(27)『ついに人間やめたのか?』
「お待たせしました、シイナ。後は私に任せてください。後は私一人で十分です」
理由も説明しないままそれだけ言って前に出たアンダーヒルは、ヴォルカを正面に見据えて立ち止まる。その足元の影の中にはまるで指示を待つかのように集合した影魔たちが、その小さい影の中で窮屈そうに蠢いている。
そして彼女は手にしていた対物狙撃ライフル・コヴロフを回し、ローブの中に仕舞い込む。全長一・四メートルの銃を身長百五十センチ程度のアンダーヒルのローブで隠せるはずがないのだが、毎度毎度コブロフはしっかりとアンダーヒルのローブの中に納まっている。どんな原理だ。
その間、黒い水溜まり状になったまましばらく迷うように揺れていたケルベロスは、やはりダメージが大きかったのか俺の影の群影刀に吸われるようにスッと消えていった。
「フェレス、私が合図したら召喚を解除するかあるいはヴォルカから離れてください」
「温く甘イナ、主様ヨ。我が触手ごと切り刻めばイイノサ。我からすれば影魔など下位にその身を置く召喚獣ダカラナ。死にはシナイヨ」
「……わかりました。それではキュービスト、お願いします」
「仰せのままに、アンダーヒル様」
さらに背後から現れたキュービストがアンダーヒルから半歩引いた位置で立ち止まり、彼女の足元におもむろに跪いた。
何をする気だ……? と訝しく思ったのも束の間、
「【祝福の無敵歓待】、ターゲット[アンダーヒル]、エントラスト『物理攻撃力値』――――解放!」
キュービストが高らかにそう叫んだ。さっき二人が話していた謎のスキル、それを発動したのだ。
その次の瞬間、まるでその時を待っていたかのようにアンダーヒルの足元の影が爆発し、そこから六匹の影魔が飛び出した。鎌のようなフォルムの厚みを持たない精霊が、地を這うようにヴォルカに迫る。
アンダーヒルの言葉を聞く限り、影魔ではヴォルカの外殻に傷を付けられないはずだ。アンダーヒルもそれを理解した上でヴォルカを攻略する手段を考えたのだと直前まで俺は思っていた。
しかし、そんなに複雑な話ではなかった。むしろアンダーヒルにしては珍しい戦闘スタイルだった。
ズバァァァァァァ――ッ!!!
たった一度の接触。
その一瞬の交錯で、ヴォルカの最も大きな特徴たる巨大な前腕が斬り落とされた――――もとい、喰い千切られた。
「なッ……!?」
斬り落とされた両腕は瞬く間に影魔に群がられ、通過するだけで大小のブロックに分けられる。そしてそのぶつ切りでさえも、縦横に動き回る影魔におのおの丸呑みにされていく。
ギギ……ッ……。
軋むような悲鳴で呻いたヴォルカはバランスを崩され、ぐらりと揺れて地面に横倒しになる。
無理もない、どころか必然だ。
元から身体に見合わない不釣合いな大きさの両前腕、それでバランスをとっていたというのならそれを失った今まともに立つことすら不可能だろう。単純に部位破壊と言う事すら憚られる圧倒的破壊力による部位欠損。
影魔の三種の切断属性による絶対の斬撃を以ってしても抜けなかったはずのヴォルカの外殻が、まったく同じはずの影魔の攻撃であっさりと斬り刻まれた。
「同じではありませんよ、シイナ」
アンダーヒルは余裕を見せるように振り返り、俺に向かってそう言ってきた。読心に関しては今さら言うべくもないことだが、どれだけ弱い相手にも気を抜かず、常に安全を確保して戦っている彼女が、敵から目を離すなんて――――何処か不安を覚える。
その背景では、地に倒れ伏したままのヴォルカが解体されていく。討伐や狩猟でもない、ただの解体。ヴォルカの体力バーが見る見るうちにガリガリ削られ、比例するように巨体が端から斬り落とされていく。
思わず目を背けたくなるほどの一方的な蹂躙だった。ヴォルカには抵抗の余地すら残っていない。その手段がそもそも既に影魔たちに奪われているのだから。
それを見つめるアンダーヒルの瞳には躊躇いも、それどころか何の感情をも感じられなかった。
「キュービスト、説明代わりに彼女に攻撃してみてください」
「アンダーヒル様のご命令とあらば!」
「え゛……?」
ギュンッ!
