『汎発竜匣パンデミック・a』
「シイナ……」
熱い吐息、上気する頬。
いつもは驚くほどに強靭で剛胆な彼女は今――俺を頼るようにか弱げに身体を寄せてきている。そして艶かしく潤んだ瞳で俺を見上げてくる。その瞳孔はまるで焦点が定まらないとでも言うように揺れ、視線は俺を弱々しく見つめつつも虚ろに中空に結んでいた。
抱き抱える俺の腕に、彼女は縋るように右手でしがみついてくる。至近距離で密着する身体から伝わってくる体温はただただ熱かった。
「シイナ……あんまり見ないで……」
羞恥に染まるその表情。しかしわずかに釣り上がったような双眸には、やはり普段の強気な彼女を思わせる鋭さが宿っていた。
胸の前では左拳が緩く握られ、はぁはぁと荒い呼吸を繰り返す度にその左手も連動して上下している。
俺は、彼女の頬に手を当てる。
手が触れた瞬間、彼女は電流が走ったようにピクッと震え、微かな喘ぎ声を漏らして身を捩った。
「大丈夫か、刹那」
「当ったり……前でしょ、バカ……シイナ……。それより早くっ……」
言葉が途切れる。刹那は両手で自らの身体を抱き締め、身体の奥から湧き上がる感覚に悶えるようにブルッと身震いする。
「俺に全部任せて、お前はここで休んでろ。わかったな」
こんな時にわざわざ言うのも何か違う気もするが、普段とのギャップも相俟って今の彼女は異常なほどに愛らしく、狂おしいほどに魅力的だった。
保護欲と言えば何処となく違う気もするし、征服欲と言えばさすがに聞こえが悪すぎる。しかし、いずれにせよ何かしらの本能に訴えかけてくるのだった。このままここにいると、彼女に何かしてしまいそうなほどに。
俺は刹那に負担をかけないように彼女の身体をベッドにそっと横たえ、濡れタオルをその額に乗せると、用意しておいたもう一枚のタオルを濡らす。そして火事の時にするようにその濡れタオルを口と鼻に軽く押し当て、静かに部屋を後にした。
静かな廊下。
人の気配すら感じられないのは廊下だけに留まらず、建物全体にひっそりとした沈黙と確かな害意が充満していた。
≪アルカナクラウン≫ギルドハウスは今、謎の感染爆発により全体が危険地帯と化していた。
(原因……があるとすればやっぱり、アレなんだろうな……)
病気というシステムが存在しないFO(あるいはDO)において何故こんな事態が起こったのか、起こり得たのか。
それを説明しようとすると、話は一週間前にまで遡る――――。
一週間前――――≪アルカナクラウン≫ギルドハウス。
「またお前か、このトラブルメーカー」
「またボクだ♪ くっくっく、トラブルクリエイターだなんて照れちゃいますね」
「そんな言葉を口にした覚えもそこまで上位に置いた覚えもないけど、確かにそれはお前を一番うまく表してると断言できる」
「トラブル手榴弾♪」
「前言撤回、あぁなんかもうそれ、ぴったりすぎてびっくりしたぞ」
人の迷惑省みない辺りとか、ところ構わず撒き散らすとことか、不意打ちされたら対処できないとことか。
「取り敢えず専用の解決請負人は何処だ? 今なら報酬弾んじゃうぞ。なんならボーナスも……」
「え? トラブル豆鉄砲?」
「あぁ、うん。奇遇だな。俺も今、お前に対しては何しても無駄なんじゃないかと思って――悟ってしまったところだ」
「厄介事製作専門会社――」
「頼むからもう少し社会的会社を作ってくれ。いや、お前は起業するな」
「――の窓際族、通称“無意味な逃亡者”」
こんな逸材を放置する会社の人選基準が怖い、とでもツッコんでやろうかと思ったが、アプリコットとの掛け合いを楽しんでいる自分に気付いて戦慄する。
「まぁ、そんないきなりトラブル扱いは勘弁してくださいよ。別にトラブルマイスターだからって常にトラブってるとは限りませんし、現に今も大凡トラブルとまでは言えないでしょう。見てくださいよ、あの素晴らしいアニマルセラピーっぷりを」
「そのアニマルのアブノーマルっぷりも凄まじいことにも気付こうか」
ため息を吐き、一拍置いて自分を落ち着かせつつ、色んなタイプの騒乱に包まれた一階エントランスホールに再び視線を落とす。
手すりにもたれ掛かったりなんかしてだらしなく見えるかもしれないが、これは諦めと呆れからくる不可抗力だ。
「――それはともかく本気でどういう状況だ、アプリコット。と言うかアレは何だ?」
「所謂ドラゴンパピーって奴ですね。ドラゴンの幼生です」
視線の先。
刹那・リュウ・シン・ネアちゃん・リコ・詩音・アルト・スペルビア・ミストルティン、そしてメイドの理音・射音。
総勢十一人で取り囲む赤いカーペットの上には翼の生えたトカゲのような小動物が鎮座し、小鳥のような仕草で周囲を見回してはしきりに首を傾げていた。
ドラゴンとはいえまだ子供では十一人に囲まれて怖いんじゃないかとも思ったが、ドラゴンパピーは丸いくりっとした目で「なに? なに?」と好奇心旺盛に小動物特有の無邪気な可愛さを振り撒いている。
