(7)『どんな夢かは』
悪夢の中で見る夢に、少年は去っていった友のかつての姿を思い出す。
やがて夢は悪夢へ代わり、少年は悪夢のような非現実に引き戻される。
あの頃の彼女はもういない。そう思い知らされる少年の傍に優しき女帝の姿があった。
「この世界はとても素敵よね。ずっと夢に見てたお伽噺の世界みたい。ふふ、ちょっと荒っぽいところもあるけどね。あなたもそう思わない? シイナ」
先に明言しておこう。
これは夢だ。現実じゃない。
それを言うなら、元々非現実であるこの世界で現実やら非現実やらの言葉を使う時点から間違っているのだが、それでもそうとしか表せないからそう言っておこう。
これは“非現実という現実”の中で見ているだけのただの“非現実”。
寝ている間に起きていた間の記憶の整理をする時に見るという、頭の中のシナプスサーキットが無作為に作り出す仮想現実。
しかし今この時に限っては、何か作為的なものを疑わざるを得ないほど最悪のタイミングで、こんな夢を見ているのだろう。
今となっては本当のことだったのか確かめることもできないその現実――その光景を再び垣間見て、尚もそれが夢だと断定できるのは、別にその夢が現実味を帯びていないからでも、また過去と全く同じ光景だったからでもない。
彼女が優しげに語りかけてくるからだ。
今の彼女はけして語らない。現実から目を背けて夢見たりはしない。むしろその逆で、夢から目を背けて現実を鑑みる。
だからこそ目の前の彼女は夢の中の人物で、目を背けても消すことのできない、今や記憶の中にしかいない当時の彼女だ。
俺が好きだった、一人の女性として慕っていた完璧な頃の儚。彼女との、初めて会った時の記憶だった。
今でもよく憶えている。
明らかに必要以上の葉を繁らせた木々が並び立ち、日光が下まで射し込まないために洞窟のように薄暗い森。故に森全体がまるで眠っているかのように静かで穏やかなこのフィールドは『微睡みの森窟』。
そのところどころに日の光が差し込んで幻想的な光景を見せる、オアシスという開けた場所が点在している。
彼女と最初に出会ったのはそのオアシスのひとつ――――毛皮が光るため薄暗い森の中でも容易に見つけられるリス型モンスター〔発光栗鼠〕を追いかけていた時のことだ。
最初に鉢合わせた時、レザー・プレートを着けていた彼女は切り株の上に座って気分良さげに何かの歌を口ずさんでいた。
美しかった。
今ですら否定できないほど美しかった。
アバターの容姿とか、幻想的なシチュエーションとかそんなものは関係なく、その存在自体が美しい――そう思った。
俺が彼女に見惚れている隙に追いかけていた発光栗鼠は森の何処かに姿を眩まし、俺がそれに気付いたのとほぼ同時に彼女も俺に気付いて振り向いた。
そして、俺に語りかけてきたのだ。
初対面なんてことも関係なく、まるで十年来の親友のような態度で。
今から考えると、それは運命的な出会いなどではなく、突発的な事故のような不慮の遭遇だったのだが。
しかし、一時それを忘れてもこれは俺の夢の世界、誰に何をしても誰にも迷惑はかからない。それなら――。
「お前が儚か。噂は聞いてるよ、最初のベータテスター」
俺は、当時の俺と全く同じ台詞を口にした。一言一句違わずに憶えているというのは、思っていた以上に彼女との触れ合いに未練があったということを示しているのだろうか。
「そんなのただの順番よ。順位でもないし、段や級でもない。優劣もなければ強弱も上下の違いもない、強いて言えば運がいいか悪いかの違いでしかないんじゃない?」
「運も実力の内って言うだろ」
「それもそうね。この世の成功者は努力と運で成り立っている、という感じかしら。実力はあっても、運に――運命に恵まれなければ成功できる機会もないものね」
儚は少し嬉しそうにそう言うと大きな切り株から飛び跳ねるような調子で立ち上がった。その返事を聞いた俺の脳裏に別の儚の声が蘇る。
『運も実力の内……ね。結果論的で逃避的で、とても無責任な言葉だと思わない? 頑張った人がいて、その頑張りに見合った結果を批評家を自称する一般人が知ったような口で解説する。大して能力もない自称専門家が輝かしい成果を遮って、分かりやすく捻曲げた妄言を囀ずって、実力と運を同列に並べて実力を運と切り捨てる、負け犬の遠吠えにしか聞こえないの』
いつだったかに聞いた彼女の台詞は、同じ言葉に対する反応でさえ、同調と拒絶――百八十度変わってしまっていた。
何が彼女を変えたのかはわからないが、後の彼女を見てしまっている俺から見ると、今の彼女はあまりにも痛々しい。
「……ま、そうでなくても結構な強さだって聞いてるけどな」
「私はいつでも基本型よ。あなたみたいにひとつのことで高みに行けるのがうらやましい」
「高み……ってお前の方がレベルは高いだろ。俺はまだレベル11、27のお前とじゃ戦いになる以前に話にもならない」
「うーん、ちょっと説明するのは難しいわね。ところであなたはどうしてここに? あの栗鼠なら確か向こうに群れがいたはずよ」
「目的はアイツじゃなくて、猪突熊とかいうモンスターだな。ソイツの毛皮と爪が新しい防具を作るのに必要らしくて、あの栗鼠は餌にならないかと」
「そう、じゃあ私にも手伝わせて♪ 目的も同じみたいだし、個人的には友達がいた方が心強いわ」