咄嗟に後ろに跳んで、迫っていた金属杭の尖端を紙一重で躱す。
「避ける必要はありませんよ、シイナ」
「避ける必要がない攻撃なんてあるかッ」
しかも今のキュービストの攻撃、確実に当てる気で来ていた。
狙われていたのはちょうど腹の辺り。避けようとすると、どうしても体幹を動かさなければならない。パイルバンカーの性質上受けることなんて不可能、つまりどう転んでも相手にとっては不利になるいい手だ。
「【祝福の無敵歓待】はそういうスキルですから」
「口頭で説明すればいいだろ!?」
何故か誰も止めに入らない。
とは言えあと残っているのは俺の視界には入っていない刹那だが、おそらくどんなスキルかを聞いているのだろう。そうでなければさっきまでヴォルカを倒すもとい潰すと息巻いていたあの戦闘狂が大人しくしているはずがないからだ。
「哈ッ!」
キュービストが躊躇いなく放つパイルバンカーの一撃をまたもギリギリで何とか躱し、地面を転がる。
物理法則を無視できるようなスキル補助さえなければ、パイルバンカーの射程などたかが知れている。キュービストの持つパイルバンカーの場合、本体の長さ二メートル弱+伸縮展開分の一メートル程度だ。
間合いさえわかれば避け続けることも不可能じゃない。いざとなったら【思考抱欺】でも使って無理矢理止めてやる。
そう思った直後だった。
「ったく、めんどくさいわね」
背後の至近距離から聞こえた苛立ちを顕にした冷たい声に思わず身体が強張り、ビクッと身震いする。
それでわずかに、反応が遅れた。
「【突貫杭事】!!!」
ドスドスッと地面に補助杭が打ち込まれる音が耳に届き、続けて金属杭が眼前に迫る。
「しまっ……」
思わず目を閉じ、身をすくませる――――が、いつまでも衝撃が来ない。
おそるおそる目を開けると、
「……ッ!?」
心臓が止まるかと思った。
太さ四十センチの大きな金属杭は俺の鼻先で停止していたのだ。まさにちょうど鼻先に触れるところで。視界はほとんどその鈍い銀色に占められ、戻っていく気配もない。
グラ――と視界が揺れた。
そして尻餅をついてへたり込んだことに気がついた。
「わかりましたか?」
「何が!?」
いつもながらいつも以上に謎の深いアンダーヒルさんです。
「刹那、お願いします」
ため息をついたアンダーヒルは、刹那に向かってそう言うと、さっきから無視されている上にライフも残りわずかなヴォルカに歩み寄っていく。
「情けないわね、シイナ。キュービスト、いつでも来ていいわよ」
「了解了解ー」
アンダーヒルから離れたからか口調が元に戻ったキュービストは、少し脱力した様子でパイルバンカーを持ち直し、刹那にその尖端を向ける。
「お、おい……」
ギュンッ!
止める間もなくキュービストは、金属杭の一撃を放った。
「……ハッ!」
あろうことか刹那は、それを正面から受け止め、もとい殴り付けた。
しかし、刹那は反動を受けるどころか、体力ゲージに少しの変動も見られなかった。
「――ってことよ」
「ついに人間やめたのか?」
「アンタがゾンビになってみる?」
「慎んで遠慮します!」
今に始まったことではないが、刹那の笑顔には恐怖すら覚える。
「今のキュービストには攻撃力がないのよ。その分の攻撃値をアンダーヒルに還元してあるから」




