(5)『他意はありません』
黒き隠者は時を移さず動き出し、好奇の探求者は館中に散る。
鏡よ鏡よ鏡さん。世界で一番美しいのはだあれ?
鏡は何も応えない。目につく物全てをただ映すだけ。
元[ゲストルーム5]前廊下――――。
部屋の名前が[アンダーヒル]に変わっているその部屋は、ちょうどエントランスホールの天井裏に当たる場所にある。とは言え屋根裏部屋のようになっているわけではなく、二階ロビーから廊下に出て直ぐのところにある数段分高い階段の上にあるL字の廊下の先にある二部屋のひとつだ。
「案内、お疲れ様、理音。仕事に戻っていいぞ」
「はいっ」
理音を手を振って見送ると、改めてそのドアに向き直り、多少覚悟を決めるような心持ちでノックする。
「どうぞ。鍵は開いています」
中から聞こえてきた少しくぐもったような声に促され、ノブに手をかけてドアを引き開ける。
巨塔の周囲を囲むように広がる巨大な円形広場に隣接して建つ≪アルカナクラウン≫ギルドハウス、その二階にあるこの部屋は通りに面した大きな出窓があるため、外の景色がよく見える。
――――裏を返せば、表の大通りを監視するのに向いている。
俺が部屋に入ると、アンダーヒルはまるで当たり前のようにその特筆すべき特徴を大いに活用しようとしていた。
「何やってるんだ……?」
窓際のテーブルの上に乱雑に置かれた黒い機材――のようにみえる謎のオブジェクトを前にして、何やら作業しているらしい黒い人影に先んじて声をかけると、
「どうぞ入ってください」
チラッとこっちを見たアンダーヒルはそれだけ言って作業を再開する。
後ろ手にドアを閉め、わざわざ俺一人だけを呼んだことを考慮して、他の人が入れないように鍵を閉める。
ガチャリとよく目立つ音に一瞬気を取られたのか、アンダーヒルは再び作業を中止してこっちに振り返り、またどういう意図が込められているのかわからない目でじっと俺を見詰めてくる。
「……何だ?」
「何でもありません」
素気無く返され、これ以上は触れないようにしようと思いつつ、窓際のそのテーブルに歩み寄る。
黒色オブジェクトのひとつを手に取ってみると、それは円柱状の本体に脚を付けたようなもので、その繋ぎ目の窪みにはコードのような細いものの束が見える。
引っくり返して円柱状の本体をよく見ると片方が塞がったパイプになっていて、もう片方には何故か鏡が、そしてその保護用なのか透明な板が嵌め込まれている。
表示されたアイテム名は――『CURIOUS SEEKER』
聞いたことも見たこともないものだ。
「何なんだ? コレ」
「監視用のカメラのようなものです」
「……はい?」
俺が聞き返すと、アンダーヒルは徐にテーブルの上に乗って窓の上部にその機材を宛がい、窓枠に固定し始める。
「いや、監視用って……。この世界にカメラなんてないだろ」
「はい、ありません」
いきなり矛盾したようなことをしれっと言ってのけるアンダーヒル。
「今のところ私を除く他のプレイヤーから見れば、それらはただの鏡に過ぎません」
言っていることの意味と言いたいことの意図がまったくわからないんだが。
俺の心に浮かんだそんな疑問を察したのか、機材を取り付け終えたアンダーヒルはテーブルから降りつつ、俺の方に流すような視線を一瞬向けると、
「[FreiheitOnline]に色々なユニークスキルがあることはあなたもよく知っていると思いますが、私の情報家としての立場は私の保有しているとあるスキルに起因しています」
「話が唐突すぎてよく掴めないんだが、そのスキルっていったい何なんだ?」
面倒になってそう訊ねると、アンダーヒルが置いてあった機材のひとつを手にとって、「どうぞ」と手渡してくる。
「それを好きな方向に向けてください」
何気なくアンダーヒルの顔に向けると、何故か呆れたようなジト目で「私に向けないでください」と言われた。それで仕方なくテーブルの上の雑多な機材の方に向けていると、アンダーヒルはメニューウィンドウでいくつか操作すると、
「――【言葉語りの魔鏡台】――」
発声によるスキル発動。
一瞬何が起きるかと身構えるが、周囲に目立った反応はなかった。しかし、アンダーヒルは可視化したウィンドウを引っくり返して俺に見せるように向けてきた。
そのウィンドウには、菱形の木製の板の下側から段々小さくなる黒い物体が――――違う。テーブルの上に置かれた黒い機材を浅い角度から俯瞰で見たような画像が貼りつけられていた。
いや、小刻みに揺れているところを見ると、これは映像……?
