(6)『せめて夜にはいい夢を』
隠者は事も無げに問い、答えはすぐに見通される。
情報家アンダーヒルは聡明で抜け目なく、しかし何処までも純粋な若き知の探求者。
「改めて訊ねますが、シイナ。あなたは本当にスキルを全て失ったのですか?」
居住まいを正して改まったアンダーヒルが何を訊いてくるかと身構えていると、今さらと言えば今さらな質問が来た。
「まぁ……。ユニーク一個含めて173個、全部まとめて消し飛んだよ」
未だに数を憶えてる辺り我ながら未練がましいな――――なんて思いつつもそう返すと、アンダーヒルは「そうですか……」と呟くように言った。
「あなたの持っていたユニークスキルと言うと【永久期間】のことですね」
「何で知ってるんだ……?」
【永久期間】は一定時間ごとに魔力を回復する効果を持つスキルだ。発動した時点で魔力収支はプラス、発動しなくても常態的に魔力を回復し続けるというユニークスキルならではのバランス崩壊スキルがあったため、前の俺はスキルを多用した戦い方ができたのだがそれはともかく。
その性質上、発声による発動を介さなくても適用されるそれを知っているのは、今の≪アルカナクラウン≫メンバーぐらいだろうか。
「以前、新丸と別の姿で接触した際に教えていただきました」
「あのヤロ……」
現象だけは外からでも見て取れるから、それを気取られないようにスキルの魔力消費を被せてまで隠してたっていうのに、後でコイツ以外には教えてないか聞き出さないといけなくなったじゃねーか。
「ひとつも残らなかったのですか?」
俺は、何故か同じことを聞き返してくるアンダーヒルに疑問を覚えつつも、
「ああ、ひとつもない。けど、それがどうかしたのか?」
「いえ、つまり現在のスキル数はゼロで、“初期基本スキル”も消えている、ということで間違いはありませんか?」
「回りくどいヤツだな……それで間違いないよ。何度も言ってるだろ」
初期基本スキルというのは種族やレベルに拘わらず、FOを始めた時点――――より具体的にはアバターを作ってログインした時点で誰もが得られる三つのスキルのことだ。
好きな仮想物体を造ることができる【簡易物体加工】
半径10m以内の味方パーティ以外のプレイヤーまたはモンスターの存在の有無を確認する【周囲探知】
ライフゲージが上限の二割以下の場合に、相互遭遇したモンスターからの追跡を解除する【逃走】
どれも初期特典としては有能な効果を持つが、しかしかといって特別使うほどのものではない。なんでそんなものを気にするのか、と思っていると、アンダーヒルは
「有り得ませんね……」
下唇(の辺り)に指を添えて、思案するようにそう言った。
「有り得ないのはわかってるって。だから異変なんだよ」
「いえ、言うなれば異変ではなく異常です。あまり知られていないことですが、厳密にはあの三つはスキルではなくシステムのひとつ。つまりはパーソナルデータに依らないということです。勿論【簡易物体加工】の形状登録データだけは個人メモリに保存されることになりますが、スキル行使だけなら影響はありません」
「……つまり、どういうことなんだ?」
「初期基本スキルはシステムの一部ですので、あなたが使えなくなっているのなら私も使えなくなっていなければ辻褄が合わない、ということです」
ようやく理解した。
一プレイヤーである俺が、全体に適用されるはずのシステム補助から外れている、ということになるのだ。
異変ではなく異常――――変わったのではなく、外れているのだ。
「本当に、全てのスキルが消えているのですか?」
語気をごくわずかに強めたアンダーヒルの言葉に促され、俺はメニューからステータスを――――スキルメニューを開く。
0
「やっぱり何も――」
アンダーヒルに報告しようとした瞬間、そのウィンドウにの左上の端に浮かぶその文字に目が吸い寄せられる。
その妙な違和感に、気付く。
0
“0”ではなく、“0”
どうして誰でも読めるような算用数字に、わざわざルビが振ってあるんだ……!? と慌てて、ウィンドウをステータス画面に戻して下にスクロールすると、保持スキル数が1になっていた。つまりこれが表しているのは、スキルの保持数ではなくスキル【0】、ということになる。
「どうかしましたか?」
ピクッ。
アンダーヒルの左目――射抜くような視線に、思わず心臓が跳ねる。
「いや、なんでも――」
特に疚しいことがあるわけでもないのに、この時の俺は何故か誤魔化そうとしてしまった。アンダーヒルの静かに威圧してくるような、全てを見通そうと――見透かそうとするような視線に怯んで。
しかしアンダーヒルは一瞬チラッと視線を別の方に向けると、
「――0、と表示されていたのですね、シイナ」
心臓が、止まるかと思った。
いや、感覚的には一瞬止まっていたと言っても過言じゃないだろう。
咄嗟に視線を上げると、いつのまにか椅子から立ち上がっていたアンダーヒルは俺との距離を一歩詰め、澄んだ瞳――底の見えない瞳で俺を見詰めていた。
