(8)『リアレーション』
一つ目の夜を超え、仲間たちはそれぞれの想いを胸に始まりの朝を迎える。
星の少女が懐に抱くのは不安と恐怖、そして希望――。
何故か俺の身支度が終わるまで待っていた刹那と二人でロビーに出向くと、カウンター近くに新しく置かれた丸テーブルを挟んで、トドロキさんとネアちゃんが向かい合うように座っていた。
トドロキさんの前には美味しそうに焼かれた肉料理の皿が置いてあるのに、ネアちゃんの前には何も置かれておらず、どころか何処か浮かない顔で俯いていた。
その目元に治りかけの泣き腫らした痕を見つけた時、思わず声をかけようとした寸前に、こっちに気付いたようにパッと顔を上げたネアちゃんと目が合った。
途端、ネアちゃんの顔から翳りは消え、花が咲いたような笑顔になる。
「おはようございます、九条くん」
「シイナ、遅い」
料理の皿から顔を上げようともしないトドロキさんに対し、ネアちゃんはわざわざ椅子から立ち上がって軽く頭まで下げて挨拶してくれた――――のはいいのだが、
「リアレーションがあってもこっちで本名を出すのはマナー違反だよ、ネアちゃん」
俺はそう言うと、トドロキさんの『ジブンがソレを言うんか……?』と言いたげな視線から目を逸らす。トドロキさんの場合は最初に半殺しにされた仕返しでそう呼んでいたら、いつのまにか定着してしまったからもう“トドロキさん”でいい。
咄嗟に出てくるのも“トドロキさん”の方になってたし。
ちなみにRealationと言うのは、“現実”と“人間関係”から出来た“現実での何らかの繋がり”を示す造語だ。
「あ、そうでした、シイナさんっ」
その敬称はあまり嬉しくないが、この姿でくん付けは不自然だし、これからのことを考えても仕方ないと割り切っておこう。
トドロキさんの言う通り、男だと――つまりは俺が元ベータテスターだと気付かれないように過ごさなきゃいけないからだ。
気付かれないようにすると気疲れするというわけだな。うまくもないか。
幸い今このギルド内にいる、リュウ・シン・刹那・トドロキさん・ネアちゃん・アンダーヒルの六人(と一応NPCメイド四人)の前では普段通りの俺でいられる。
今までネアちゃん――もとい水橋さんとは殆ど話したことがなかったけど、俺なんかでもリアレーションがあるっていうのは大きいのかもしれない。
「でもプライベート――というか二人きりの時なら俺は気にしない方だし」
「えっ?」
「いつでも俺の部屋に来なよ。頼りないかもしれないけど、ネアちゃんを慰めてあげるくらいのことはできるか――」
何の気なしにそう言った瞬間、パッと顔を上げたネアちゃんの驚いたような顔が視界に入り――――ゴスッ!
「――ぶっ……!」
突然後頭部を堅くて重い衝撃が襲った。危うく舌を噛みそうになりつつも屈み込んだり倒れたりせずに済んだ俺は、痛む後頭部を押さえながら後ろを振り返る。
「あ、ごめん。手ェ滑らせた」
「滑らせた、って要するに故意だよな!?」
刹那は悪びれる様子もなく拳を振り下ろしたような姿勢で止まっている。そして、そのジトッとした責めるような目は、明らかに俺に向けられていた。
「っさいわね。わざとだったとしてもアンタには関係ないでしょ、バカシイナ」
「俺、被害者なんだけど!?」
「私は加害者じゃない。執行官」
「処刑!?」
さすが自己中心的という点では最初から儚並みに論理破綻してる理不尽頭脳の持ち主――――もはや効果的な反論が思いつかないレベルで暴君だった。
「いや、今のはぶん殴られてもしゃあないと思うわ、シイナ」
トドロキさんが笑いを堪えるように口元を押さえながら、何故か刹那に加勢するようなことを言い始める。
さっき目を逸らした仕返しか――――とこれ以上の押し問答は諦めて、カウンター前の背のない回転椅子に腰を下ろす。
そして、何処かボーッとして頬を染めているネアちゃんが脱力するように元の椅子に腰を下ろすと、刹那もすたすたと歩み寄ってきて俺の隣の椅子に腰を下ろした。
かと思うと、ずずっとわずかに椅子を引き摺って俺の方に身体を寄せてきて、ちょいちょいと指を曲げ、“耳を貸せ”のジェスチャーをしてくる。
仕方なく椅子を回転させてカウンターの方に身体の向きを変えると、刹那も同じように回転してカウンターに肘を突き、
「アンタとネアってどんな関係なの? クラスメイトとは聞いてるけど、まさかこっ、恋人ってわけじゃないわよね?」
トントンとカウンターテーブルを指先で叩きながら、囁くようにそう訊ねてきた。