「自分の所持する鏡系アイテムに映った映像をカメラのように録画するスキルです。決して戦闘向きのスキルではありませんし、鏡が割れてしまえばそれで終わりですが、映った映像記録は一定期間保存され、いつでもスキルメニューから確認が可能です」
「だから監視カメラってことか。使い方によってはかなり優秀な能力だな」
アンダーヒルも頷いて同意する。
「で、なんで俺を呼んだんだ?」
「ギルド内及び周囲にこれと同じものを設置したので許可をください」
「おい、“い”が抜けてないか?」
「抜けていません」
まさかの事後承諾。いや、確かに字面こそ依頼になっているが、これはもう事後報告と言って差し支えない。
「目的は?」
「このギルドの要塞化が主な目的です」
非現実ですら非現実的な扱いを受けそうな台詞だった。
その『主』じゃない目的ってなんですかね、アンダーヒルさん。
「……まぁ、好きにしてくれ」
刹那辺りに訊こうとも思ったが、今さら既に設置したモノを全て撤去する作業をさせるのも大変だろう、と判断した。
物陰の人影が頼りになりそうというのは、刹那も同意見だったようだし。
「それで、用はそれだけか?」
「いえ、渡すものがあります」
「渡すもの?」
「はい。事前の情報によるとあなたは全ての装備品と素材、スキルを失ったと聞いていますが、それは事実ですか?」
トドロキさん、結局全部話してるし。
後でどんな報復されても一発叩いておこうと決意しつつ、こくりと頷く。
「この装備は刹那から貰ったものだし、今使ってる王剣もリュウからの借りモンだ」
今のところは返す気ないけど。
「魔弾刀は使わないのですか?」
痛いところを坦々と容赦なく突いてくるのは実は底意地が悪いだけなのか、その辺りの感情に疎いのか。様子を見ていると、後者の説が有力な気がする。
感情の起伏が薄そうだからな。
内面はともかく、こういう表に殆ど自分を出さない人間もたまにはいるものだ。
「使わないって言うよりは使えないだな。魔弾銃も魔刀も使わないからって誰も持ってなかったんだよ。まあ剛大剣も使えないわけじゃないからいいんだけどさ」
高威力の代わりに扱いやすさをマイナスに振り切った、異常に癖のある王剣は早めに何とかしたいが。
「熟練度は残っているのですか?」
俺が頷くと、アンダーヒルはメニューウィンドウをいくつか操作し、右手をグーのように緩く握った。そして人差し指と中指を立てた左手を右手に添え、スーッと刀身を撫でるように手を動かす。
「……ッ!?」
その動きに同調して、アンダーヒルの手の中に漆黒の太刀が現れた。その黒さはその空間に穴を開けたかのような深さで、鞘と鍔、鍔と柄の境目が視認できないほどだ。
刃渡りは120cm、全体で150cmほどのそれは、小太刀を除けばFOでは小さめの太刀だった。
「【群影刀バスカーヴィル】。運悪く手に入れてしまったものですし、差し支えなければどうぞ」
形は完全に日本刀なのに名前は横文字という違和感あふれるそれを受け取りつつ、
「いいのか?」
「少々厄介な使用条件が設定されていて、私には使用不可能です」
「条件?」
「魔刀の熟練度1000」
熟練度というのは、その武器の使用回数――具体的にはその武器カテゴリを装備して振った回数に比例して数値が上がっていく、簡単に言えば慣れのパラメータ。
この数値が高ければ高いほど攻撃力や斬れ味、武器耐久値や射撃ブレなどに補正が入り、また強い武器には大抵この熟練度による使用制限が課せられていると思っていい。
熟練度の使用制限がある場合、その数値に達していなければ、この場合鞘から抜くことすらできないのだ。
この熟練度は各武器カテゴリ上限が1000なのだが、知っている限り魔刀の熟練度が上限に達しているのは俺、『魔弾刀のシイナ』ただ一人――――つまり相当上がりにくいのだ。
