(45)『可笑しいです』
確かに俺たちは、この事態を引き起こした儚に荷担し、二度も仲間を傷つけた彼女を倒そうとしていた。
嘲るように笑う彼女にはっきりと敵意を抱いていたし、それは殺意にすら値するものだった。彼女はハカナに辿り着くまで、あるいは何度も戦っていたかもしれない最大の障害だっただろう。
火狩を倒せたことは、とはいえおおよそ倒せたとは言えない最期だったが、彼女を排除できたことは塔の五十層分のクリアにも匹敵する戦果だろう。誇るべき、そして喜ぶべき、今回の勝利がもたらした結果。
これはまぎれもなくDO攻略に、そして全体の空気にプラスに働く。
それなのに――
「――スッキリしないな……」
ギルドハウスに戻った俺は、明るく出迎えてくれるネアちゃんたちを適当にあしらい、部屋に直行し、ベッドに寝転がって天井を眺めていた。
こういう気分の時に部屋に閉じ籠るのは本来いい影響は与えないのだが――むしろ悪影響ですらあるのだが、部屋から出る気力が湧かなかったのだ。
もしかしたら当初の目的である災厄の対剣が火狩の言っていたとおり手に入らなかったことも無意識に影響しているかもしれないが、少なくとも今は自暴自棄気味にどうでもいいとさえ思っていた。
後味が悪い。
まるで人を殺したみたいな気分だった。無論経験はないが。
悪夢を見た直後の、胸がざわつくような感覚に似ている。
自分の手で倒したかったとかそういうのじゃないのはわかる。例えば彼女が滅びの隕石に運悪く当たってしまってライフを全損していたとしたら、それはそれで納得できていたんだから。
じゃあ、なんで俺はこんなにも悩んでいるんだろう。そもそも俺は――――何を悩んでいるんだ?
コンコン。
その時、ノックの音が聞こえた。
「……誰だ?」
「私です」
ドアの向こうから聞こえてきたくぐもった声は、アンダーヒルだった。
「少しいいですか?」
「……悪いけど、一人にしといてくれ」
人に会える気分じゃなかった。
扉の向こうのアンダーヒルは、数秒間、沈黙を保った。まるで躊躇のように。
「シイナしか……」
か細い声が聞こえてきた。
「シイナしか縋れる人がいないのです……」
あぁ……。
やっぱりあの情報家は策士だ。
意識的にやったかはわからないが、俺はどんなに荒んでいる時でも縋りついてくる弱いものを乱暴に振り払うことはできない。
「鍵開いてるから……入ってこいよ」
「ありがとうございます」
ベッドから身体を起こして迎える体勢を整えると同時にカチャリと音がして、アンダーヒルが中に入ってきた。
「申し訳ありません、シイナ」
「謝らなくてもいいよ」
もしかしたら誰かと話せば少しは気が晴れるかも、と思っていたのも事実だ。それなら知らずとはいえ、ギブアンドテイクというヤツだろう。
「それで何か用か?」
何の話だ? と聞かなかったのは、内心来るかもしれない話が怖かったからかもしれない。しかしアンダーヒルはそんな俺の心の動きを気にも留めない様子で、
「火狩のことです」
直球でそれをぶつけてきた。
「私の判断は、正しかったのでしょうか。あるいは彼女ときちんと話をできていれば、違う結末になっていたかもしれない。そう思ってしまうのです」
アンダーヒルは淡々とした台詞を、泣きそうな声で吐露した。
「話か……」
「これはあくまでも想像に過ぎないことなのですが……」
「言ってみろよ」
ギシッとベッドが軋む。アンダーヒルが四つん這いになって上がってきたのだ。
「……彼女は、火狩は……≪道化の王冠≫だったのでしょうか……?」
「は……?」
どういうことだ? と呟くように続けると、俺の正面に正座したアンダーヒルはまだ何処か迷っているように目を泳がせる。
「アイツは……道化の王冠、俺たちの敵だ。いずれ倒すべきだった障害だ」
俺はアンダーヒルにそう告げつつ、自分にも言い聞かせていた。
「俺たちがどれだけ現実に帰りたいかなんてアイツは理解できない。アイツには帰る現実がないんだからな――」
アンダーヒルの様子を窺うと、俯いたまま何処か寂しげな表情を見せていた。続く言葉を先読みしているのだろう。あまり聞きたくない、と思っていることもなんとなくわかった。
それでも勢いで口をついて出た言葉は止まることはなかった。
「――アイツはNPCなんだ」
アンダーヒルの膝に添えられた右手がぎゅっと握られるのが視界に映る。
「はい、火狩はNPCです」
アンダーヒルの返答にホッとする――――のも束の間だった。
「だからこそ」
心臓が跳ねた。
「彼女は、上位の次元を知るハカナに抗えなかったのではないでしょうか」
「……どういう意味だ?」
「ハカナは突発的にこのDOを産み出したわけではありません。計画的に、恐ろしいほど用意周到な凶行です。つまり……火狩はFOが正常に稼働していた時、既にこの計画を知っていたことになります」
「え? いや、そりゃあ……」
当たり前、だよな。メンバーなんだから。アンダーヒルは何が言いたいんだ?
