『奇行師アプリコットの遊臥な一日・a』
五時ジャスト――。
アプリコットの朝は早い。
まだ誰もが寝静まり、日も昇り始めない闇の中からアプリコットは姿を現す。
闇の中というか、布団の中からだが。
≪アルカナクラウン≫ギルドハウス一階エントランスホールあるいは二階ロビーに据えられたソファ。このギルドにおいてはそれがアプリコットの特等席であり、観客席であり、そして同時に彼女にとって唯一のプライベート空間だった。
「んー…………ぁっ」
のそのそと布団から這い出した――四つん這い出したアプリコットは言わずと知れた二度寝防止策“伸び”をして、寝ている間に凝り固まった筋肉を解し意識を覚醒させる。
こう見えてアプリコットは寝相がいい。寝ている間はその場所を微動だにせず、姿勢を変えることもほぼない。ギルド内でまことしやかに囁かれている『アプリコットは寝相が悪い』という噂は、実際は狸寝入りをしている時の彼女だった。
四つん這いからペタンと腰を下ろして割座(おそらくもっとも有名な別名は所謂“女の子座り”だろうが)の姿勢になったアプリコットはさらに二度寝防止策を講じ――、
「ふぁ……眠……」
――欠伸をする。
意外と知られていない雑学だが、自然とやっているこの開口動作は上下の顎骨間の筋肉を引き伸ばすことで大脳皮質を刺激し、一時的に意識を覚醒させる効果がある。
そして二度の二度寝防止策を講じて、不慮の二度寝オチを回避したアプリコットはゆらりと死から目覚めるゾンビのように身体を起こすと――――ぽてっ。
毎朝恒例の光景。後ろのソファに倒れ込み、誘惑にあっさり敗れて二度寝に入ってしまった。
そしておよそ十分後の五時十三分――。
またも唐突にパチンッと、アプリコットの目蓋は開いた。
実のところ、これが彼女の本覚醒だ。
「よいしょっ……とっ」
手を使わずに起き上がったアプリコットは勢いのままにソファから降り、カーペットの床の上で一度前転して立ち上がる。
「さて。【人形なれど傀儡に非ず】」
完全に目を覚ましたアプリコットがまず向かうのは本来の自分のギルドハウス。クラエスの森の中心辺りに位置する寂れた教会だ。むしろ教会のような形をしているだけの廃墟と言うべきだが。
特異なユニークスキルを使って、一瞬でそのギルドの前に飛んだアプリコットは蝶番の取れた木製扉を開ける。
「いますか、ネルー」
アプリコットが爽やかな笑みと共にギルドハウスに足を踏み入れると、次の瞬間――――ギュルンッ。
「へ?」
絞るように足首を縛り上げてきた鎖に逆さまに吊り上げられ、アプリコットはぶらぶらとミノムシ気分で冷や汗をかく。
笑顔を顔に貼り付けたまま。
「アプリコット」
カツンと石造りの床に足音を響かせ、≪シャルフ・フリューゲル≫副団長、[イネルティア]が石柱の陰から姿を現した。
「やっほー、ネルー。昨日ぶりぃっつって挨拶もそこそこに置いといて」
アプリコットはブランブランと振り子運動を実体験しながら、イネルティアに向かって視線を送り、
「何事?」
上下逆さまでアプリコットが訊ねる。
「捕獲作戦よ?」
「何故?」
「昨日何をしていったか憶えていないとは言わせないわよ、アプリコット」
「何様?」
「ぶん殴ってもいいのよね、アプリコットぉおおおおお?」
イネルティアが巨鎚【荒廃の残響】を振り被り、「【閃脚万雷】」と呟き、超速駆動の雷化状態になる。つまりイネルティアにとっての本気モードだ。
周囲に弾けるように散る紅雷に、さすがのアプリコットも口元が引き攣っている。
日課のように毎朝このギルドを訪れているアプリコットは、その度に徒に悪戯を仕掛けて帰る。
例えば昨日は、現在このギルドハウスに寝泊まりしている四人のメンバーの誰も起きていなかったのをいいことに麻痺ガスグレネードと催眠薬拡散爆弾を用いたハイブリッド・ワイヤートラップを、それはもううんざりするぐらいな量を山ほど仕掛けていった。
使用したワイヤーは、巨塔第二百二十三層『動無き大河の楽園』のギリーモンスター『ステルスパイダー』から採取できる難燃性高張力の超極細蜘蛛糸。糸自体も不可視で、生半可な武器では斬れない強力なアイテムだった。
ワイヤートラップに使うまでならわかるだろうが、まさかそんな動機で使われるとは思ってもみなかっただろう。
四人が起きた時、ギルドハウスがトラップハウスに変わっていたら驚くだろうが、それ以上に厄介だったのはアプリコットの仕掛けたワイヤートラップは無駄に多彩でかつ緻密に計算されて仕掛けられていたため、全てを解除するのに半日以上を費やした、ということだった。
ちなみに一昨日はその辺の木片と可変オブジェクトを加工して作ったゼンマイ式暴走戦闘木人形『ぱわふる鉄拳クン・改』を八十体ほど置いていった。
不規則な動きと意外な耐久性能、そしてその割に貧弱な攻撃力と場合によっては周囲の他の鉄拳クンと引っ掛かって全力で自滅する狂乱具合がチャームポイントの、超愉快型悪戯グッズである。
性質が悪い。
「……あれ? 正直憶えてませんけど、ボク何かしましたっけ?」
きょとんとした表情で、逆さ吊りのまま器用に首を傾げるアプリコットを前に、イネルティアはがくりと肩を落とす。
普通なら苛立ちが即座に怒りに変わってもおかしくない場面だが、ことアプリコットに関しては付き合いが長い人間ほど彼女の呼吸のような悪戯には諦めているフシがあるのだった。
呼吸というか過呼吸だが。
それでも人が離れていかないと言うのもかなり不思議な現象だが、ある種一番かけ離れている人徳というヤツだろう。
ある意味フレンドリーとも言えそうだが、かの『超近接舞姫』[詩音]の無邪気に裏付けられた本物と比較すれば、アプリコットは遠慮がないと言う方が正しいだろう。
強いて言えば社交性が高く社会性が低いのがアプリコットで、逆に社交性が低く社会性が高いのが詩音なのだった。
「さて、逆さ宙吊りにも飽きましたね」
よいしょ、と軽い調子で上体を起こしたアプリコットは瞬時に取り出した小剣をヒュンッと投擲し――――ギィンッ!
「【武猫息災】」
鎖を切り、受け身スキルで空中で回転してスタンと危なげもなく着地する。そして、着地直後に空いていた両手を猫手にして顔の横に持ってくると――
「にゃん♪」
アプリコットは悪戯っぽい笑みを浮かべて猫のように目を細め、すっぱりと切れた鎖を見つめて「ありえない……」と呟くイネルティアにすり寄ると、
「今日も楽しい日になりそうですよね♪」
クスクスと心底楽しそうに笑みを溢した。




