(26)『おいオイ』
「【焼火渇動】!」
突如前触れもなく(あるにはあったが)現れたヴォルカのブレスに一番最初に反応したのは、俺の予想に反してこれまで逃げるのみだったキュービストだった。
なかなかに珍しい消火の戦闘スキルを使いつつ、自らはアンダーヒルの盾となるよう位置を調整する。
しかし、【焼火渇動】は左手を効果範囲とし、そこに触れた炎を消滅させるだけのスキル。どうしても捉えられなかった取りこぼしが、キュービストの身体を炙っていく。
「お下がりください、アンダーヒル様!」
それでも炎弾一回分を耐えきったキュービストは背後のアンダーヒルに向かって叫ぶと――――ガシャンッ。
素早くオブジェクト化した大きな武器を腰だめに構えた。と同時に、その後部から射ち出された細い補助杭がキュービストの足元に五本ほど突き刺さる。
「【突貫杭事】ッ!」
ガッッッ――キイィィインッ!!! ガガガガガガッ!
射ち出された巨大な杭がヴォルカの頭部に直撃し、激しい火花を散らしながら一気に5メートル近く押し返した。
シュルルルッ。
本体全長よりも明らかに長い杭が瞬く間に回収され、並列処理で足元の補助杭も本体内部に戻っていく。
シールド付き独立大型射突式破甲槍。
本来なら、重鎧を着た壁プレイヤーが使うような動かぬ砲台だ。
「今の内に外へ! ここでは嬲り殺しにされますッ!」
そう叫んだキュービストは率先して通路の外に飛び出し――どーんっ。
「みぎゃあああああああああ――――」
突然通路の入り口の死角から現れた複数の影に撥ね飛ばされて姿を消した。
「「「…………」」」
俺や刹那ばかりか、普段空気を読まないアンダーヒルですら気まずさから来る沈黙に身を任せる。キュービストの残念さに緊迫した空気は容易に弾け、後には居たたまれなさだけが残っていた。
しかし当然いつまでもバトルを放棄して呆けているわけにもいかない。ヴォルカが再びゆっくりと動き出したのを見て我に返ると、アンダーヒル・刹那に続いて俺も通路から飛び出した。キュービストの二の舞にならないよう、無意識の内にヴォルカを視界に入れて警戒し、周囲にキュービストの姿を探す。
そして思わぬ敵影を見つけてしまった。
「クラスター・ボア!? チッ、最悪にいいタイミングで遭遇してんじゃないの」
総数七頭。
災厄天の終世界に来て間もなく二十頭以上に囲まれたことを考えると大したことないように見えるかもしれないが、大型のモンスターと同時戦闘となると話は別だ。
特に爆導猪は獣系の割に皮が硬く、尾を引く爆炎と隊列突進のせいで倒しづらい。ヴォルカ戦の邪魔になることは間違いないだろう。
問題のキュービストはというと、一応立ち上がり、パイルバンカーで近づいてくるクラスター・ボアに応戦していた。しかし撥ね飛ばされた後も地面に叩きつけられたらしく、身体中至るところが汚れていて動きも少し鈍くなっている。
メガネだけやたらと綺麗なのが気になるが。さっき三回も顔面ぶつけてるのに。
「影魔種能力【影魔の掌握】」
クラスター・ボアに向けてコヴロフを構えるアンダーヒルが照準器を覗きながら呟くようにそう言うと、現れた影魔が地面を這い疾り一番手前にいた一頭を瞬く間に引き裂いた。
「ねぇ、アンダーヒル」
「なんですか、刹那」
ガァンッ!
コヴロフが火を噴き、放たれた銃弾がキュービストの一番近くにいたクラスター・ボアの後ろ足をグロテスクに加工し、崩れ落ちた標的にアンダーヒルが第二射を浴びせると動かなくなった。
相変わらずアンダーヒルは敵意を向けてくる相手には容赦がない。
「あの召喚獣、能力どうなってんのよ」
「通常属性“物理切断”“魔力切断”“独立攻撃”、特殊属性“影”“接触切断”“捕食”、特殊弱点“閃光消滅”です」
「切断のオンパレードね……。それでヴォルカの外殻抜けないの?」
「試しましたが……」
「あーもういいわ、わかった。まぁ、どちらにしろチートだけどね……」
キュービストの周囲を縦横無尽に駆け回り、次々と大イノシシを切り裂く影魔にジト目を向ける刹那。
それを後目にヴォルカに向き直った俺は、群影刀を引き抜いた。
「……【魔犬召喚術式】、モード『レナ=セイリオス』!」
足元に出現した黒い水溜まりが膨れ上がり、人型の輪郭を象った後に色彩が現れる。使う度に左胸の辺りに違和感を覚えるのも最初と同じだが、最近はもう慣れてしまっている。
「なかなか面白い時に呼んでくれたもんだな、我が主よ。ん? あれがキュービストとかいうやつか」
「うん、まぁそうなんだけど、今はヴォルカの方を気にしてくれ」
「当然至極、お前に言われるまでもなし。喰い殺し、噛み殺し、何を求めんや!」
コイツには仮にも主人を敬う気持ちとかまったくないのな。
オブジェクト化した双小太刀を見せつけるように高速回転させたレナは、両刀逆手に握ると前方のヴォルカに接近する。
「オォオオオオッ!」
レナの雄叫びに反応するようにヴォルカが口を大きく開いた。途端、呼応するように一本角と前腕が溶岩色に赤熱し、ぼんやりと喉の奥が明るくなった。
「気を付けろ、レナ!」
「当然だ!」
ボフッ。
レナがヴォルカに肉薄し、右手の小太刀を高く振り上げた時、ヴォルカの口内で突然小爆発が起きる。
次の瞬間――ボンッッッ!!!