「あるいは彼女はこう考えたのかもしれない、ということです」
アンダーヒルは『もしかしたら』の火狩の心情を語り始めた。
ハカナにDO計画に勧誘された時、火狩は選択を迫られる。ハカナに協力するか、勧誘を拒否するか。
そして、火狩は気付く。
この計画が実行されたら、火狩がいるいないに関わらずこの世界は娯楽としてのアイデンティティをなくし、外の人間たちを閉じ込める箱庭になる。確実に、危険な代物だったと判断される。そしていずれ、DOは必ず攻略される。ハカナがいくら強くたって、物量戦になれば勝つことは万にひとつも通り越して確率的に存在しない。
そうなれば、閉じ込められていた人間たちは解放され、この世界に手を出さない理由はなくなり破壊される。
実際は、重要な証拠として保管されることになるだろうが、この世界のみの存在である火狩には外の世界のシステムなど知る由もなく、上位の次元の意思に逆らう手段も持っていない。
彼女にとっては、ハカナに協力しDO攻略を進めようとするプレイヤーたちをひたすらに狩り続けることが、自分が存在を許されたただひとつの世界を一秒でも長く残すための唯一の手段だったのかもしれない。
そこまで話したアンダーヒルは、スッとローブの中から差し出した左手をゆっくりと俺の方に伸ばし、右膝に乗せた。
「思えば、彼女にとって私たちを倒すことは簡単だったはず。【零】というスキルの出所は未だ不明な点もありますが、あれだけの強力なユニークスキルを集め、近接戦闘にも長けていた彼女のことです。彼女が私たちに向けて見せていた性格を鑑みても、むしろ私たちに一人も脱落者がいないというこの結果は不自然です。もしかしたら……」
「わざとだったって言うのか? 今になって、今さらになって……」
だとしたら彼女は、火狩はただ生きたかっただけの、不器用な被害者になる。
「わかりません。私はもう、自分が何を言っているのかもよくわからない。私は、そんなことを考えてしまった。今まで気づくこともなかったことに気づいてしまったために、今の私は……」
酷く動揺しています、と呟いた。
あぁ、コイツは……確かに俺に縋りに来たんだ。
誰のためでもなく、ただ自分のために。誰かとこの思考を共有し、少しでも気を楽にするために。俺がどう思うかをあえて考えないようにして来てくれたんだ。
俺の膝に置かれた手は震えていた。
「……もしそうだったら、火狩は……」
とても悲しい存在です、とアンダーヒルは続けて呟く。
俺はどう答えて――応えてやるべきなんだろうか。慰めの言葉が見つからない。
だからだろうか。俺は気がつくとアンダーヒルの手を取り、抱き寄せていた。
アンダーヒルが、びっくりしたように目を見開いて見上げてくる。
「っ……な、泣いてもいいぞ」
泣きたかったら、と尻すぼみになりつつもそう言い切ると、
「…………格好よく見せようとしすぎですよ、シイナ」
くすくすと笑いをこらえるような調子で、アンダーヒルはそう言った。
「ほっとけ」
我ながら間違えたと思う。俺も疲れてるんだろうな、穴があったら埋まりたい。
しかし……彼女がこんな風に笑うのを見るのは初めてだったから驚いたが――――何というか、こうして見ると年相応だな。
椎乃と同い年と考えると、やはり大人びているのは事実なのだが。
「可笑しいです」
「笑いすぎだっ」
泣くぞ。今でさえSAN値をチェーンソーでガリガリ削られてる気分なのに。
アンダーヒルは身体を離すと、ストンと尻餅をつくようにベッドに腰を下ろした。かなり無防備なポーズだ。
「大丈夫です、私は……あなたの前ではもう涙は見せません」
「俺の前では?」
「はい、あなたにはもう、幾度となく私の弱みを見られてしまいましたから」
「幾度となく、ってほど多くはないし、弱みって人聞き悪いな、おい」
「概ね、事実と相違ありません」
アンダーヒルはきっぱりと言い放つ。
俺ってコイツの中でどんな扱い……っていうか俺が何をした。
「涙と弱さは別モノな気がするけど……それより大丈夫なのか?」
俺がそう訊くと、アンダーヒルは少し思案するような表情になって、
「話して少しすっきりしました。まだ考えてしまう部分はありますが、実のところ今は仕事が溜まってしまっているので……。ありがとうございます、シイナ」
「その仕事、いくつか俺に回せよ。手伝ってやるから」
「シイナでも可能な業務は……」
アンダーヒルはウィンドウを開き、何やら確認し始める。が、段々とその表情はいつもの怜悧な彼女に戻り始め、少し気まずそうに沈黙を守り続けた。
「ないのな」
「すみません」
「謝ることじゃないだろ」
悪いのは俺のスペックの問題で――――うん、また泣きたくなってきたね。これだから仕事のできないGLだなんて言われるのかもしれない。さすがに面と向かって言われたことはないけど。
「……いえ、やはり仕事を頼んでもいいでしょうか」
「何かあるのか?」
アンダーヒルはフッと微笑みを浮かべて、言った。
「ロビーに出て、いつも通りにしていてください、お願いします」
やっぱりこの子、ズルい。




