『奇行師アプリコットの遊臥な一日・b』
十時二十九分――――港湾都市ヴァワンの街外れ、最東端広場の一画。
「アプリコット。私、前にも言わなかった? せめて事前会議前後で情報を錯綜させるのは止めなさいと。私たちは皆、モンスターの討伐と聞いてたのに話が違うじゃない」
腕を枕にして街路樹の枝で器用に寝転がるアプリコットの耳に怒りに震えるイネルティアの静かな声が届き、アプリコットはピクリと身体を震わせる。そして顔に乗せていた本を取り上げて起き上がった。
「そう言われて省みてみれば聞いたことがあった気がしないでもないですね、具体的には二十四回ぐらい♪」
枝に腰掛け、足をぶらぶらさせるアプリコットは事も無げにそう言ってのける。
「一回一回覚えているのならどうして改めようとしないの……」
イネルティアのこめかみが引き攣り、額に手を添えて頭痛に悩まされるかのように項垂れる。
しかし、アプリコットはそんな様子に気付きながらもいつも以上にいつも通りな台詞を並び立てる。
「数えるのが精一杯でいちいち内容まで斟酌してらんないんですよ。ほら、ネルって会う度に色々説教してくるじゃないですか」
「誰が悪いと思ってるの……? ねぇ、アプリコット。ぶっ飛ばしていいかしら」
イネルティアは巨鎚【荒廃の残響】を強く握り、わずかに足を引いて後方に構える。
「や、痛いのはマジ勘弁してください。いちいち報復するのも面倒なんで。あ、でも面白いのは大歓迎ですよ。ところで報復絶倒って言っても意味通ると思いませんかね? 倒れるのは自分じゃなく相手側ですけど」
「はぁ……。それで、どうするのですか、リーダー」
今朝ギルドを訪れたアプリコットは、珍しくもメンバーを狩りに誘い、『真昼の悪魔』討伐と言いくるめて、この街まで連れてきた。そこでさも理由があるかのように振る舞って本当の目的を言った、という辺りだ。
その本当の目的、というのはアプリコットの個人事情でとあるPKP――プレイヤー・キラー・プレイヤーを叩く、というものだった。ごく個人的な理由、それも知る人ぞ知る彼女の性質、『無意味な演出家』(本人命名)に関係する理由だ。
しかし、そうと知ってなお怒って帰ることもなく、アプリコットを見上げる≪シャルフ・フリューゲル≫のメンバー四人。
一人目は中華の衣装に身を包み、鎚部一メートル、柄部二メートルの巨大なハンマー【荒廃の残響】を使う大人びた少女。種族は霆天華の[イネルティア]。
ふらふらと動き回り、普段は≪アルカナクラウン≫に寝泊まりしているアプリコットに代わり、ギルドを取り仕切る陰の立役者だ。ある意味、アプリコットの一番の被害者とも言えるが。
二人目は【衛聖兵騎】という強力な射程無限のビームスキルを保持し、刃渡り三メートル弱の両刃の大鉾【壊竜】を振り回す大柄な体躯の男。種族は冥界竜の上位種、終焉竜の[ツクヨミ]。
ベータテスターでもある彼はアプリコットとの付き合いが四人の中でも一番長い。そしてアプリコットの悪戯に辟易しつつも、他者への悪戯には嬉々として参加する困った性格の持ち主でもあったためアプリコットとの相性は悪い意味で抜群で、イネルティアの悩みの種のひとつでもある。
三人目は黒いローブを着込んだ『天外比隣』と呼ばれる謎多きスナイパーで、少女のように小柄な少年。種族は夜精霊の上位種、夜天神の[ストレローク]。
残念ながらアプリコットにとって遠距離狙撃の腕なら(一部の人にしか理解できない比較対象になるが)[アンダーヒル]すら凌駕するほどの実力すら眼中になく、極度のコミュ障のせいでいじられやすいというアイデンティティを持っているだけの人物だ。
そして四人目、真っ白で豪奢なドレスローブに身を包んでいるが、その派手な外見と打って変わってフードで顔を隠し、寡黙な雰囲気を纏った少女。獣人の[仮名]。
