(49)『三千六百分の一』
「このフィールド『異形の邪神界域』は魑魅魍魎が作ったのではないですか?」
刹那・シン・スペルビア・サジテールの四人が、ライフがゼロになってもなお普通に活動するニャルラトホテプが空間に開けた裂け目を通ってこっちの世界に無事帰還した直後、アンダーヒルはスペルビアに問いただした。
「うぃ。ドクター、クトゥウーマニア」
幼児逆行でついにクトゥルーまで言えなくなったか、などと考えているとスペルビアはパッと俺の方を振り向いてぷーと頬を膨らませた。言えてない自覚はあったらしい。
何にせよ子供だが、それにしても椎乃の方が子供っぽく思えるのは何故だ。
(あれ? そう言えばアンダーヒルと一緒にいったはずの椎乃は……? クトゥルフ戦の方かな……)
同じく魑魅魍魎の作った『幽墟の自律兵器演習基地』も、中級モンスターを12体討伐の後、それまでは無害だったモンスターが集合してボスになるという他とは非常に外れた攻略方法だった。他にも魑魅魍魎の作ったフィールドは特殊かつ複雑なクリア条件を持つものばかり――という説明を続けるアンダーヒルを見る。
「加えて、亡國地下実験場のリコ・幽墟の自律兵器演習基地のサジテール・虎狼檻の群影刀の一例でもわかりますが、魑魅魍魎のフィールドにはインターフェースが据えられていることが多いのです。ニャルラトホテプ、あなたもヒューマノイド・インターフェースなのではないですか?」
アンダーヒルはスフィンクス・ニャルラトホテプを見上げてそう言った。
無貌のスフィンクスは、くっくっと再び冷笑を漏らすと、
「強ち間違いじゃないケド、答えは否。我々はヒューマノイド・インターフェースじゃナイヨ。そう名指しされているのは盲目にして無貌のもの、ただそれダケダシ」
「それ、何か違うの……?」
シンたちと合流した時には危険域まで削られていたらしい刹那が、不機嫌そうな声で訊ねる。
「彼らにとってはそれぞれが別々の顕現であり、全てが同じニャルラトホテプという邪神なのですよ、刹那」
「いい加減、意味わかんないわね……」
こめかみに手を添え、堪えるような表情になる刹那。キレ気味というよりは呆れに近い感情だろう。比較的安全だ。
ヒューマノイド・インターフェースではない、という予想を外したせいか隣に立つサジテールは不服そうだ。
「お前さっきどうして自分からアイツの中に入ったんだ?」
と小声で聞くと、サジテールは不可能性領域を解除して、騎馬の下半身に収納しつつ、
「え、あぁ、うん。不可能性領域で中から出れないか試そうと思って。それでできなかったっていうことは自力で出る方法があったってことなんだけど……そうこうしてる間にこっち側から開いちゃったみたい。さすが私のご主人様♪」
そう言って慣れたウィンクを飛ばしてくる。とっさに躱してしまった理由は自分でもわからないが、それでサジテールが少し不機嫌顔になったのは事実だった。
「ニャルラトホテプさん、あなたはこれからどうなるんですか?」
ネアちゃんがスフィンクスを見上げて問いかける。聞くのはアンダーヒルだと思っていたが、様子を見るにさっきからそれを気にしてそわそわしていたのだろう。
顔のない黒いスフィンクスの状態を見たばかりの刹那・シン・スペルビア・サジテールはなかなかその話に入っていけないようだったが。
その時ちょうど目が合ったシンが「お疲れ」とばかりに片手を挙げてくる。
「我々はここで次のプレイヤーを待つノミ。新たな人間が訪れた時、我々はまた甦ル……。シカシ――」
スフィンクスはアンダーヒルに振り向くと、ミシミシと軋むような音をあげながら形を崩したニャルラトホテプは、盲目にして無貌のもの、人型の形態に変化した。
