刹那からチビ竜を受け取り、何故か急に忙しなく動こうとするチビ竜を胸元に抱く。
するとチビ竜はふんふんと匂いを嗅ぎ、くぁーとまた鳴いて、なだらかな曲線を描く胸にぽてっともたれ掛かってきた。
どうやら居場所として認められたらしいな。そりゃどうも。
「じゃあ任せたわよ」
部屋の前で刹那と別れると、どうするかと考えながら廊下を進む。
さすがにお守りを任された以上は、このチビ竜を連れてリコと椎乃のところに行くわけにもいかないし。もちろんリュウやシンのところは論外だ。
ネアちゃんのところにでも連れてこうかと思い立ち、廊下の突き当たりに差し掛かった時だった。
「っ!?」
音もなく手前のアンダーヒルの部屋の扉が開き、中から黒い人影が姿を現した。
部屋の主、アンダーヒルだ。
「シイナでしたか」
「びっくりしたぞ。どうかしたのか?」
「いえ……。人と竜の気配がしたものですから」
「お前それ、もう鋭敏とかそれどころじゃないよな」
気配で人と竜の区別ができるようです、この子。人間離れし過ぎだ。
「微かに鳴き声が聞こえただけです」
「……なるほど」
とは納得しては見たものの、多少考え事をしていたとはいえ、至近距離にいた俺が気づかなかった鳴き声を部屋の中から捉えるって十分外れてるけどな。
「その子は例の……」
「まぁ、他にこんなチビ竜はいないけどな。というかいてたまるか」
胸に顔を埋めてじっとしていたチビ竜は、ようやくアンダーヒルに気づいた様子で首をもたげた。そしてアンダーヒルを見て、ピシリと固まった。
「……?」
チビ竜のシイナ。アンダーヒルと目を合わせたまま、微動だにしない。
普段の俺と同じだな。目を合わせると、威圧感すごいからな。アンダーヒルの無言の圧力には勝てる気がしない。
すっ……。
ピクッ。
アンダーヒルが手を伸ばした瞬間、チビ竜は身体を震わせた。しかしすぐに首を伸ばして、さっきのようにアンダーヒルの手の匂いをふんふんと嗅ぐ。
その時、初めて気づいた。
アンダーヒルの右手はチビ竜の方に差し出されているが、腰の辺りに下ろされた左手の指が揺れている。
(まさか――)
精密な狙撃の腕を持つアンダーヒルは、当然制体術に長けている。そんな彼女が意識下で身体を無意味に動かすことはほとんどない。つまりあの指の動きは無意識のもの。彼女が冷静でない証拠だった。
現に今の彼女は、いつになく頬はほんのり赤く染まり、その口元は微かに笑みを浮かべている。普段の人形よりも表情の薄い彼女にしてはかなり珍しい状態だった。
「何ですか、シイナ」
――つまり、そわそわしていた。
いつものクールな態度は変わらないが、要するにアンダーヒルもこのチビ竜に触りたかったのだろう。
「いや、何にも?」
「含みがありませんか……?」
少しムッとした表情で見上げてくるアンダーヒル。普段とは違った表情に沸き上がってくるからかいたい悪戯心を抑えつつ、今やアンダーヒルの指を赤い小さな舌でペロペロと舐めているチビ竜を目で指し示す。
「抱いてみるか?」
「いいのですか?」
もはや触りたい気持ちを抑えている理性は残りわずか、といったアンダーヒルの返答に思わず苦笑する。
「別に俺のじゃないからな」
などと笑いつつ、受け渡し完了。
チビ竜は何故か匂いを気にすることなく、素直にアンダーヒルの腕の中に収まる。
どういうことだよ。
(……ま、何だかんだこれでよかったかな。ネアちゃんは一応さっき抱いてたし)
目の前の光景は、今までに見たことのないものだった。
首を振る度に一瞬停止するような鳥独特の動きで腕の中からきょろきょろと辺りを見回すチビ竜。それを見て、ほんの少し頬を緩める黒衣の少女。
それを見て、俺はこう思っていた。
(――うん、俺ジャマだな)
目の前でチビ竜を目で愛でている完全無欠の無敵無表情情報狂狙撃手、人前では病的なまでに自分を隠そうとする悪癖――性質がある。
困ったことに彼女は、人目につかないところでしか素の姿、年相応の姿を表に出さないのだ(普段の姿も素の一部らしいが)。
「ミキリに見せてやれよ。刹那にはミキリのところにいるって伝えておくから」
年下で幼いミキリと二人だけの時は若干いつもと様子が違うことも薄々感じていた。それ故の提案だ。
「はい、わかりました」
アンダーヒルの返事を聞くと、俺は踵を返した。
――これが一週間前の夜の話だった。
今は思う。
何か変わったことがあると――。
特にアプリコットが関わっていると――。
――特に個性の強い連中ばかりが集まる≪アルカナクラウン≫においてそれは危険を呼び寄せるフラグ。
否、トラブルを報せる危険信号のようなものだ。
(このパターン、何回目だ……?)