他の連中はともかく、小動物の“可愛い”が基本的に通じない刹那が楽しそうにしてるのは珍しいな。
「んで、そのドラゴンパピーがどうしてウチに? まさかついに捕獲までできるようになったのか、お前」
「いやいや、そんなまさかして。フィールドだけならテイムスキルも二十種近くありますからまだしも、対象ほぼ無制限で半永久的にお持ち帰りまでできるテイムスキルなんてFOにもたった三つしかありませんよ」
むしろあることにびっくりだった。
FOのモンスターは大体が、強いか群れるか無難かネタか、あるいは外れて厄介か。簡単に倒せるような単純な弱小モンスターというのは思った以上に数が少ない。
あくまでもその有用性で選ぶなら、やはり強いモンスターか(敵に回すと)厄介なモンスターを選ぶことになるだろうが、それをテイムできると言うのはかなりのバランスブレイカーだ。FOに関しては、バランスを無視した武器やスキルなど今さら言うまでもなく多数存在しているわけだが。
「まぁ、その内ひとつは刹那んの持ってた【精霊召喚式】になるわけですけど」
よく考えれば確かにそうだった。アレは召喚系スキルという側面が強かったから先入観が働いていたらしい。気がついてみると今さらな話だ。【精霊召喚式】はユニークスキルだけに発動できる場所は選ばない。
現に刹那は一度、キレた拍子に街中で『始まりの初見殺し』を出現させ、その特性『大地喰らい』で喧嘩の相手だけでなく周囲にいた野次馬含めた数十名を丸ごと死亡させている。
その一件で付いた二つ名――もとい忌み名が『歩く天災圏域』なわけだが、閑話休題。
「それでテイムじゃなきゃ何なんだ?」
「まぁ、イベクエのひとつですね。詳細を省けばドラゴンの卵を孵して、一定の大きさまで育てるイベントです。こう見えて暇人なんですが、日増しに暇時間が増えましてね。日交ぜに誰かを弄るのにも飽きたので暇潰しに受けてきました」
「どんだけ暇なんだよ……」
「こんだけ♪」
見たままです、とばかりに手を広げるアプリコットの額にチョップを叩き込む。
「なんばしよっと?」
「なんでいきなり方言なんだよ」
口を上向き三角にして不服そうにふざけるアプリコット。付き合わず突き放そうか、取り合わず取り繕おうか迷った結果のチョップだったが、この顔見てるともう一発打ち込みたくなるな。
「あなたたちは何をしているのですか」
アプリコットとまっすぐ目を合わせて見つめ合いながら何処にチョップを打ち込もうか考えていると、スッと音もなく視界に踏み込んできた黒い影が声をかけてきた。
アンダーヒルだ。
「ちょっとお互いの憐哀模様を確かめてました」
「憐れみ合ってどうすんだよ……」
「あれ? どうしてバレました? もしかしてシイナ、ボクの台詞読んでますかね。そのつまり、台本辺りで」
「台本なんかあるか。……あー、なんでこんな変人と無駄に通じてんのか」
「この性格破綻者♪」
「お前にだけは言われたくねえな♪」
あははは、と笑い合う二人(残念なことにその内一人は俺だが)をよそに、アンダーヒルはため息を吐いて手すりに歩み寄り、下の喧騒に目を遣っている。
件のドラゴンパピー、今はネアちゃんに抱き上げられているようだ。その露出した肩に掴まるように右前足をひっかけ、ネアちゃんの胸元であやすように揺らされながら、キョロキョロといつもより高い視線を楽しんでいる。
羨まし――いや、何にも。
「おやおや、アンダーヒルまであのドラゴンパピーに興味が?」
「いえ、興味というほどではありません。強いて言うなら危惧でしょうか?」
「器具? こ・れ・か♪」
「待ってましたとばかりに首輪取り出すな自分に着けてろ」
リードの繋がった首輪をしょんぼりしながら自分に着け始めるアプリコットから目を逸らし、アンダーヒルに向き直る。
付き合いきれん。
「それで危惧って?」
「いえ、アプリコットの言っているイベントクエストはおそらく[Raise Event "Dragon's Cradle"]。FOに存在するドラゴン系モンスターからランダムに選ばれた種の幼生個体を成竜まで育てる育成クエストです。今はまだ大した大きさではないですが、仮にもドラゴンです。このまま屋内で育てるのは難しいかと。それに――」
「それに?」
「――あの個体の成竜がどの種なのか、凶暴な種類だった場合は危険です」
「くっくっく、その危ういランダム性こそこのテのイベントの醍醐味でしょうに♪」
「お前自身のギルドでやれ」
首輪から伸びたリードの先をズビシッと俺に突き付けてくるアプリコットの額に手刀と現実を叩き込みつつ、再び下を覗く。
「今はあんなだけど、バグスリード・ワイバーンとかだったら刹那のヤツ泣くな……。確実に」




