(5)『天外比隣‐クリティカル‐』
「あの……アンダーヒルさん……?」
「……何ですか、シイナ」
俺は朝食も済ませない内から、何故かクラエスの森の小高い丘の上で組んだ手を枕にして寝転がっていた。
そして連れてきた張本人、右隣から俺の呼びかけに無難な応答を返してきたアンダーヒルさんは、ほどいた黒い包帯が膝から落ちているのも気づかず人差し指に止まる蝶を眺めている。
ステンドグラスのように透き通る色とりどりの翅を持つ『百々色調』。クラエスの森だけでなく自然系フィールドになら何処にでも出現可能性のあるこのモンスターは、その日中フィールド内の危険モンスターの出現を抑制する、平和的なオプションを持っている。
ちなみに、当然制約上俺と同じ空間内にいなければならないリコとサジテールは連れてきているが、同じくヒューマノイド・インターフェースのレナ、ニャルラトホテプと共に別行動をしているため、実質的にはアンダーヒルと二人きりだ。
そして気まずくなった末の呼びかけだったのだが――
「俺たちはここで何をしてるんだ?」
「現在段階ではここにいることに目的はありません」
(目的がない……?)
アンダーヒルにしては珍しい、と言うより今までにはほとんどなかったことだ。
もしかしたら今までにもあったのかもしれないが、少なくとも彼女の口から聞いたことは一度もない。
アンダーヒルは優しく暖かい日の光に照らされキラキラと輝くチョウの翅を見て、くすりと表情を綻ばせた。そして、今までになく緊張のほぐれた声で、
「しかし私は、無為に時間を過ごすのもいいと思っています」
ごく自然な微笑みを浮かべてそんな言葉を口にした。
(反則だろ、それは……)
シンやアプリコットの言うところのギャップなのだろう。その表情は普段の過剰なまでに大人びた彼女とはうってかわって、十四歳という年相応のものだった。
仮想現実には現実の心情を持ち込まないと決めていた俺ですら思わず見惚れるほどに。
(これで三人だぞ、俺……)
意志が弱い。
その時、俺の反応がないのを不思議がってか、アンダーヒルが俺の方に振り向いた。その拍子に驚いたらしい蝶が慌ただしく翅を動かして飛び上がる。アンダーヒルはそれを見送るように視線を上に向けると、
「あなたは今、何を考えていますか?」
再び無表情に戻った顔を俺の方に向けて、そんなことを訊いてくる。
「いや、何も」
「何でもないのであれば何故口元を隠すのですか?」
「読心回避だ、気にするな」
「あなたは私を何だと思っているのですか……?」
アンダーヒルはその認識が不服らしく、低い声でそう呟いた。そして寝転がったままの俺の脇に正座して、俺の膝に手を置きつつ見下ろすように見つめてくる。
何故だか目が逸らせない。
アンダーヒルの比較的短い黒髪がそよ風に揺れる。彼女の左頬の黒い稲妻型のタトゥーが不自然な淡い光を放つ。
「あなたは私のことをどう思いますか?」
アンダーヒルは唐突に言い直した。似たような文面に見えるが、微妙にニュアンスの異なる言い方だ。
「い、いきなりどうしたんだ……?」
「こんなことを訊くのは初めてですが、ただ気になるだけです。私個人の興味本位からの質問ですので本音で構いません。あなたにとって私とはどういう存在ですか?」
思わず、冷や汗が背を伝った。
アンダーヒルの様子がいつもと違う(普段がおかしいと言えばむしろそっちが正しいのだが)と思っていたら、とんでもないところからの変化球を食らった気分だ。
普通の人間なら答えるどころか訊くことすら躊躇うような質問でも、その辺の機微に疎いらしいアンダーヒルにとってはその他の質問と同じなのだろうか。
とそこまで考えたところで黙りこくる俺をどう思ったのか、アンダーヒルはチラと視線を泳がせて小さくため息を漏らした。
「……シイナ、申し訳ありません。いつのまにか時間になっていました」
「……時間? 何か予定があったのか?」
身体を起こす。そしてアンダーヒルの視線の先に目を遣り、思わずぎょっとした。
「誰かと思ったら九条椎名と坂下結羽じゃないですか、奇遇ですね。っつーかこんなところで待ち伏せデートですか?」
朝っぱらからやたらテンションの高いアプリコットが森の奥から現れた。
本名で呼ぶな。
しかし驚いたのは彼女が朝早くに起きていたからでも、俺たちがギルドを出た時にソファで寝ていたはずの彼女が森から出てきたからでもない。
少なくとも俺はアプリコットの隣――そこに佇む人物に対して驚きを隠せなかった。
黒いローブ姿はアンダーヒルにも通じるところがあるが、さらにわかりやすい共通点は、背中に斜めにかけた気味の悪いほど白一色の狙撃銃――あの人物はスナイパーなのだろうか。
と観察していると、フードの下から覗く色黒の肌がピクリと動いた。
すると、おもむろに手を持ち上げたその人物はアプリコットの軍服の白シャツの袖をくいっと引っ張った。
「ん?」
黒いローブの人物は、アプリコットの耳元に顔を寄せ何かをボソボソ囁いている。
「ったく意思疏通ぐらい自分でやってくださいよ、ローク。えーっとですね、シイナ。ロークが言いたいことを改悪して言うとですね――」
なんで改悪するんだよ。
「――『あまりじろじろ見ないでください、この変態! 子供ができちゃうじゃないですか、害悪!』」
「隣のロークさんとやらが違うとばかりに必死で首振ってんだが……」
「気のせいですよ、きっと」
「お前、そんなこと繰り返してるんじゃないだろうな……?」
「アンダーヒルに呼ばれなきゃ、ロークは普段人と会わないんですよ。ボクと同じリアルヒッキーだったりもするので」
俺と同じく現実ではダメ人間ということだということですね、わかります。
「ついでにいうと恥ずかしがり屋っつって誤魔化しもなく、ただのコミュ障の人見知りわっしょいですよ、くっくっく」
アプリコットは口元に黒い笑みを浮かべ、久しぶりに心底楽しそうに振る舞う。
「まったくボクはロークのメッセンジャーじゃねえんですよ?」
「……」
なにやら話しているアプリコットとローク(プレイヤー名[ストレローク])をよそに、アンダーヒルの耳元に顔を寄せ、
「誰だ?」
と囁いた。
「私と同じスナイパー専門のガンナーですよ。天外比隣と言えばわかるでしょう」
「嘘つけ、あれがか!?」
「私は嘘を吐きません」
こともあろうにアンダーヒルがしれっと挙げたのは、FO内では物陰の人影並みに正体不明な、スナイパーの二つ名だった。