その目は微動だに動かず、俺の反応を待っているかのように目を合わせることにのみ専心しているようだった。
「何故隠そうとするのですか?」
ぽつりと呟くような口調で言う。
「お前……なんで俺のウィンドウの内容がわかったんだよ……?」
確かにアンダーヒルに見せようとしていたこともあって可視化処理はしてあったが、半透明のウィンドウとはいえ、その内容は裏には透けない仕様になっている。
アンダーヒルの立ち位置からは絶対に見えないはずなのに。
しかしアンダーヒルは直前までの底知れない威圧感とは裏腹に、微笑んでいるような穏やかな左目を俺に見せると、
「私は情報家です。あなたを呼ぶ前に偶然この部屋に設置していた監視鏡に、あなたのウィンドウが映っていたというそれだけのことです」
後ろを振り返ると、扉の上の死角に部屋全体を見渡せるようなさっきの監視カメラのようなものが据え付けられていた。
その上、部屋の隅には開かれたままの三面鏡台が設置されていた。そのどちらかに映ったのを、【言葉語りの魔鏡台】で確認したのだ。
「質問に答えてください、シイナ。私は今日からとはいえ同じギルドの仲間です。そしてそれ以上に、私はあなた個人の味方です。猜疑心を抱かせるような挙動・発言を私がしてしまったのなら謝罪しましょう。あなたが望むなら、望む通りの代償行為をしても構いません。ですがその代わりに、これ以上私に対して不必要に警戒するのはやめてください」
アンダーヒルはそう言い切ると、まっすぐ俺の目を見て反応を待つような素振りを見せて黙り込んだ。
「わかった、けど……せめてその包帯はとれ。顔が見えないのはやりにくい」
アバターを見る限りは年下のようだが、アバターはあれで案外年の幅が広い。その上、表情も見えないような包帯で顔を隠して、黒いローブで全身を覆っている奴なんか無意識に警戒してしまうだろう。
アンダーヒルは「わかりました」と即答すると、ウィンドウに視線を落として操作を始める。途端に、微かな作動音がしてアンダーヒルのローブの袖やフードの下の襟元に見えていた黒い包帯が光の粒子に変化して消える。
「シイナ、ひとつだけ約束してください」
俯いたままフードに手をかけたアンダーヒルは、そこでピタリと動きを止めてそう言い出した。
「私のアバターの姿は現実の私に似せて――再現できる限りの同じ容姿で作ってあります。それを口外しないと約束してください」
「お前それ、非推奨行為じゃねーか……」
アバター製作の自由性が高いFOにおいて現実の人物像を再現することは、ネットに写真が流出するのと同じように危険な行為だ。それ故にアバターを自分の現実の姿にするのは自己責任の非推奨行為、他人の現実の姿にするのは軽犯罪に指定されている。
「わかっています。ですが、それでも私はこの姿のままで、この世界に立ちたかった理由があるのです」
「理由?」
「何れ話します。口外しないと約束して戴けるならフードを取ります」
「わかった。口外しないよ」
「ありがとうございます」
アンダーヒルがそう言って被っていたフードを徐に持ち上げた瞬間、
(あれ? これが現実の姿なら、声も身長もこのままのアンダーヒルってことで、もしかしてコイツ俺より――)
なんてことが頭を過っていた俺の目の前でフードを背中側にすとんと落ち、その素顔が明かりに照らされた。
「……これでいいですか?」
目の前に、明らかに年下の可憐な少女が立っていた。
絹糸を束ねたような光沢を放つ黒髪の下から覗く二つの目は、さっきまで見えていた左目共々澄んだ瞳に俺を映している。
小ぶりだが筋の通った鼻。その下で引き結ぶように噤む唇。髪の黒と相乗的に引き立て合うような真っ白な肌。全体的には幼さを残した造型だったが、何処か人形を見ているような――というか何を考えているのかも、そもそも何かを考えているのかもわからないその表情は、幼さをまったく感じさせないものだった。
「えっと、その……。アンダーヒル、お前いくつ……?」
思った以上に高水準の容姿を持っていたアンダーヒルに――しかもこれがアバターではなく現実の彼女自身の姿だと意識するとなおさらに動揺する心を隠しつつ、同じぐらい驚愕だった事実を問い質すと、
「十四歳です」
有り得てるけど有り得ねえ……。
二つ下――つまり身近な例で言えば妹の椎乃と同い年ということか。
しかし元々子供っぽい椎乃をさらに小学生ぐらいにまで引き下げそうなくらい大人びているアンダーヒルを見ていると、どちらの成長が変なのかいまいちわからなくなってくるな。無論アンダーヒルの方だろうが。
「にしても、お前――」
年齢、容姿と連続して驚かされた俺は、最後にもうひとつ驚きを隠せない要因のそれに思わず手を伸ばした。
何の前触れもなく突然触れたにも拘わらず、首を傾げるだけという薄い反応を見せたアンダーヒルの左頬にある、黒い稲妻型の入れ墨。
この特徴らしい特徴は現実の彼女のものではなく、FO特有の意味を持っている。
「――“影魔種”だったのか?」
影魔種。