彼女についてはアプリコットですら放置を決め込むほど徹底している危険人物。しかしそれでも、目の届くところに置いておかないと何をされるかわかったものじゃない、と考えてしまうほどの人間だった。
(あぁ、もう気持ち悪いですね。そばに置いておけば置くほど思い知らされる気分ですよ。こんなに自分に近い馬鹿がいるなんて――)
アプリコットが仮名を見下ろしながらそんなことを思っていると、カナはそんなアプリコットを見上げるようにギンッと睨み付け、
「――何?」
悪意と害意に染まりきった凶悪な目とは裏腹な気味が悪いほど澄んだ声――――アプリコットは思わず怖じ気が走った。
「いえ、何でもないですよ。仮名」
心からの笑顔を顔に貼り付け、アプリコットは仮名に向かってそれだけ返す。傍から見ているイネルティア、ツクヨミ、ストレロークからすれば、二人の謎の確執を知っているために冷や汗ものだったが。
「それじゃそろそろ行きましょうか。呼び出しておいた――もとい誘い出しておいた時間ももうすぐですしね。確か」
アプリコットが木の上からスタンッと飛び降りると、場の雰囲気が一転した。
「何時に待ち合わせをしたの、アプリコット」
「十時四十二分です」
「また中途半端な……」
イネルティアが頭を抱える。
その時、それまではずっとアプリコットを楽しげに眺めているだけだったツクヨミが初めて口を開いた。
「それで相手は誰なんだ、アプリコット。俺らにケンカ売るなんて相当のアホか分不相応な天才か、どっちかだ」
ここにいる五人は、既に全員がカンスト――つまりレベル1000に達している。
それは霆天華・終焉竜・夜天神と五人中三人が1000レベル派生の上位種族であることからもよくわかるだろう。他の二人に関しても、アプリコットはあえて天使種で止めているし、仮名の獣人には上位種族がそもそも存在しないだけだ。
「Redrumっていう名前なんですけど、四人とも聞いたことありませんかね?」
「知らないわ」
即答するイネルティア。
「ないな」
即答するツクヨミ。
「……?」
首を傾げる仕草をして、知らない、とばかりに首を横に振るストレローク。
「誰?」
ばっさりと切り捨てる仮名。
彼の名誉の――悪名誉のために補足しておくとするなら、この四人はそれぞれ『アプリコットの求める答えとは逆を返したい』『ただ忘れているだけ』『標的の名前なんてどうでもいい』『知っていても知らないと答える』と各々理由があり、少なくとも一度は関わりを持っているのだ。ただ単に変わった連中が集まっているというだけで、運が悪いというだけの話である。
「最近、巷で有名なPKPらしいんですけどね」
そういう意味では『何となく』という、常人には(と言うか本人以外には)理解できない理由で知らない風を装っているアプリコットが最も性質が悪いのだが。
「ただでさえ警戒心の強い連中をどうやって呼び出したの?」
「そりゃもう人質っつー感じの企業秘密に決まってるじゃないですか、まったくもー。ネルはまったくまったくもー、そのぐらいわかってるくせにドジッ娘気取ったりしてやっるー、やっふー♪」
「あなたにマトモなことを聞くものじゃないわね、腹立たしい」
「それで場所は何処なんだ」
自分の台詞の直後にわざとらしくマトモな質問を挟むツクヨミをイネルティアが睨み付けると、その顔が見たかったとばかりに笑みを浮かべる。
「このサディスト……」
恵まれない職場である。
「ここから街の東に少し出たところに『天恵の植物宴』っていうフィールドがありましてね。ま、仮にも相手はPKPですから、気を抜かず気楽にいきましょうか。周りは隠れられるところだらけですから、ボクはだらけてますけどね。ローク、今回はあなたの出番も多くなりそうですよ――」
アプリコットの言葉を聞いて、ストレロークが意気込むように、純白と言えば聞こえのいい白色の狙撃銃【幻筒・蜃】を担ぎ直した。
「――珍しくもね」
途端に失意体前屈へと移行した。




