(31)『煉獄堕天‐グザファン-』
「何よ……アレ……?」
口元をピクピクと引き攣らせた刹那が、心底嫌そうな調子で呟く。
「グザファン……のようですね。少なくとも形状を見る限りは他のモンスターの特徴は見られませんので、断定しても構わないかと」
やはり何を考えているのかわからないような目でソイツをまっすぐ見据え、坦々とそう報告してくるアンダーヒル。
キュービストはそんなアンダーヒルの盾になるかのように前に出て、パイルバンカーのシールドを展開している。
そして俺はというと、しきりに目を擦っていた。目の前の光景を素直に認識しがたい時などについやってしまうアレだ。
「じゃあ、あのサイズは何なのよ!?」
「原寸との差を考えると最大全長というわけではなさそうですが……。最初からこのサイズであれば、スリーカーズからの報告書に書いてあるはずですので、何らかの原因でそれ以降にサイズ変化したと考えるのが妥当です」
不可解、と言いたげな思案顔で上方を振り仰ぐアンダーヒルの視線の先にあるモノ――――体高三十メートルはいっていそうな、巨大な煉獄堕天だった。
今は俺たちに背を向けて、ごくわずかずつ離れていっているが、ただ単に気づいていないだけだ。確かグザファンは視覚による索敵が主だったはずだから、このままアクションを起こさなければいきなり発見されることはないだろう。
「当然、何故サイズが変化したのか、という疑問は残りますが、目下最大の懸案事項は交戦しているはずの他六名の場所です」
「光点は消えてるみたい」
俺が地図を開いてそう言うと、アンダーヒルは一瞬不安の色を見せた。しかしすぐにいつもの無表情に戻り、状況分析するようにグザファンと手元のポップアップウィンドウを操作し始める。保有している莫大なデータから敵の情報を引き出しているようだ。
一時的にこのフィールドのモンスター全ての情報を改めて記憶し直したと言っていたが、その記憶に間違いがないかを確認するつもりなのだろうか。
「そういえば、アンダーヒル。アンタのデータベースってどうやって保存してんの? どんだけあるかわからないけど個人メモリーじゃ足りないでしょ」
「秘密です」
まさかの秘密発言。前から不思議には思ってたが、何か裏があったようだ。
「ふーん……ま、いいわ。それでどう思う、シイナ?」
「どう思うも何もグザファンが何かやったってことだろ……よね。アンダーヒル、何かわかった?」
アンダーヒルに振り向くと、ほぼ透明色のウィンドウにグザファンの赤とオレンジの目立つ色彩のイラストが裏から透けて見えた。目的のデータを見つけだしたのだろう。
「今までにこんな事例は報告されていませんが、元々討伐数の少ないモンスターですし、未だに報告されていない行動パターンがあってもおかしくはありませんね」
「そもそも全部が全部アンタたち諜報部に報告されているわけじゃないでしょ」
「はい」
普通に肯定していいのか、自称“諜報部”。それが事実だとしても。
それにしても久々に聞いたな、諜報部。
「ねぇ、これってまさかアイツらのアレじゃないわよね?」
「アイツらのアレ?」
「ドンッて感じのやつ」
「抽象的すぎてわかんないヨ」
「こんぐらいわかりなさいよ、バカシイナ。亡國地下実験場でドレッドレイドの頭おかしい男が使ってたアレよ!」
そこでようやく刹那の言いたいことを理解した。しかし、『アイツらのアレ』と『ドンッて感じのやつ』でそれを連想できるかと言われると理解できない。
「えっと……【天地開闘】、だったかな。いや、アレだったら術者がいないと無理でしょ。このフィールド、プレイヤーは八人までしか入れないんだし、それはありえないって」
「彼らがスキルを自由に取得・操作できる不正操者であれば、NPCならば位置座標は表示されない上、人数にも計上されないため理論上は可能です」
「バックに何がいるかは知んないけど、アイツら自身はただのプレイヤーでしょ? あんな下っ端にんなことできるわけないわよ」
刹那が容赦なく吐き捨てる。そう望んでいるだけのようにも聞こえるが、こういう時の刹那の勘は結構当たることが多い。
「そうであれば問題はないのですが……」
アンダーヒルがそう言った時、突然グザファンがググッと上体を反らせた。
「ちょっと、シイナ。アンタ何かやった?」
「いや何も!?」
何でいきなり俺に聞くかね、コイツは。
