(36)『スキルアーツが消されても』
俺の妹、九条椎乃は昔から身体を動かすのが大好きで、まさに俺とは正反対なタイプだった。
小学校ではバスケ・水泳、中学校はラクロス・テニスと手を出していた上、運動神経を買われてありとあらゆる運動部の練習試合その他諸々の活動に駆り出されたりしているぐらいだ。
その度に敵(時々味方)に期せずして敗北感を与えていたりもするのだが、それでも好かれるというのはやはり本人の人格に非の打ち所がないのだろう。
俺の妹は誰かに嫉妬することはなかった。自分より高い能力を持つ人間に対しては羨望を持った上で目標にした。
俺の妹は誰かを馬鹿にすることはなかった。自分より能力の低い者にも平等に接し、自分より高いものを見つけようとした。
妹の近くにいるだけで、いい意味での馬鹿というのは、ある意味最高の人格者でもあることをつくづく思い知らされる。
健全な精神は健全な肉体に宿る、という言葉の体現者と言えるだろう。
しかし、椎乃はそれらのスポーツに真面目に取り組んでいたわけではなかった。不真面目、というと誤解を生むかもしれないが、彼女にとってスポーツに打ち込む時間というのはむしろ息抜きだったらしい。
そして、その唯一の例外が小学三年生の頃から自主的に吸収し続けてきたあらゆる格闘技だった。中学に上がる頃にはスポーツとして確立された格闘技から戦闘技術としての格闘術にまで手を出し始めたから筋金入りにもほどがあるというものである。
VR世界の中にいる今ですら、椎乃と喧嘩する気が起きないのは昔から喧嘩で勝った記憶がないからだろう。途中から妹に甘い母親の介入があることも理由のひとつだが。
この[FreiheitOnline]に於いて『超近接舞姫』などという近接格闘のみを評価されたような二つ名を貰っているのもそれ故なわけだが閑話休題。
要するに椎乃にとって近接格闘は――
「はーッ、はーッ……ぃよしっ!」
――呼吸と同じぐらい自然で不可欠な、椎乃のアイデンティティなのだ。
ガッツポーズとかするなよ、まだ終わってないぞ。
詩音の最大威力の直打を受けた火狩は、【局地性暴風刑法】の無限射程の直状暴風にモロに吹き飛ばされ、二十メートル近い距離を転がって地面に叩きつけられていた。
「まったく……好戦的なヤツが多くて困るな、俺の周りは」
「まったくよね」
「まったくだな」
自分のことだと自覚していないらしい戦闘狂筆頭2人が後ろで同意の嘆息をしている。いやいや。
「火狩って刹那さんと兄ちゃんに酷いしたことしたんでしょ?」
詩音は真剣な面持ちのまま、こちらにスッと視線を向けてそう聞いてくる。
「まぁ、あながち間違いでもないけどそれ以前に道化の王冠一派」
「ふざけんじゃないわよ、詩音! アイツは私が――」
「それだけ聞けば充分――」
詩音はそう言うと、ポップアップウィンドウから引っ張り出した白のウィンドブレーカーを肩に羽織り、下にもカットジーンズを出現させる。
「――私の敵だよッ。剣騎装能力【両肢加速器】!」
バキンッと詩音の足元で地面が砕け、詩音の姿が残像となって消えた。
そして、
「【死竜拳】ッ!」
よろけつつも脇腹を押さえて立ち上がったばかりの火狩を、黒い色の炎のようなものを纏った詩音の拳が襲う。
ドカッ!
火狩の頬にクリーンヒットした詩音の直打は、その直後下に向きを変えて火狩を地面に叩きつける。
さっき不意打ちに加えて、今の攻撃で火狩のLPが大幅に減っている。
「お、おい、シイナ。詩音は……貴女の妹はあんなに強かったのか……?」
リコがおそるおそるといった調子の声で訊ねてくる。
「……いや。近接戦闘ではお前より少し上、儚よりは下。アイツはいつも全力だから、普段のアレが実力だ」
「しかし、それでは説明が――」
「ただ違うとしたら、詩音はさっきアイツにあんなにボロボロにされて負けてるだろ。アイツが自分より強いって認めたんだよ」
「……それはどういう……?」
「ホントのところはわからないけどな。少なくとも詩音は自分より強い相手には本気で挑むし、容赦もしないよ」
火狩もどうやら詩音と同じ金属拳使いのようだし。
「【烈風脚】!」
ゴッ!