急な質問に驚いて身を引こうとすると、刹那に耳を引っ張られて引き戻される。
「どうなのよ?」
「もしそうならどうなるっていうんだよ」
「殺すわ」
「ただのクラスメイトですっ……!」
思わず丁寧語になるほど冷徹な殺気に、普段なら「どっちを!?」とツッコんでいただろう言葉に即答で返す。
「そっ、ならいいわ。…………ただのクラスメイトに言う台詞じゃないけど」
事実を言ったのにまだ不服そうにぶつぶつと何事か呟いた刹那は、それでも仕方なさげに殺気を鞘に納めて、カウンターに重心を預けた。
「なんでそんなこと気にするんだよ」
「人のこと詮索しないで」
「お前それ十秒前の自分に言えるか?」
「んなことはどうだっていいわ。それよりアンタの本名って九条なの?」
何故そこに食いつく。
刹那とはいえ一瞬躊躇ったが、さっきネアちゃんが言ってしまっていたこともあって、「ん……まあ」とかなり曖昧な適当な答えを返しておく。
「下はシイナのままよね? ってことは九条シイナ? ミドルネームは……まぁ、あるようには見えなかったっけ」
「確かに俺にミドルネームはないけど、“見えなかった”って……?」
「な、なんでもないわよッ……」
何処となく後ろめたそうにカウンターの上に視線を逸らした刹那は、その下で俺の足首の辺りをバシバシ蹴ってくる。
痛いは痛いが、我慢できないことはない。体力が極微量ずつ減っていることは問題だが、こういう刹那が何故不機嫌なのかがわからない場合は、放っといて機嫌が直るのを待つしかない。
のだが――
「で、お前のリアルネームは?」
――思わず訊いていた。
「は?」
驚いたように顔を上げた刹那は、微妙に眉を顰めていた。
「私の名前は高いわよ?」
「あ、いや、やっぱいいわ。本来聞くのもマナー違反だし」
それを言ったら、たった今ネアちゃんにバラされて刹那に確認を取られたばかりだが、ネアちゃんはともかく、刹那は自分のことを棚上げどころか神棚にまで上げてしまうお方だからどうしようもない。
「ヘタレ」
「おい待て、刹那さん。今のくだりでどうしてそのワードが出るんだよ」
「うっさい、ヘタレ」
ガスッと足首を蹴られ、激痛が走る。
微妙にキレた俺は、今朝に限っていつもより無茶苦茶なことが多い刹那は放っておくことにして、椅子を回転させて刹那を視界から外し、
「ネアちゃんは何も食べなくていいのか? もしかして食材系アイテムないとか」
ネアちゃんに話を逸らした。
さっきからどうも色々逸らしてばっかりだが、現実逃避に比べたら可愛いもんだ。
「えっと、今起きてきたばっかりなんです。あっ……えっと、食材は、一応『吠え猪』っていうイノシシさんのお肉が少しだけあるからいいんですけど、ちょっと心配があって……」
「心配?」
「中で何か食べても、外で栄養が摂れたことにはならないんですよね。私たちの身体の方は大丈夫でしょうか……?」
「それは大丈夫だと思うよ」「別に心配せんでええんちゃう?」
俺の言葉に重ねるように、トドロキさんが食べ終えたらしい皿から顔を上げつつそう言った。見ると、にぃ~っと口の片端を吊り上げるような笑みを浮かべている。
「んな、シイナの理由を聞かせてもらおうか?」
トドロキさんは少し挑戦的な語調でそう言うと、食べ終わった食器を重ねて椅子から立ち上がり、慣れた様子でカウンターの中に入って食器を洗い始める。ちなみにこの中では、洗わずにアイテムボックスに皿を仕舞っても『汚れた皿』というアイテムになってしまうため、きちんと洗ってから仕舞う仕様になっている。
三秒ほど言葉を選んだ俺は、まず結論をと思って「儚だから」と一見して答えになっていない前置きを言う。
「アイツの目的は俺たちプレイヤーと一緒に楽しく遊ぶこと、らしいですからね。俺たちがそんなことで死ぬ、なんてことになったら元も子もなく、アイツの目的は果たせない。儚は目的を果たすためなら陰謀染みたプランを立てて、狡猾にそれを遂行できる。それならその点に関しても、問題は解決してあると見ていい」
「せやけど、それじゃ根拠としては弱いやろ。半分希望的観測にもなってんで。少なくとも模範解答とは言えんね」
手早く洗った食器を家庭的な所作ですすぎながら、トドロキさんはちらっと一瞬視線を階段の方に泳がせると、
「ことが起こってから一晩――正確には十二時間半と十一分が経過してる。半日も経ってROLも政府も動いとらんわけもないやろ。まぁ、栄養剤の点滴ぐらいしか方法はないやろうけど」
確かに理には敵っていた。