「未だ我を望むカ、影魔種の小娘」
「それをあなたが望むなら」
両手を広げて言葉を誘うようなニャルラトホテプに対し、想定済みとばかりに即座に言葉を返すアンダーヒル。
そしてニャルラトホテプはくっくっと再び笑い出した。
途端、アンダーヒルの目の前にウィンドウがパッと開いた。
『【盲目にして無貌のもの】を解放しました。※使用できるのは次層の解放以降』
アンダーヒルは数秒間それを眺めていたかと思うと、
「最後にひとつだけ教えてください、ニャルラトホテプ。あなたの体力をゼロにする条件は、いったいいくつあったのかを」
信じられないことを言い出した。
ニャルラトホテプも再びくっくっと冷笑音を鳴らし、何人もの声が重なったような相変わらずの音を響かせる。
「三千六百通リ。無敵設定を解除する方法も百通りほど存在スル。我々と交戦を経ずに体力をゼロまで落とす方法もアル」
「さすが魑魅魍魎とでも言えば良いのでしょうか……。彼にとっては私の導き出した答えも三千六百分の一の想定内……」
ぶつぶつとそんなことを唱えるようにうつむいていたアンダーヒルだが、全体が静まり返ったと同時に顔を上げた。
「クトゥルフ戦に向かいましょう。時間稼ぎとは言いましたが、あのメンバーであればある程度は削っているはずです。合流して、一気に攻撃します。まずは各自回復を済ませつ……つ……?」
アンダーヒルの台詞が止まった。
その理由は、誰かに言われるまでもなく約一名を除いたその他のプレイヤー全員が理解した。その約一名は立ったままうとうとと寝ているのだが。
目の前に唐突に表示されたシステムメッセージウィンドウだ。
『次層第354層が解放されました』
「終わった……?」
刹那がポツリと呟く。
「アプリコットがいるからってあんな化け物がこんな短時間で死ぬか……?」
クトゥルフと最初にエンカウントした時その場に居合わせていたアルトが首を傾げ、思案顔になる。
「でも実際にクリアしてるってことは、アレを倒したってことだよな……」
同じくシンがありもしない眼鏡を上げるような仕草をしながら呟く。
クトゥルフを知らない俺とスペルビア、そしてネアちゃんは蚊帳の外だ。
そして、「とりあえずいってみよう」というシンの建設的な意見を採用してほぼ全員が動き出そうとした時、
「ちょっと待ってよ」
サジテールが呼び止めた。
「状況を知りたいだけならその必要はないよね。ね、ご主人様」
「は?」
何を言っているのかまったくわからずとりあえず聞き返すと、サジテールにため息を吐かれた上に呆れたような顔をされた。
「戦ってる時以外はとことん察しが悪いよね、ご主人様は」
直後、周囲から同意の呟きあるいはため息が連続して漏れる。
意味がわからん。泣くぞ。
「こっちから行くよりリコを呼んだ方が早いでしょ?」
「あ……」
そこでようやくサジテールの意図に気づいた。
「【楽園追放】」
立体レイヤーのように空中に蛍光色の緑の線でリコの輪郭が浮かび上がり、それを元に構成するように――
「呼ぶ時は先に言ってくれ。驚いたぞ」
「言えるか」
ピコンッと白銀色のアホ毛を跳ねさせたリコが姿を現した。
【楽園追放】はリコ専用の召喚スキルなのだ。しかも消費する 魔力は俺ではなくリコが負担するため、いざという時の保険に使える。
「あっちで何があったんだ?」
細かい話を抜きにして、すぐさま本題に入ると、リコはわずかに首を傾げた。
「何があったと言われても、クトゥルフを倒しただけ、なのだが……」
「アプリコットが何かしたのか?」
「アプリコット? いや、ヤツが特に何かしたわけではないが……」
リコはそこで言葉を切り、「ああ、なるほど」と呟き、ニヤと笑った。
「うむ、姉が出たのだ」
今度は姉かよ。