「友達……? パーティメンバーとかじゃなくてか?」
この時の儚も、反りが合わない相手すら、誰も彼も友達と言って憚らなかった。皮肉なのは、それは今でも変わっていない様子だったが。
「論ずる勿れ、勿論よ♪ あなたとは初めて会った気がしないって言うのかな……。話してるだけで楽しいの。だから――――友達」
儚は、俺がこの世界で作った最初の友達だった。
「私は牙と尻尾が欲しいからかぶらないし、お互い欲しいものが出たら交換しましょう。猪突熊なら一回倒してるし慣れないと結構大変だから、ね?」
俺は彼女の微笑みに見惚れて、自然にコクリと頷いていた。
「ところで、いい武器を持ってるのね。それ、魔刀でしょう?」
「……え?」
戦慄が走る。
この時の俺が使っていたのは剛大剣の下位武器、大剣のはずだ。そもそも当時、武器について話をした記憶は全くない。
俺は恐々と振り返り、肩越しに背負ったそれに視線を向けると――――漆黒に塗り潰された細身の太刀があった。
〈*群影刀バスカーヴィル〉、この時期には、あるはずのないそれがそこにあった。
そしてさっきまでは男だったアバターも、女のモノに変化しているのに気付く。
「あんまり遅いから遊びに来ちゃったわ。さぁ、シイナ――――二人で仲良く遊びましょう……♪」
優しそうに、心から優しそうに微笑んだ儚は、いつのまにか上段に構えていた愛用の聖剣〈*虚構と偶像の聖剣〉を俺に向かって振り下ろし――。
ザグンッ。
一撃――たった一撃でMAXだった俺のライフゲージは、呆気ない音と共に瞬く間に消滅した。
次の瞬間、俺の鮮血に塗れて尚も微笑み続ける儚の表情を最後に目の前が真っ暗になり、視界の中央にシステムメッセージが現れる。
『Welcome to DeadEnd』
ザザザ……。
視界全体にノイズが走り、世界が崩れ始めた。ぼろぼろと砂のように端から崩れ、続いて小さなブロック、中くらいのブロック、大きいブロック。
全てが地に落ち、粉々に砕け散って消えていく――――。
「うわああああぁっ!」
そこで、目が覚めた。
起きるなり悶えるように掛け布団を撥ね飛ばして身を起こし、「はーッ……はーッ……」と荒く息をする。
気がつくと左胸に当てていた手に、柔らかく押し返してくる感触の奥から激しい心臓の鼓動が伝わってくる。その肌は妙に汗ばみ、手足が痺れて強張っているような感覚が抜けない。
「……くそッ……なんて夢を……」
「どんな夢かは聞かない方が良さそうね」
「……ッ!?」
辺りの薄暗い闇の中でその声の主を探すと、少しだけカーテンが開かれて光の射し込む窓際の椅子に彼女は座っていた。
「刹那……」
その膝には何か小さな文庫本のようなものが広げられ、今の今までソレを読んでいたことが窺えた。
刹那はその文庫本を仕舞うと、椅子から立ち上がる。そして小さな足音を響かせながら、俺が寝ていたベッドの傍まで歩み寄ってきて、手を差し出してくる。
「随分うなされてたわよ」
「そう思ったら起こしてくれよ……」
そういえば鍵を掛けた覚えがないな――――なんてことを考えつつ、俺は差し出された手を掴んで、ベッドから降りる。
「……儚、って寝言で言ってたから、わかってても起こせなかったの」
おおよそ刹那らしくない静かな声が今の彼女の心境をよく表しているようだった。
最も儚と過ごした期間が短い彼女だが、おそらく同性だということもあってその繋がりは他の誰よりも深かった。まるで姉と妹のような、距離を感じさせないぐらいに親しかったのだ。そして同様に、刹那は俺と儚の仲が良かったことも知っていた。喩え立場が逆だったとしても、俺は刹那を起こすことができなかったと思う。
「もう夜明けよ。スリーカーズも物陰の人影も起きてるから、後はシイナだけね」
「あれ? もしかして待たせたか?」
昨日アンダーヒルの部屋を出た後、“この世界に閉じ込められた”、“現実世界に戻れない”なんてことを一人で鬱々と考えていたから、時間の擦り合わせはできていなかったのだ。だからこそ、あんな夢をジャストタイミングで見てしまったのかもしれないが。
「ううん。今、物陰の人影がフィールドだけ確認しに行ってるから、あの子が帰ってきたら行くってだけ。どちらかと言えばシイナよりもそっち待ちね。シンとリュウもまだ寝てるし」
「そういや、お前いつからここにいたんだ?」
「昨日の夜」
何やってんだ、コイツ――――と思ったのが顔に出たのか、「あ?」と威嚇するように言った刹那の目尻がわずかに吊り上がる。
「いっつもグースカ寝てるアンタたちと違って、中で寝るって感覚に慣れてないのよ。悪かったわねッ!」
「いや、悪くはないけど。なんでここ?」
と何気なく訊いた瞬間、俺は「遺書書け!」という口癖と共に飛んできたラリアットでベッドの上に引っくり返された。
Tips:『パーティ』
FOの戦闘システムにおいて、複数のプレイヤーで隊を組むこと、もしくはその隊そのもの。基本的に人数の制限はなく、実質無制限に徒党を組むことができる。お互いのステータス等が容易に確認できる、現在地が地図に表示される、お互いの声や動作を認識できる範囲が広がる、一部のスキルや種族資質等による補助効果の効果範囲に含まれている等様々な恩恵があるため、複数人数で攻略や探索に赴く場合事前にパーティを組んでおくのが基本となる。