その場の空気が爆発し、視界が炎で埋め尽くされた。
「ッ!?」
咄嗟に腕を交差して顔をかばい、地面に転がるように身を伏せる。
恐らく爆発したのは、空気中にばらまかれていたヴォルカの呼気。おそらく可燃性のガスだったのだろう。
「……レナは……!?」
レナは正面でモロに攻撃を受けている。NPC故に即死判定も受けず、ライフ全損なんてこともないだろうが、ヴォルカの連撃を受ければそれも同じようなものだ。
「チッ……【狼牙の誇り】……!」
使うのも久々だが、レナの全能力値を引き上げておく。少なくとも気休めぐらいにはなるだろうと思ったからだ。
しかしそれまでの心配は、瞬く間にそれは杞憂に変わった。
「何ヲ這イツクバッテイル。主タル者、ソレラシク振ル舞エ。我ガ誇レルヨウニナ」
ミシミシッ――――。
骨が軋む嫌な音に俺が顔を上げる。そこにあったのは元の縮尺と姿に戻った三頭犬が、かなり体格が離れたヴォルカの前腕の肘関節に食らいつく光景だった。
キィアアアァッ!
甲高い悲鳴を上げたヴォルカは仰け反りモーションを見せる。
レナは俺の警告に返事をした直後、人型よりも強靭な元の姿に戻ったのだ。
しかしヴォルカはすぐさま首を伸ばしてケルベロスに開顎を近づけ、その胴体に噛みついた――――バキバキ……ッ。
ケルベロスの身体が軋み、骨が砕けるような音が容赦なく鳴り響く。しかしケルベロスの左右の頭は、食らいついたヴォルカの前腕を放そうとしない。その間にもケルベロスの体力がガリガリと削れていく。
裏目に出た……!
後掛けスキルを使っていなければ、スキル全解除でケルベロスの召喚解除も行えたが、今使っても解除されるのは後からかけた【狼牙の誇り】だけだ。
となれば――。
俺は群影刀をまともに構えるよりも先に走り出す。
狙うなら残っている左目。少なくともそれを潰せば、怯ませることはできる。
「おいオイ」
「ッ!?」
突然聞こえてきた呆れるような声にたった一瞬気を取られる。しかしその直後気がつくと、俺の身体は宙に浮いていた。
「知性も持たない下等竜族ガ、そんな犬を喰らったところで何が変わるでもないダロウニ、クックッ」
俺の身体に巻き付く暗緑色の触手に、特徴的に変わったイントネーション。
「お前、ニャル――」
「フェレスと呼ぶんダネ、人間。そして下がっていてイイヨ。時間稼ぎぐらいは我が代わりにしてやるカラ」
アンダーヒルが『影魔』に加えて保持する二体目の召喚獣、盲目にして無貌のものが眼下に立っていた。しかもその両腕ともう片方のツインテールは長々と伸び、ヴォルカの角と下顎に巻き付いて力ずくで顎を抉じ開けている。
「マァ、向こうももうすぐ終わるんだケドネ。お前の消耗を抑えるために我が主様が無理をしてイル、と概ねこんな感じダヨ。理解シタ?」
刹那は何やってんだよ、などと内心軽いツッコミを入れていると、クックッと笑ったフェレスは俺を足が着くところまで下ろして、解放した。
「やぁ黒イノ。元気そうで何よりダネ」
「貴様ゴトキニ助ケラレルトハ地獄ノ番犬モ堕チタモノダ……」
牙の立ち並ぶ口から血を流しているにも関わらず、笑うかのように口の端を歪める『左』に対し、『右』はいつまでもヴォルカに噛みついている。
「勘違いスルナ。我はお前を助けるつもりなんてないんダカラ。我が主様が奴の噛みつきを無力化しろと言っただけデネ」
ゴギンッ。
触手がぐるぐると巻き付いていたヴォルカの下顎部が嫌な音を立て、だらりと下がる。ヴォルカの大きさに比べれば圧倒的に細く見えるのに、あり得ない腕力だ。
ヴォルカの牙から逃れたケルベロスはよろけて倒れ込むと、どろりと溶けて這うように俺の足元に戻ってきた。
そしてそれとまったく同じタイミングで、後ろから肩にポンと手が置かれた。
「お待たせしました、シイナ、フェレス。後は私に任せてください」




