(46)『間違えた』
「ホゥ、実の息子を殺して前に進ムカ」
触手のあちこちをぶつ切りにされた盲目にして無貌の者に近づくと、俺を一瞥してそう言った。
体力は残り十分の一といったところだろうか。
「嫌な言い方すんな」
徹頭徹尾間違っている。
しかし触手をうねうねと蠢かせたニャルラトホテプはため息をつくように頭を振った。
「ヤレヤレ、まったくつれない旦那様ダネ。少しは配偶者をいたわればイイノニ。そして死ねばイイノニ」
いちいち俺だけをピンポイントでイラつかせるような言動を繰り返すニャルラトホテプを俺とシン、スペルビア、アンダーヒルで取り囲み、対峙する。
ネアちゃん、アルト、サジテールはその後ろでほぼ待機状態。まだ、動くと腹に激痛が走るらしい。
「アンダーヒル――」
「嫌です」
左隣のアンダーヒルに『お前は下がってろ』と忠告する隙もなく、声をかけた時点でそれを先読みしたらしいアンダーヒルが先手を打ってくる。心すら覗く者め、相変わらずだな。
「さっき腹貫かれてただろ」
「ダメージは大したことありません」
「諦めの悪いやつだな」
「しぶといと言ってください」
そして地獄耳め。
アンダーヒルが最後に呟くと、ちょうど同じタイミングでズルッと例のごとくな音を立てたニャルラトホテプの触手が、断面から伸びるように再生した。
「我々もそろそろ飽きてキタ。最終決戦といこうジャナイカ、人間」
「残念ながらまだクトゥルフとも戦わなきゃならないんだ……よッ!」
白刃を翻したシンが、ニャルラトホテプに背後から斬りかかる。
しかしチラッと仰ぐように振り返ってシンを一瞥したニャルラトホテプは、
「クックッ。眷族にあらかた削られたようダネ。さっきよりも太刀筋が鈍ッテルゾ、ソードマン」
スッとステップを踏むようにその上段斬りを躱してみせる――が。
ギュンッ。
シンの背中を基点にして軌道を変えてきた鎖鎌が、ニャルラトホテプの脇腹に深々と突き刺さった。
その鎖の先は、痛みを堪えるように血の滲む唇を引き絞るアルトが片手で掴んでいた。残る片手は腹に添えられ、上下する胸が息苦しさを物語っている。
「テメェで完結してんじゃねえよ……。敵は一人か? あぁ?」
そう言ったアルトが目配せすると、一気に跳躍したアンダーヒルがニャルラトホテプの肩に飛び降り、横向きに押し込むように地面に蹴り倒す。
その拍子に、地面とニャルラトホテプに挟まれた鎖鎌がより柔らかい肉の方にさらに食い込む。
ジャコッ。
アンダーヒルの手元で響いた遊底操作音の直後、ニャルラトホテプの頭部に、それがゼロ距離でゴリッと押し当てられる。
ガァンッ!
土片と共に肉片と粘液が飛び散り、同時にコヴロフの発射の反動と跳躍のタイミングを合わせたらしいアンダーヒルの身体がひらりと宙を舞い、スタッと片膝ついて俺の隣に降り立った。
もう既に狙撃じゃない。
それと頭から肉片と粘液被って平然としているのはどうかと思う。
「身体中がベタベタします」
「そういう台詞はもう少し嫌そうに言え」
「……? スペルビア」
俺を理解不能の人物を見るような目で見たアンダーヒルは、ほぼ間を空けずにスペルビアに視線を送る。
「らじゃ」
平坦な声でそう呟いたスペルビアは手にしていた鋏の中心のボール部分をぎゅうっと握り、すぽっと引き抜いてしまった。
固定が外れた二つの刃は分かれ、地面に落ちる前に片方ずつスペルビアの手に握られる。まるでそれは――
(片刃の双剣……!?)
頭部を再生しつつ立ち上がったニャルラトホテプのツインテールの片方をシンの妖狼刀・灼火が斬り落としたちょうどその瞬間、用意を終えた(ものの二,三秒で)らしいスペルビアも前に飛び出る。
「にゃるらてぷ……」
呼び方は相変わらずだが。
周囲に人がいるからか魔力が足りないからか、【閃脚万雷】を使わずに戦う気らしいスペルビアの鋏双剣が両側から挟むような軌道でニャルラトホテプに襲いかかる。
「いつまでも同じ手は通用すると思ウナヨ、スリーパー」
戦闘中に少なくとも一度は寝たことが発覚したのをどう思ったか、しまった、という顔をするスペルビアに上から触手が叩きつけられる。顔から泥に突っ込んだ拍子にスペルビアの手から飛んだ鋏双剣はちゃっかりニャルラトホテプの腰と足に刺さり、結果的にダメージを与えることには成功する。
「スペルビアへの仕置きはあなたに任せます、シイナ」
ジャコッとコヴロフに次弾を装填したアンダーヒルはそう俺に耳打ちすると、サジテールが守っているネアちゃんの付近まで後退していく。
無茶のし過ぎでアイツもお仕置き確定してるんだけどな。逆に、帰ったらネアちゃんとアルトの二人は誉めてやらなきゃいけない。
などと考えている内に、良くも悪くも計算や打算で動かないせいで強い時と弱い時の境がはっきりしないスペルビアがニャルラトホテプの触手に捕まってしまった。
「ちょうどイイ」
まるで盾にするかのように、何本もの触手で両腕と胴を縛り上げたスペルビアを吊り下げるニャルラトホテプは、くっくっと再び冷笑を漏らす。
が唐突にその冷笑音がかき消され、代わりに肉を引き裂き突き破る音が周囲に響き渡った。
まるで手榴弾を破裂させたかのようにスペルビアを縛る触手の束が千切れ飛んだ。
その内側から飛び出してきたのは、いくつもの小刀や小剣、針、ノコギリやクナイのようなものまである。
「間違えた」
そう呟いたのは、スペルビアだ。
暗器使いとしての二つ名で呼ばれなくなっただけで、暗器使いとしての腕は全く落ちていない。どころか腕自体は上がっている。
装備していない武器をこれだけ操るのは正直どうやっているのかはわからない。
本人はこの前、糸やワイヤーを使っていると言っていたが。
間違いで飛び出す無数の凶器だ。
「ごめんなさい」
なぜ謝る。




