(10)『朝っぱらから』
「此度の邂逅忘れぬ故、我らの運命線が自然交わらんとする時にまた会おう」
グランへの用件と俺との相互フレンド登録を済ませた天浄天牙が痛々しい台詞と共に出ていくと、店内を沈黙が支配した。その理由は言わずもがなだが、驚いたことにグランまでため息を吐いている。
「天浄天牙はよくここに来るのですか?」
アンダーヒルは改めてカウンターの中に視線を戻すと、推測の裏を取るようにグランにそう訊ねた。
グランはその問いに思案顔になり、厳つい表情をわずかに歪めて顧客管理のウィンドウを開いた。どうやら正確には思い出せなかったらしい。
「また来始めたのはつい最近だ。一週間ほど前に暗黒龍装備の発注を受けてから何度か、ってところだな」
ハンニヴォルの単独狩りは難しい。本来、大多数の一般プレイヤーが現実からFOに割ける纏まった時間を考えると、ソロ狩りなんてモノは二~四時間。下級ボス相手ぐらいの縛りプレイだ。それほど、そもそもからパワーのインフレが激しいFOで、上位級のソロ狩りなど十時間以上(下手すると二十時間級)の無茶苦茶な戦いだ。
当然、今となってはそんなもの何の関係もない。時間は嫌でも有り余っているし、例え仲間がいなくてもNPCを雇えば、一人でもパーティを作ることができる。
無所属で名を馳せていたミストルティンでさえ≪竜乙女達≫に名を連ね、前線に参加していたぐらいだから、そうでなくてもソロでやってる人間はいないだろう。
何が言いたいかというと、天浄天牙には少なくとも集団戦でハンニヴォルを狩れる程度の実力を備えた仲間がいる可能性が高い。つまりアンダーヒルの見立て通り、戦力になる人材の可能性だ。元々の実力者であればソイツが人材育成に長けている可能性もあるし、低かった場合でも天浄天牙と同じ程度の実力を兼ね備えている可能性は高い。
「……シイナ、彼とのコンタクト及び起用についてはあなたに任せます。私は先程話したGL同士の会談の話を進めますので」
「え……あ、ああ、わかった」
アンダーヒルがこのテの話を請け負わないなんて珍しい。大局的な戦略の話になると、俺はアンダーヒルに遠く及ばない。だから今回も彼女の指示通りに動けばいいか、とも考えていたのだが。
「シイナ、それは依存ですよ」
「ッ!?」
唐突な驚きで思わず、カウンターに歩み寄っていたアンダーヒルの背中に視線を遣る。読唇で読心されるのはいつものことだが、今回彼女は俺の方を向いてすらいない。俺のクセらしい唇の微動すら見ていないのに、考えていただけのことに返事を返すなんて有り得ない。
そう考えていた矢先――チラ……。
アンダーヒルは澄ました表情を変えることなく、俺の方に振り向いた。その黒々とした瞳に見つめられ、思わずたじろぐと、
「グラン、12.7×108mm弾・8.60×70mmLM弾・7.62×51mmN弾・45LC弾を20ケースずついただきます」
カウンターの中のグランに一度だけ向き直ってそう言ったアンダーヒルは、グランが頷くのを確認して俺の方に歩み寄ってきた。
ちなみにアンダーヒルが注文したのは、それぞれ【コヴロフ】・【正式採用弐型・黒朱鷺】・【剣】・【大罪魔銃レヴィアタン】で使用される弾だ。
「先程のあなたの反応から思考を推測したまでです。普段のあなたならその程度はわかると思っていましたが、買い被りすぎだったのでしょうか? あるいは疲労または空腹で普段の思考能力を十分に発揮できないのでしょうか?」
全部だろう。
アンダーヒルは何故か俺の能力を買い被って捉えているフシがある。他の面々に対しては、恐ろしいほど冷徹に、正確な戦力分析を行っているのにだ。
彼女の中では俺は現≪アルカナクラウン≫メンバーの中でも『最強』ということになっているのだ。確かにスキル等を失うまでの自分なら可能性としてなくもないのだが、現状なら下手すると最弱にもなりかねない。改めて考えると悲しくなるのでここまでにしておくが(時既に遅し)。
