(43)『シイニャ』
「刹那ッ!」
背後から聞こえてきたシンの言葉にハッとすると、刹那を飲み込んだ肉塊は瞬く間にそれまでの肉の容量ではありえないほどに小さくなって地面に落ちた。
「安心するがイイサ。我々を倒セバ、彼女もまた貴様らの手に返ル」
ニャルラトホテプはくっくっと馬鹿の一つ覚えのように嘲笑音を響かせる。
「テメェ……」
それを見た途端、到底脅しにならないとわかってはいても思わず大罪魔銃をニャルラトホテプに向けていた。
「刹那を何処にやった!」
「彼女は今、我々の体内にイル」
「体内……!?」
思わず引き金にかかった指を手控える。しかし、その感情を敏感に読み取ったらしいニャルラトホテプは再び冷笑し、両手と両触手をこちらに差し出すように向けてくる。
「心配スルナ。物理的に体内にいるわけではないんダカラナ。我々が支配する混沌の世界の何処かにいるんダロウサ」
「人質ってわけか……」
「凄むナヨ、人間風情ガ。そして我々が格下の貴様ら相手に人質など笑わせルナ」
くっくっと冷笑したニャルラトホテプはおもむろにツインテールの片方を手で掴むと――――ぶちぶちぃっ!
「ッ!?」
自ら力ずくで引きちぎった。
「彼女は今頃、我々の眷族と戦っているところダロウネ。だからお前たちにも同じ機会をくれてヤルヨ。くっくっ……胎内より出で馳セ。我々ニャルラトホテプを母性とシ、彼の者シイナを父性とする混沌の眷族にシテ、暗黒神の血を受け継ぐ無貌の異形者『シイニャ』!」
ラジオのノイズ音を用いて無理矢理発音したような声でそう言ったニャルラトホテプはちぎった触手を地面に投げ落とした。
途端――バキバキバキ!
肉質の触手は刹那を呑み込んだ肉片と同じように急激に膨れ上がった。
そしてゴキリ、ゴキンと嫌な音をたてながら、変形・成形されていく。
「マジかよ……」
「まじ」
シンの呟きに少しズレた返答をするスペルビアの声が聞こえる。相変わらず緊張感のない口調だが。
目の前に俺が現れた。
当然、正確には俺ではない。触手こそ見えてはいないが、まるでニャルラトホテプが俺の輪郭を真似ただけのような、そんな無貌の人形だった。
しかも、これは――。
「前の、俺……?」
今のアバターになる前の俺のアバターの輪郭を模造していた。
魔刀と魔弾銃を構えて立つその姿は、長い間俺が使ってきていた獣人族の男性用アバターのものだったのだ。
しかも手に持つ魔刀の形状は【幻刀・小夜】、魔弾銃の形状は【夜心の相曲銃】。どちらもアバター変化の直前まで好んで使っていた武器だ。基本装備といっても過言ではない、しかし、あの時に全て破損してしまった愛用品の形をしていた。
全てが混沌色の肉でできているのはニャルラトホテプと同じだが。
「おいオイ、こんなに多人数とは聞いてナイゾ、母上様ヨ」
その外見当時の俺の声で、通称シイニャはニャルラトホテプに振り返ってそう言った。皮肉っぽく「母上様」と使う辺り、なんとなく俺の喋り方に似ていなくもないが、まさかそこまで解析している訳じゃないだろう、と信じたい。
基とする構え方が俺と寸分違わないところを見ると馬鹿な意見だと切り捨てることもできないのだが。
「一度も言った覚えはないからお前の認識は間違ってナイヨ、シイニャ」
「イヤ、言エヨ」
たまに突拍子もないことをするのが良くも悪くもFOの特徴だが、どうして今のアバター情報ではなく、元のアバター情報を読み取ってるんだ……?
アバター作成時のものをコピーしたならあの武器である理由に説明がつかないし、今コピーしたのならアバターは女性用になっているはずだ。
――――ロジックがわからない。
そしていいツッコミだ、シイニャ。
「ていうか母上様ヨ、上がほぼ全滅してることに気づいてンノカ?」
「ナント!?」
目もないくせに二人して上を見上げて暢気に呟くニャルラトホテプとシイニャ。その頭上で『忌まわしき狩人』の最後の一匹が、魔力を纏って有効範囲を広げたアルトの鎖鎌とネアちゃんの操る巨大な黒鉄剣に十字に切り裂かれた。
「普通にピンチじゃないノカ、コレ」
「タ、たぶん大丈夫ダヨ」
「根拠を大事にシロ」
何のコントだコレ、と思ったのも束の間、ニャルラトホテプから俺たちに顔を向け直したシイニャがハァとため息の音だけを再現するように流す。
「知らナイゾ、どうナッテモ」
そんな台詞を吐いたシイニャは、クルンッと幻刀と相曲銃(の形をした肉の塊)を目線の高さに放り投げた。
「換装」
シイニャの囁くような声と共に、その二つの肉塊は姿を変えていく。
そしてその瞬間、シイニャの後ろに立っていたニャルラトホテプ(いつのまにか腹の膨らみはなくなり、最初のすらりとしたフォルムに変わっていたが)が動いた。
コンマ秒と分類すべき極短時間の内に空に向かって放射状に伸びた触手が、アンダーヒル・ネアちゃん・アルト、つまりさっきまで空中で『忌まわしき狩人』の殲滅に尽力していた三人の――――腹を貫いた。
「邪魔をするナヨ」
アンダーヒルの手から構えていた【コヴロフ】が離れ、ネアちゃんの周囲を回っていた黒鉄剣がボロボロと崩れ、アルトの背中から魔力翼が消え失せる。
アンダーヒルの表情が信じられないものを見るかのように歪んだ。その体力が貫通継続ダメージでガリガリと削られていき、半分を切る。
その時、一人だけ鎖鎌を手放さなかったアルトが、ふるふると震える手でそれを振るった。しかし、まともに力が入らないのか刃先が刺さるだけに留まる。
動くのが一番早かったのは、情けないことにスペルビアとサジテールだった。
「雷霆精能力【閃脚万雷】」
突然視界を横切ったサジテールの光輝く金属矢がネアちゃんを貫く触手を断ち切ると同時に、平坦な声が隣から聞こえた。その瞬間目の前を蒼光が駆ける。
「しーにゃ、任せる」
まるで落雷とその音の関係のように遅れて聞こえた声で、我に返る。
蒼光が高々と跳ね、スペルビアの手に何処からともなく現れた奇妙なハサミ型の暗器が残る二本の触手を斬り裂いた光景が目に映った瞬間――――。
「「……ッ!」」
俺とシンは同時に動いた。
「【魔犬召喚術式】モード『レナ=セイリオス』!」「【凶刃日記】アァァッ!」