刹那や今の俺の人間種(前はリュウ同様の獣人種だったが)や、シンの魔族種、トドロキさんの化狐種、ネアちゃんの天使種と同じく、FOに250種類ある種族のひとつだ。
しかしこの影魔種という種族――――少なくとも古参と上位プレイヤーで今までに選んでるヤツを見たことはない。実は知名度が高い割にプレイヤーの中で占めている割合は異常に少ない、つまりは圧倒的に不人気な種族のひとつなのだ。
影魔種はステータスの成長が遅く、他の種族のように特出する特性を持たない。さらに輪をかけて、高レベルにならないと種族特有スキルを取得できない、と三拍子揃っているのだ。
つまり低ステータスの時期が長いため、使い物になるまでひたすら苦しいプレイングを強いられることになる。その上、ほとんど選ぶヤツがいないから種類特有スキル等の情報も全然出てこず、悪評ばかりが先走ってさらに選ぶ人間が少なくなる。
顔の何処かに黒い稲妻のタトゥーがあるというのは、そんな不遇を運命付けられた種族であることを表しているのだ。
「お前、レベルは……?」
近くにいる以上プロフィールを見ればそのくらいわかるのだが、訊いた方が早いと思って訊ねると、
「現在の[アンダーヒル]のレベルは896です」
アンダーヒルはまるで検索システムの回答のような台詞でそう返してくる。
確か刹那が902だったはずだから、アイツと同じくらいか。十分に戦力圏内だ。
本サービス開始からのプレイヤー、つまり非ベータテスターにレベルで負けるのは俺たちベータにとっては悪勲章扱いだが、アンダーヒルに負けることはしばらくなさそうだ。
「よくそこまで頑張ったな、お前」
「……? よくわかりませんが、ありがとうございます。ところでこの手はどのような意図があるのですか?」
我に返ってよく見ると、俺の右手はアンダーヒルの黒い稲妻のタトゥーに触れている。つまり、アンダーヒルの左頬に触れている。
同時に手の平に伝わる体温と、親指の付け根から手首の辺りに当たる生暖かい呼気に――――思わず心臓が跳ねた。
「す、すまん。その……そのタトゥーを見るの久しぶりだったから……」
思わず椅子から立ち上がって後ずさりつつパッと手を離すと、俺と違って特別何の意識もしていなかったらしいアンダーヒルは「いえ、構いませんが」と坦々と言いつつも、興味深げな表情で俺の手が触れていた左頬に指で触れ、首を傾げた。
時々こんな風な――不自然で不思議な仕草が目立つ奴だが、どうしよう。素顔を見たせいか、急に女の子に見えてきた。
「それで、その【0】というスキルのことですが――」
顔が赤くなっていないかがひたすら不安になっていた俺に構わず、アンダーヒルがまた一歩距離を詰めてくる。
「そ、そうだな」
若干挙動不審になりつつも、俺はスキル一覧の“0”の文字に触れる。すると思っていた通り、スキル詳細のウィンドウがそのウィンドウの前に空間投影される。
既視感。
思わず黙り込んだ俺を不審に思ったのか、鏡でこそこそ覗くのをやめたアンダーヒルが歩み寄ってきてくるりと姿勢を反転。横にぴったりくっついて、覗き込んでくる。
そして、その何も書かれていない効果説明の欄を見て、アンダーヒルも黙り込む。
【バスカーヴィル・コーリング】に続いて二度目だった。
「やっぱりただのバグなんじゃないか?」
隣に目を遣ると、アンダーヒルは腑に落ちないと言いたげな思案顔で首を傾げた。
話し方から表情も希薄だと思い込んでいたが、どうやら強ちそういうわけでもないようだ。
「この件は私も調べておきます。しかしよくわからない内は、それらのスキルは使わないで――――いえ、使いどころに気をつけて使ってください」
「了解」
「用件は以上です。私はこのまま睡眠をとるので、部屋から出てください」
アンダーヒルは急に不機嫌になったように俺を扉の方に押しやり、部屋の外に追い出そうとしてくる。
ここで抵抗して居座るほどの理由が特になかったこともあって、追い出されるままに部屋の外に出てみると、
「混沌とした現実の中ではありますが、せめて夜にはいい夢を。シイナ」
意味深な台詞を最後に残して、アンダーヒルはパタンと静かに扉を閉めた。
Tips:『モンスターとの関係状態』
FOにおいて、プレイヤーと野生のモンスターとの関係の状態はヘイト値と戦闘の有無・発見状態で管理され、以下のような公式用語群で表される。
・『発見状態』:片方がもう片方を認知している状態
・『被発見状態』:片方がもう片方に認知されている状態
・『相互遭遇状態』:相互に発見・被発見状態にある状態
・『敵対状態』:双方が相互遭遇状態にあり、かつ敵対している状態
・『交戦状態』:双方が敵対状態にあり、かつ戦闘が発生している状態
・『追跡状態』:交戦状態後、片方が離脱して逃走に入った状態
・『捜索状態』:追跡状態後、相互に相手を見失って相互遭遇状態にない状態
・『接触状態』:『相互遭遇状態』『敵対状態』『交戦状態』『追跡状態』『捜索状態』のいずれかにある状態
この他にも公式用語はあり、また非公式用語としても様々な種類が存在する