それなら今閉じ込められている人数の何割かはしばらくの間は大丈夫だろう。
「でも一人暮らしの人とかはどうなるんですか? 家族がいないと閉じ込められてることがわからないですよね。連絡が途絶えたら様子を見に来てくれる人がいるならいいかもしれませんけど、処置が遅れる人やどれにも当てはまらない人が絶対――」
「一般的にはあまり注目されてへんことやからその考えが出れば十分及第点やで。神経制御輪には元からGUSSシステムが付けられとるんよ」
「天然ガス?」
「天然はジブンや、バカシイナ」
最近バカシイナって呼ばれる回数が増えてる気がする……。
「GUSS言うんは気体のガスやなくて、ただの略称や。要するに――」
「Global Understanding-States System――――全域下状況把握システムのことですよ」
突然同じ空間内に平坦な声がして、視界の端に黒い人影が映り込んだ。
「毎度毎度幽霊みたいにこそこそ入ってくんなや、アンダーヒル」
トドロキさんがジト目を向ける先――――ロビーから一階エントランスホールに降りる階段の前にフードを目深に被ったアンダーヒルが立っていた。いつのまにか。
ここにいる四人の内、直前の顔や身体の向きを考えてもトドロキさんと刹那、そして俺の三人がその場所を視界に入れていたはずなのに、二人の様子を見ると上がってくるところを見ていないのだろう。
俺も見ていない。気付いたらそこに現れていたような感覚だった。
アンダーヒルはトドロキさんの台詞に
「幽霊であれば誰に気兼ねもしないかと」
と微妙にズレた答えを返すと、これまた足音一つ立てずにネアちゃんのいる丸テーブルに歩み寄ってくる。
そしてトドロキさんがさっきまで座っていた席に座ると、フードを背中側に下ろして、またしても左目以外を隠していた黒い包帯をしゅるしゅると解き始めてしまった。
「アンダーヒル、主義でも変えたんか?」
驚いたようにトドロキさんが訊ねる。
「主義ではなくある種の保険のようなものだったのですが、とある方に“せめてその包帯はとれ。顔が見えないのはやりにくい”と言われましたので」
その直後、俺とアンダーヒルを除く三人の視線が一斉に俺に向けられた。
なんでわかるんだよ……。
「保険って?」
少し気になって訊ねてみると、
「暗い場所に入った際、右目を使えばタイムラグなしで周囲の状況を把握できます。また、突発的な閃光弾にも対応できます」
その代わり、普段の視界が半分になって距離感が掴みにくくなる。戦闘能力の喪失を防ぐために、普段の戦闘能力を半減させるなんて本末転倒のような気もするが。
素顔を晒したアンダーヒルを見て刹那がハッと息を呑んだが、昨晩の俺のようにはっきり訊ねたりはしなかった。
そもそも影魔種は数多の種族の中でも特にわかりやすい外見的特徴を持つのだ。紛らわしいものがないのだから、わざわざ聞き返す必要はないのだ。
「それでアンダーヒル。そのGUSSってのは結局何なんだ?」
話を戻してそう訊ねると、アンダーヒルは静かな視線をチラッとこっちに向け、
「ROLが神経制御輪に内蔵した犯罪未然抑止を主目的とした各個ユーザの体調等の状態を把握するための機構。その中にはGPS(全方位測位システム)を始めとする位置把握のためのシステムも含まれている」
まるで何かの取扱説明書を丸暗記しているかのような口ぶりだった。
わざと理解に困る小難しい言い方をしているようにしか聞こえないが、本人の表情、というか無表情は至って真面目そのもので、ふざけているようには見えない。
とりあえず個人毎に場所の特定まで簡単に行えるから、処置が遅れることも漏らすこともないのだと理解しておくことにする。
「ウチらはとにかくゲームクリアに集中せんとあかんってことやね」
洗い終えた食器をいつのまにか拭く作業まで終えていたトドロキさんはそれをウィンドウに放り込みながら、何故か俺に向かって慣れたウィンクを飛ばしてきた。
Tips:『GUSS』
Global Understanding-States System(全域下状況把握システム)の略。次世代のVR技術研究の一環で神経制御輪に搭載された機能であり、高精度な仮想現実へのダイブが肉体に与える影響のデータを収集・監視し、必要とあらば感覚接続を強制的に切断するセーフティとしての役割を果たす安全装置。多項目に渡る装着者のバイタルチェックに加え、緊急時にGPSを利用して周辺の医療機関に装着者の所在地を通報する機能が含まれている。




