(23)『この程度の竜族下等種』
ずうぅぅぅんっ。
頭部に続いて飛び出してきたアンバランスに巨大な前足が、地面を再び震わせる。
グフゥウウウウウウ……。
岩が割れるように開いた口から、黒煙と共に熱い呼気が噴き出す。その硫黄ガスのような刺激臭に、思わず手で鼻を覆う。
しかし、その瞬間、突然暴れ始めたケルベロスに俺と刹那が振り落とされた。
ガフッガフッ。
咳き込むように息を乱し、鼻先を地面に擦り付けるケルベロス。手で鼻を押さえることができない上に嗅覚も鋭いため、もろにその臭気に当てられたのだ。
ドロリと形を崩して一度液状になったケルベロスは、すぐにまた膨らみ始めて人型になって色彩を取り戻す。
人格(?)が複数あるとはいえ一個の個体であることに変わりはないからか、人型でも姿は普段通りだった。尤も、その心が誰なのかの判別はできていないのだが。
「チッ……!」
受け身の体勢で強く舌打ちした刹那は、出現した異形の巨竜モンスター、妖岩龍ヴォルカを睨み付ける。
そして、
「【神魔の拘束】!」
太ももの鞘帯から引き抜いたフェンリルファング・ダガーを鞭状に形状変化した。
バチィンッ!
振るわれた光鞭が地面を強く打ち、ヴォルカの【衝波咆号】をキャンセルさせる。
バインド・ボイス・キャンセラー。鞭の持つ、唯一の特性だ。
その音は出会い頭の大型モンスターを怯ませ、咆哮のモーションを強制停止させる。ちなみに対人戦でも、プレイヤー版衝波咆号スキル【強者の威圧】を無効化することができる。
意外なほど会得条件の厳しい消音系スキルやそもそも正規スキルかすらもわからない【0】の他で唯一怯みを回避して先制をとれるため、それを知っている人には重宝されているらしい。
「アンダーヒルっ、コイツの弱点は!?」
「実質的な弱点はありません」
「うえぇ……何よソレ」
あまり幸先の良くないアンダーヒルの言葉に、明らかに嫌そうな顔でぶつぶつ悪態をつき始める刹那。しかしその間にも鞭を素早く引き戻し、鞭からダガーへ再びモードチェンジしている。
一方、バインド・ボイスをキャンセルされたヴォルカは、一拍空けて威嚇の初期動作に入る。這い寄るように頭を地面近くまで下げ、間合いを計るように横移動しながらガタガタと下顎を震わせる、竜族特有の動作だ。
「シイナ、少なくともあなたは後に『煉獄堕天』と戦わなければなりませんので、行動は消極的で構いません。現状戦力であれば、時間は要しますが、倒すことは比較的容易でしょう」
久々にまともな大型モンスター討伐だとさりげなく息巻いていた(ひとつ前がニャルラトホテプとクトゥグア、その前に至ってはドレッドレイドやら火狩やらやたらと面倒な対人戦闘ばかりだった)俺の出鼻を躊躇いなく挫くアンダーヒル。
「そうそう、アンタこそ休んでなさいよ。むしろ邪魔ね」
刹那がダガーを強く引いて鞭を回収しながらそう言った。
グザファン自体もそれほど強力なモンスターではないが、消耗が激しいと苦戦するのは当然。今回は、俺が【災厄の対剣】を手に入れる目的で来ているのだ。俺がいなくては意味がない。そういうことなのだろう。
言い方はともかく。
「ハッ、余裕だなお前ら。向こうはもう準備万端だってのによッ」
いつのまにか一番前にいた右が闘争心溢れる笑みを浮かべて吠える。
その両手にはいつも通り漆黒の小太刀を双振り携えている。
そして件のヴォルカはというと、威嚇モーションも終わったのか、今は巨体を揺らして体表面の溶岩を落としている。
そして、
「突進です」
微妙にタイミングの遅いアンダーヒルの警告とほぼ同時に、ヴォルカの巨体が素早く動いた。前肢を地面に突っ張り、その腕力のみで身体を前に押し出してきたのだ。
まるで投石器だな。
などと暢気に思うのも束の間――大きく横に飛び、さらに空中で地面に手を突いて距離を伸ばし、やっとのことで突進を回避する。
ガガガガガガッ。
地面を削りながら急停止しつつ、その反動を利用して前後回転。ヴォルカはこっちに向き直る。
その間に目視で確認していたのだが、俺と違って女性陣は可も不可もなく避けたらしい。レナに至っては【装束不明】で物理攻撃無効化するという徹底ぶりだ。
ヴォオゥ……。
短く唸ったヴォルカは下顎をガタガタと震わせ、ガパッと大きく口を開いた。
轟ッ!
瞬間、その口の奥から無間断で吐き出された炎弾が一番近くにいた人影に直撃し、撥ね飛ばした。
「ッ……!? アンダーヒル!」
「心配、ありません……」
痛みを堪えるような声でそう言ったアンダーヒルは残り火に晒されていたローブを翻し、完全に消火する。
「出足早すぎんだろ……」
「アンダーヒル、『ステータスは見た目ほど高くないので倒すことは簡単』だって言ってたわよね……?」
「ヴォルカのステータス値を見て確認してみますか?」
「いや、いいわ。何か折れそう」
よく考えたらアンダーヒルは単純にスペックが違ったから、『簡単』の度合いが違うのかもしれない。
ステータス値がそう低いわけでもなかったら、さすがの刹那でも心が――。
「……キレて」
――俺の身体の何処かの部位ではないことを祈る。切に。
「お主ら。足手まといなら下がっているがいい。この程度の竜族下等種、我一人でも十二分に殺れるからな」
双振りの小太刀をX字にクロスしてヴォルカの踏みつけを受け止めて競り合うレナが、強がるような声でそう言った。
しかしあまりの重圧に手は震えてしまっているし、小太刀も軋むような悲鳴をあげている。あまり余裕はないだろう。
「ったく、うっさいわねッ。【投閃】、【練気】、【包爆】、【貫通】!!!」
早口でスキル詠唱を済ませた刹那が、もう一振りのフェンリルファング・ダガーも引き抜きつつ、その付加スキルのついたダガーを一直線にヴォルカの顔に放つ。
「【神魔の拘束】、【速線束決】!」
と同時に鞭にモードチェンジしたもう一方のダガーの刃先を同軌道へ射ち出した。
元よりプレイヤーの反応速度ですら慣れた人でなければ避けられない【投閃】。レナと力が拮抗して、少しでも動けばそのバランスが乱れるという状況下でヴォルカはダガーを避けることはできなかった。
ドォンッ、ブシャッ!
【包爆】の爆発音に続いて生々しい音が耳に入り、呆気なく消える。
その途端、拮抗が崩れた競り合いはレナに軍配が挙がった。
「うっっっおぉぉぉぉぉっ!!!」
(珍しく)男らしい雄叫びと共に、ほぼ力任せにヴォルカを押し返すレナ。
ただでさえ不釣り合いな大きさの前肢が競り負けたことで、体勢を崩されたヴォルカは背中側から後ろに倒れ込んだ。
ッ……ドォオオオオンッ!
巨体の重圧に耐えられなかったのか、周囲より薄い場所だったのか、岩盤が割れ、その下の溶岩溜まりに沈むヴォルカ。
パシッ。
直前に回収していたフェンリルファング・ダガーが、鞭に引かれて刹那の手に戻る。糸や紐状のアイテムを手元で連結させるスキルになんてことを。




