(21)『少なくとも敵には』
「シイナ、一応確認するけどマップ上から位置表示を消すのってできる……?」
念のため岩陰から岩陰へと身を隠しながらひとつだけ残った光点に近づいていくと、隣の刹那がマップを確認しつつ無声音で訊ねてきた。
「死に戻り以外ではアプリコットみたいなエリア外に空間転移できるスキルぐらいしか聞いたことないな。後は裏だから地雷口とか次元落下みたいな仕様罠ぐらいだと思う」
シストラ、つまりシステムトラップで裏フィールドに飛ばされたプレイヤーは、位置表示の光点が消滅する。
他のパーティメンバーからも位置がわからないどころか、特徴的な地形がなければ本人すら自分の位置を把握できない。
以前クラエスの森の奥の水没林で苦労したのはひとえにこれが原因である。
「アンダーヒルはそんなスキル持ってないし、自演の輪廻があるから死に戻りもありえない……どういうこと……?」
「俺に訊かれても……とりあえずコイツに訊いてみるしかないな」
謎の人物Xは何がしたいのか何度か方向を変えて移動しているのだが、すぐに同じ場所に戻っているのだ。
まるで何かを探しているみたいに。
「アンタが勢い余って【隠り世の暗黙領域】の返信ウィンドウ消さなきゃ直接アンダーヒルに訊けたのに……」
「それについては全面的に俺が悪いから謝ることしかできないよっ!?」
ついさっき殴られたばかりでずきずきと痛む右肩のやや下方を押さえつつ、刹那に続いて岩陰を飛び出す。
そして何度か岩と岩の間や岩壁の隙間にできた小路を通り抜けて、Xのいる小広場との距離を詰める。
「そこの角を右に曲がれば見えるわよ」
左太ももに差した【大罪魔銃レヴィアタン】に手を添える。
危険を確認したらその時は、刹那より早くソイツを撃つ、もとい、討つ。俺たちの敵になるような連中に対しては、後手に回るほど危険なことはない。
それに誰も口にこそ出さないが、召喚スキルの最高峰【精霊召喚式】を失った刹那の戦力低下は歴然。
現状、いざという時に刹那を守れるのは俺しかいないのだから。
そんな決意を密かに固めつつ、刹那よりも先んじて曲がり角から飛び出し、大罪魔銃を目前に現れた人影に向ける。
小柄な体躯。赤黒い背景からも浮いて見える漆黒の衣装。その隙間から見える白い肌。引き抜かれた大きな狙撃銃。
思いきりうちのアンダーヒルさんそのものだった。
「っておい!?」
「どういうこと……?」
引き抜いていたらしい短剣を納めた刹那が混乱気味の表情で見てくる。
「……そういうことでしたか」
相変わらずの状況把握力を発揮したらしいアンダーヒルが、俺たちの説明よりも先に納得の表情を見せた。
「消滅した光点は私のものではありません。常にマップを確認していればそれは明らかだったため連絡は省いたのですが、どうやら判断ミスだったようですね」
心配をお掛けしました、と小さく呟きながら頭を下げるアンダーヒル。相手の不注意も指摘しつつ自分のミスということにする辺り彼女らしいが。
「で、誰かわかったの、アンダーヒル」
「未確認のため、あくまでも推測の域を出ませんがおそらくは」
「敵? 味方? どっちでもないなら面倒事がなくていいんだけど」
刹那が残念なことを言いながら、周囲に警戒の目を向ける。
アンダーヒルが『推測の域を出ない』と言った以上誰とは問わないものの、どちらにしろ怪しい人物であるのは変わっていない。
敵も味方も関係なく、有害だったり危険だったり面倒だったり厄介だったりするやつはいるものだ。
アプリコットが悪い意味でいい例だ。
最近は慣れてきてしまったのか、暴走をただの悪戯程度にしか捉えない自分がある種悩みの種でもあるのだが。
そんなことを考えながらアンダーヒルの言葉を待っていると、
「もしこの人物が彼だった場合は、少なくとも敵にはなりえません」
彼女は開いたマップウィンドウに視線を落としつつそう言った。
「彼、ってことは男か」
真っ先に頭に浮かんだのは、ストレロークのことだった。
アンダーヒルとの関係から敵にはなりえない人物で、戦闘を避けてモンスターから逃げていたのは近接戦が苦手だったから。そう考えてもおかしくはない。
スナイパーとしてのプレイスタイルを選ぶプレイヤーは、狙撃の才能があるかどうかではなく近接戦が苦手だからという理由から来るものが案外多い。そういうタイプは得てして大した腕ではないのだが、アンダーヒルのように(理由は少し違うが)一線級の狙撃手がいないわけでもないのだ。
「それで位置情報が消えたのはどういうわけなの? アンダーヒル、まさか何かやった?」
「私は何もしていません。思うに、このXは知っている、ということでしょう」
「知ってる……?」
含むようなアンダーヒルの台詞に、刹那が訝しげな声をあげる――――が、しかしその瞬間、その声は全く別の音。大音響の咆哮にかき消された。
ごぉおぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!