「影の嬢ちゃん――」
「前者二種は私、後者二種はシイナです」
「…………あいよ」
読心はグランにも通用するらしい。
普段から他人が何を考えるかを気にしているわけではないらしいが。何故俺だけ。
「代金は差し引いて、それぞれのアイテムボックスに送っておいた」
「ありがとうございます、グラン。それでは戻りましょう、シイナ」
「あぁ。グラン、また来るよ」
「おぅ、刹那嬢ちゃんにもよろしく言わないでくれ」
「言わないのかよ」
グランとよくわからない遣り取りを交わしつつ、俺はアンダーヒルについて店を後にした。
「ん……」
目が覚めた。
少し肌寒いぐらいの室温。
もう一度掛け布団を頭から被って二度寝してしまいたくなる衝動にかられるが、何とか布団ごと床に落ちて無理矢理覚醒する。
「痛ぅ……」
もぞもぞと動きつつ、目の前に音声通信用のウィンドウを開く。
『おはようございます、刹那様』
「おはよう、理音」
『いつものですか?』
「早くね」
『はいっ。今お持ちしますね』
いつもの、というのは毎朝目覚ましのために飲んでいる、マグカップに半量の濃いコーヒーのことだ。本当はコーヒーは苦手なのだが、朝に弱い自分はこうでもしないと誘惑に負けて一時間は潰れてしまう。
立ち上がって布団をベッドの上に投げ捨てると、理音を待つ間にテーブルの上の二本の鞘帯を太ももにベルトで止める。
その鞘に【フェンリルファング・ダガー】をふたつとも納めた時、コンコンとノック音が部屋に響いた。
「入っていいわよ」
遠隔操作で部屋の鍵を開けると、銀色のトレーにマグカップを乗せた理音が扉を開けて姿を現す。
「お待たせしましひゃあっ!?」
理音がにこやかな笑顔で部屋に入ってこようとしたその瞬間、表情が驚きと恥じらいの朱に染まり、肩が跳ねた。
当然のごとくその反動で傾いたトレーから放り出されたマグカップは宙を舞い、理音のメイド服と床のカーペットに焦げ茶色の染みを作った。
「ア……」
私は絶句しながらも、この惨状を作った馬鹿の名の頭文字を絞り出す。
「アプリコットォッ!!!」
「やぁおはようございます、刹那ん。どうしたんです、朝からそんな大声出して」
ドアの陰から突然姿を現したアプリコットが、いきなり理音の胸を鷲掴みにしたのだ。
「は、放してくださいぃ~~」
情けない声を上げてもがく理音。その胸はアプリコットの手に弄ばれ、激しく上下している。
「いいじゃないですか、減るもんじゃなし。それにしても高感度……っと間違えた。減るのはボクの好感度ぐらいですよ」
「せ、刹那様助けっ……ひゃぅ!?」
スパァンッ!
「わぶっ!」
投擲したダガーの柄が、狙い通りにアプリコットの額にクリーンヒットした。
そのまま何の抵抗もなく後方に吹っ飛んでいったアプリコットに対し、その手から逃れた理音はわたわたと床を這って逃げ、ついでに仕事を思い出したのかマグカップも回収している。
「朝っぱらから面倒なことさせんじゃないわよ、ったく……。理音、新しいの入れてきて」
「は、はい……!」
理音が倒れ込むアプリコットの脇をすり抜け、パタパタと廊下へ出ていくのを見送ると、
「アンタがこんな朝早くに起きてるなんて珍しいじゃない。何企んでるのよ」
もう一本のダガーに手をかけたまま、アプリコットに近づき、そう問いかける。すると、アプリコットはさっきのダメージがまるでなかったかのように起き上がった。
「さて、じゃあ行きましょうか」
「はぁ?」
そして意味不明の発言。
思わず出てしまった間の抜けた声を誤魔化すために冷たい視線をくれてやると、アプリコットはその意図を見透かしたようにくすくすと笑った。
そしてアプリコットはおもむろにフェンリルファング・ダガーを拾い上げると、その刃先を指で挟み持ち、こちらに差し出してきた。
「行くって何処によ」
ダガーを受け取りつつ私がそう訊ねると、アプリコットはくすりと意味深な笑みを浮かべた。私はその笑みに、嫌な予感を覚えずにいられなかった。