グザファンはゆっくりとこっちに振り返り始める。と同時にモーションからわずかに遅れて、発見状態の目のアイコンが視界に浮かびあがった。
「どうする、アンダーヒル。手がかりもないまま皆を探しにいくのはちょっと効率悪いと思うけど……。四人しかいないし」
実際は頭数だけなら狼王と這い寄る混沌も合わせて六人いる上、魔犬群と影魔も多数いるが。
「そうですね、シイナ。一応現状を引き起こした原因に当たりはつけてあります。このまま交戦に入りましょう」
アンダーヒルが全てのウィンドウを閉じ、思いきったように顔を上げた。
しかしそうは言うものの、まだ不安材料はあるのだろう。普段から自信に満ちた顔つきなんてものはまったく見せないヤツだが、ここまで不安の色を隠せていない彼女もそれ以上に珍しい。
「シイナもアンダーヒルも何バカなこと言ってんのよ。アンタたち、トップギルドのエースストライカーの自覚ないんじゃないの? なんなら最速討伐記録でも何でも出してやるわ」
『だからそんな顔してんじゃないわよ』とでも続きそうな台詞を普通に言ってのけると、刹那は右太ももの鞘帯から【フェンリルファング・ダガー】を引き抜きグザファンに向き直った。
ゆっくりと鈍い動作で振り返ってくる、細身で八頭身の西洋鎧。背景の赤黒い空から浮いて見えるオレンジ色調が、今は何処となく不気味な光沢を放っていた。
右手には剣ではなく二メートルほどの長さの細い筒状の道具を握り締め、その先からはチロチロと火が顔を覗かせている。一種の着火装置のようなものだ。
断じて武器ではない。
そして左手には巨大なふいごを持っている。蛇腹状に畳まれた革袋を開閉する二枚の板で挟み、炉や竈に空気を送るための古い道具である。
断じて武器ではない。
色々と間違っているが、RPGのボスモンスターなんて大概こんなものである。
「人数の関係で戦力が限られます。刹那とキュービストで前衛を、シイナは妖魔犬を展開し、レナも前衛に充ててください。その戦力を支援する形で戦闘に参加してもらいます」
「ご拝命承りました、アンダーヒル様!」
キュービストがわざわざパイルバンカーを下ろし、振り返ってアンダーヒルに一礼する。アンダーヒルの役に立てるのが心底嬉しいのはわかるが前を向け。
「私は後衛として接近する小型モンスターを排除しつつ、煉獄堕天への攻撃も行います。ちょうどいい機会ですのでフェレスと影魔の並行運用も試験的に導入、場合によってはルルハリルも投入します」
「ルルハリル?」
聞き慣れない単語に、刹那が反応して聞き返すと、アンダーヒルは
「現在、私が使役している召喚獣です」
とだけ言って、ローブの中から黒々とした重厚な光沢を放つAMR【コヴロフ】を引き抜いた。
「へー」
刹那も聞き返した割にそこまで興味がなかったのか、あるいは悠長にしている余裕はないと考えたのか、素っ気なく返す。
「キュービスト。アンタ、壁ね」
「うん、言われるような気はしてたよ」
≪アルカナクラウン≫には高防御力で最前衛を担当する、いわゆる壁プレイヤーは一人もいない。
そもそも壁は一人だけではあまり意味がないから少数精鋭を売りにしてる≪アルカナクラウン≫では必要がなかったというだけの話なのだが、“あれば使う”刹那からすれば細かい理由はどうでも良さそうだった。
ボフンッ……。
グザファンの手にするふいごの先から風が噴き出し、小爆発が起きる。まるで戦いの始まりを告げるように。
「【魔犬召喚術式】、モード『レナ=セイリオス』、モード『妖魔犬』三百匹!」「【影魔の掌握】、【盲目にして無貌のもの】」
俺とアンダーヒルの声が重なり、同時に無数の黒い影が地面から生え出るように視界を埋め尽くす。
「クックッ、これはコレハ……。また壮観じゃナイカ。ン? 何ダ、お前も一緒だったノカ、黒イノ」
背後から響く冷笑を交えた特徴的な声。
「誰が黒いのか、誰が。噛み殺されたいか、貴様」
その直後にはいさかいが発生しているのは無視しておこう。
見ると、俺の足元を避けるように鋭いフォルムの影が前に這い出してくる。そしてアンダーヒルの指示を待つかのように俺の周囲でざわざわと蠢いた。
「気ィ抜いたバカは私が斬るから、先に言っときなさいよね。……踊れ踊れ狂兵の如く!」
刹那がそう言った瞬間、グザファンはググッと左手を持ち上げ――――ガッ!
手にしたふいごの先端を地面に突き立てた。