ちなみに上位武器の熟練度を上げるには下位武器の熟練度をカンストしていなければならない上、熟練度が1でもなければ制限と同じく装備することが出来ないため、魔力武器を使用できるというのはそれだけやりこんでいる証だったりもする。
「魔刀は一般的には扱いにくいため、使用者が少ないですから」
「扱いにくい言うな」
「付加スキルの詳細を知りたかったのですが、魔刀の熟練度が高い物好きが他にいなかったので不明です」
「物好き言うな……」
アンダーヒルの言葉の矢にぐさぐさ刺されつつも、呼び出した武器ウィンドウから〈*群影刀バスカーヴィル〉を選択し、メインで装備する。
トクン……。
「ん?」
「どうかしましたか?」
「あ、いや。何でもない」
一瞬、心臓の鼓動のような音が微かに聞こえた――――気がした。思わず自分の胸元を意識するが、少し違う気もする。
「ではその武器の情報を見せてください。それさえわかれば差し上げます」
「お前、その為だけに……?」
「当然です。他意はありません」
初対面の奴に優しさをくれとかいう気はないが、少しぐらいの同情はないのか。
そんな念を込めてじっと見てやるが、その視線に気付いたアンダーヒルは一拍の間を置いて小さく首を傾げた。
その仕草とローブの下で揺れた艶のある前髪の動きに目の前の包帯人間が女であることを思い出す。
それを思い出すと、ぐるぐる巻きの〈*ブラック・バンデージ〉で隠れている顔が見てみたくなるのは必然的な人間の好奇心か、或いは男の性か。
アバターは女なのに――――なんてことまで同時に思い出して自爆しつつも、メニューから群影刀の詳細ウィンドウを開いた。
「えーっと、付加スキルは……“非発”【バスカーヴィル・コーリング】だな。コーリングってことは召喚系か?」
“非発”と言うのは、数秒間発声によるスキル発動を解除する符丁で、会話中に誤ってスキルが発動しないようにするためのシステムだ。
「聞いたことのないスキルですね」
唇の下に手を当てて呟くアンダーヒルをよそにスキルの詳細を開いた瞬間、頭の中に疑問符が浮かんだ。
「スキル詳細がないんだけど……」
何も書かれていないスキルの説明欄のウィンドウをアンダーヒルに見せる。
今までにこんなことはなかった。効果がないスキルなんて、名前だけのプレイヤーみたいなものだ。ありえるはずがない。
「バグでしょうか」
「俺に聞かれてもな」
「またの機会に試してみる他なさそうですね。下手に触るのは危険ですし。それでは宜しければこれもどうぞ」
さっきの群影刀と違って、かなり粗雑に放り投げられたそれを咄嗟に空中で受け取ると、
「それは魔弾銃、〈*大罪魔銃レヴィアタン〉です」
1kgくらいだろうか、ずっしりと重いソレは何処かで見たことのあるようなリボルバー式の拳銃だった。
長さ30cm弱の半分近くを銃身が占めていて、弓形に湾曲したグリップには神話の怪獣のような黄金細工が施されている。
「……まさかこれも?」
「いえ、確かに使用制限は同じですが、ひとつの好意として受け取ってください。性能に対して制限が厳しいのが多少気になりますが、付加スキルはないようですね」
好意に甘え、大罪魔銃をサブウェポンとして装備し、現れた帯銃帯に納めて左の太腿に装着する。
「まあ、とりあえずありがとう。助かったよ、アンダーヒル」
「礼には及びません。が、そろそろ本題に入ってもいいでしょうか?」
「本題? この二つは違うのか?」
アンダーヒルはこくっと頷くと、テーブルが元々あっただろう場所の近くにある木製の椅子を指差した。
それは座れということか?
Tips:『“非発”』
FOにおいて、4秒間だけスキル名の発声発動を無効にする簡易符丁。通常会話や説明などスキルの効果を使用せずにそのものを示唆する必要がある時等に使われる。この他、各個人のウィンドウコンソールからは手動でスキルの発声発動を完全に無効化することができる。符丁は不発弾などの不発を意味する英単語“dud”に由来する。