「ッ!?」
比較的近い場所から響いてきたらしいその轟音に、思わず耳を塞ぐ。しかし聞こえる音は半減できても、熱せられた空気をビリビリと震わせるその覇気に身がすくむ。
【衝波咆号】が発動しているのだろう。
「まさかヴォルカか!?」
「この咆哮パターンは追尾式地雷による出現時のものですから、間違いないでしょう」
「お前まさか全モンスターの鳴き声聞き分けられるのか……?」
「現時点ではこのフィールドに出現するモンスターのもののみです。事前にある程度の下調べは済ませてきました」
まさかコイツ、毎度毎度そんなことやってるわけじゃないだろうな……。
「おそらくヴォルカが接触したのはX……急ぎましょう。Xが誰にせよ、また処遇がどんな形に決まるにせよ、間違ってもこの人物がヴォルカによってキルされる事態はいい結果とは言えません」
アンダーヒルのローブがはためき、一陣の風と共に背中の六枚翼が付け根から燃え上がるように大きく開く。
漆黒の鎌の刃のようなフォルムの無機質な翼は、羽搏きもせずにアンダーヒルを宙に浮き上がらせた。
「あまり長くはできませんが……」
アンダーヒルがそう呟くやいなや下翼(三対の翼の内、一番下の一対の翼)が波打ちながらぐぐっと鎌首をもたげ、俺と刹那の胴体に巻きついた。
それもかなり強い力で。
「ちょっと待てアンダーヒ――」
「行きますよ」
次の瞬間、止める間もなく空中で前傾姿勢になったアンダーヒルが――ギュルンッ!
螺旋のように回転した。
途端、当然のごとく翼に捕まったままの俺と刹那も強い力で引っ張られ、足が地面を離れる。混乱も束の間、ぐるぐると回転しながら後ろの方に流れていく視界の中に刹那が映る。俺たちの身体に巻きつく翼が俺たちごと密着したのだ。
坑道よりも狭い火山の入り組んだ道を、ジャイロボールのように回転する黒槍が通過していく。
スパイラルやらジャベリンやら色々な俗称で呼ばれる飛行テクニックだが、本来は空中戦闘で自分の身体を回転させながら飛び、相手に突撃を仕掛ける荒業だ。銃のライフリング同様、直進性を上げることに加え、前方からの物理ダメージを弾き返す効果がある。
しかし公式で実装されているわけではなくシステムのサポートなどまったくない。
故に自爆するプレイヤーも珍しくない。
そもそもこんな複雑な道では基本的に不可能だ。
「~~~~~~ッ!!!」
ガリガリと岩が削れるような音や何かが一撃で割り裂かれるような鋭い音、そして風の音(というより風切り音)の向こうから、絶叫マシンが大の苦手らしい刹那の声にならない悲鳴が聞こえてくる。
普段の俺なら刹那と似たような反応しかできなかったのだろうが、何故かこの時は『今現在のアンダーヒルが正気かどうか』というある意味不毛な思考に埋め尽くされていた。