風の力を得た強力な回し蹴りが再び火狩の脇腹、しかもさっきと同じ左脇腹を抉り、抵抗の余地すらない火狩はまたも地面を転がった。
「アイツにとっては再挑戦のつもりなんだよ。あに……姉としては一人で戦わせてやりたい」
危ない危ない。語り部調になってたから危うく語るに落ちるところだった。キュービストは位置的に聞こえていなさそうだが。
「ま、そういうわけにもいかないけどな」
手にしていた【大罪魔銃レヴィアタン】を左太腿の帯銃帯に落とす。
俺は≪アルカナクラウン≫のGLだから、≪道化の王冠≫を潰さなきゃいけない。これ以上、この馬鹿げたゲームに、儚のお遊びに付き合ってられるか。
一分一秒でも早く、外に出るんだ。
「キュービスト」
呆然と突っ立っている様子のキュービストに声をかけると、
「お前は参戦してもし――」
「これも成り行きだから手伝うよ」
言葉を遮るように笑顔で断られた。
「それになによりここでいいところを見せればアンダーヒル様から直属騎士の任命状がラブレター形式でくるかもしれないし――」
何やらぶつぶつと呟いて一人笑いし始めたキュービストから目を逸らし、
「いくぞ、二人と、もッ……!?」
「――アイツは私の獲物、詩音なんかに取られたら気が済まないわ。ここで火狩を仕留めたら私直々に≪道化の王冠≫の情報を吐いて貰うわ、フフフフフ――」
「――火狩滅ぶべし火狩滅ぶべし。大体、ヤツは前から気にくわなかったんだ。主でもないくせに人を奴隷だの人形だの私を四六時中再三再四散々蔑むなど万死に値する冒涜だ、ククククク――」
刹那とリコは揃いも揃って、嗜虐的な笑みを浮かべてパキポキと指を鳴らしていた。お前らホントに自覚ないの?
多少マトモなの一人は消えて何処にいるのかもわからないし。トドロキさんたちの方だろうか。
そんなことを考えて周りを見回しつつ地面を蹴り、詩音と火狩の戦闘域との間を一気に駆け抜けて間を詰める。
「火狩さん、貴女のことは聞いてるよ。スキルを無効化するのが得意みたいだね」
ハカナが使っていた強力無比の戦法、ベーシックスタイル。彼女とまったく同じそれを使い、かつ大量のユニークスキルを持っていて、ハカナ以上に遥かに厄介なはずの火狩の拳や蹴り足を全て紙一重で躱しながら、詩音はそう言った。
「でも……【昇龍貫雲撃】ッ!」
「ゼ、【零】ッ!」
ヒュンッ!
詩音の昇打が、わずかに後ずさった火狩の鼻先数ミリのところを掠め、火狩の喉がごくりと鳴った。
「スキル技が消されても私の拳は止まらないっ、【風刻爪・鎌鼬】ッ!」
一瞬の交錯と共に、二人の立ち位置が入れ替わり、
「【曲連蹴撃】!!!」
背中合わせになった極短時間の間に詩音は追撃の回し蹴りを火狩の背中に見舞う。
「ッ……」
ビシュッと火狩の右腕に鋭い切り傷が入り、血が噴き出した。
俺は思う。
言うだけなら簡単に聞こえるが、スキル技は本来、身体を自動制御化するものであり、微調整や中止はある程度動作中にも行えるが、理論的に考えれば無効化で動きは止まらなくても身体のバランスを大きく損なう。
威力は弱まり、隙も大きくなる。
それこそスキル技発動のコンマ一秒レベル直前のタイミングで、同じ動作をシステム制御とは別に能動制御で行わなければ。
詩音は、スキル技発動中にまったく同じ動作を並列処理しているのだ。
要するにだ。
――そんなことできるのお前だけじゃないのか、と。
「私に【零】は通用しないことはもうわかってもらえたと思うけど――」
以前変わらない真剣な表情で、目を鋭い刃のごとく細めた詩音は、
「――使わないの? お得意のユニークスキル……えっと……タクテクス」
惜しい。




