(42)『落チ着ケ、人間』
『刹那、貴女は誤解を受けやすい子。短剣だけで勝てるように、できる限りそれを使わないようにした方がいいと思うわ』
我ながら今でも鮮明に思い出せてしまうのはどうかとも思うが、当時の儚の台詞だ。
周知の事実だが、彼女の二つ名『棘付き兵器』『危険姫』からも読み取れる通り、FOの上位プレイヤーを中心に名を馳せる刹那の印象は比較的加虐的な傾向がある。昔はもう少しまともな二つ名もあったのだが、呼ばれ名なんて基本的にはインパクトで決まる。だからこそ俺だって『魔弾刀』に直すまで苦労したわけだ。
当然、彼女と付き合ってみれば(多少は)誤解であることもわかるのだが、残念なことに彼女は人見知りでもある。初対面の相手ほど、普段通りに振る舞おうとして強がった結果、空回り気味の暴走に陥るのだった。
そんな彼女のイメージを増長・助長させたひとつの要因が、昔はよく使っていた武器カテゴリ『戦鞭』だった。
「おい、スペルビア!」
「ナニ?」
「お前、なんてアドバイスした!?」
「こほん……『目を覚ませ、刹那。昔の自分を思い出すだけでいい』」
スペルビアは何故かイケメンボイスに変声してそう言ってくる。
確かに目を覚まさせろって言ったのは俺だけど、なんて最悪の台詞を……!? 誰だよ、スペルビアに余計な知識吹き込んだの!
バチンッ!
刹那が威嚇するように振るった光を纏う鞭が、正確に地面に落ちていたニャルラトホテプの小肉片をさらに細かく二つに断裁する。
「気づくの遅すぎよね、私……。もう人目を気にする必要なんてなかったってのに」
金髪をかきあげるように梳きながら、自嘲するかのごとく言った刹那に、ニャルラトホテプの指示があったのか『忌まわしき狩人』が横から突っ込んできた。
が――バチィンッ!
小気味よく響き渡った鞭声と共に、長さ十二メートルの黒い大蛇が弾かれるように地面に叩きつけられる。
あんなのを見れば誤解だったとしても確信に変わってしまうだろうな。
「ずいぶん久しぶりな気もするけど、鈍ってないみたいでよかったわ」
本来鈍らない方が異常なんですよ、とは言いにくい。
「シイナ、シン、スペルビア、もう一度だけ言うわよ?」
【フェンリルファング・ダガー】グレイプニルモードの鞭がパシンッと軽い音を立てて『忌まわしき狩人』を叩き、そのままぐるぐると頭部の周りに巻き付いた。
刹那が鞭を引く。
キュウッと絞られた鞭はそのまま大蛇の頭部を豆腐のように引き切り、いとも容易く『忌まわしき狩人』のライフを全損させてしまう。
「当たっても知らないわよ!」
そう言い放った刹那は、俺たちがアクションを起こすよりも早く動いた。鞭を横向きに一振りし、先端に付いていたダガーの刃を軽々片手でキャッチする。
そしてそれを指に挟んで振りかぶると、
「【単射投石】!」
瞬く間に空気を切り裂いて飛んだ刃先が――――ザクッ。
起き上がったばかりのニャルラトホテプの胸部を貫いて背中側に抜けた。
ヒュウッと口笛を鳴らした刹那は――――グンッ!
鞭を手繰るように強く引いた。
「っておい刹――」
ゴンッ!
刹那との間に立っていた俺の頭に、引っ張られつんのめるように前に出てきたニャルラトホテプの頭が衝突し、頭部に痛みを覚えつつ仰け反った俺の上をニャルラトホテプが通過した。
(相変わらず相変わらずだな、なんつー馬鹿力してやがる……)
などと思考がさ迷う内にも引き寄せられていたニャルラトホテプは地面で擦るようにして投げ飛ばされ、叩きつけられる。
「シイナ、アンタ【フェンリルファング・ダガー】持ってたでしょ? ちょーだい」
「俺の頭に対する心配はないのか!?」
「もうダメな頭心配してたってしょうがないでしょ、アプリコット2号」
「アプリコット!? ちょっと待てそっちの意味じゃ……」
「なにアンタもしかして敵のために時間でも稼いでんの?」
素直に差し出す以外の選択肢があったら、誰か俺に教えてください。
ニャルラトホテプが起き上がる前にすぐさま武器のアイテムボックスを漁り(悲しいことに絶対数が少ないため短時間で見つかってしまう)、その【フェンリルファング・ダガー】を刹那に向かって投げる。
パシッと軽々空中で取るなり、用意しておいた装備品管理のウィンドウで装備設定する刹那を見て、思わずため息をつく。
「アンタは私の所有物なんだから、シイナのものは私のものよ!」
「俺って所有権あったの!?」
「よかったな、シイナ」
「ちょっと待てシン、よくはないぞ!?」
それと後ろからいきなり肩を叩くな!
「刹那ちゃん大胆」
「確かにあそこまで非論理的な宣言をあんなに自信満々に言うのは大胆だけど何か他に疑問はないのか、スペルビア!」
「バッ……そんなんじゃないわよ! なんで私がそんな……!」
もう何がどう違うのかすらわからない俺はどうすればいいんだ、と崩れ落ちそうになる四肢を立て直しつつ、顔を真っ赤にしてキレる刹那と目を合わさないようにニャルラトホテプに視線を移す。
ちょうどその時、ニャルラトホテプは直前に俺が切った触手を再生しながら、跳ね上がるように立ち上がった。
そして、シュルッとツインテールの片方が狼牙拘束鞭に巻き付いて、締め上げるように掴んだ。
「無駄よ。グレイプニルは他の戦鞭と違って切れないから」
【フェンリルファング・ダガー】に付加された【神魔の拘束】の効果は、ダガーの刃先と柄をシステム上切れない糸で繋ぎ、鞭へと変形するスキルだ。
「最初から切るつもりはナイヨ。切る必要がないカラネ」
くっくっと冷笑を漏らすニャルラトホテプに刹那が怪訝な顔を向けた瞬間。
グジュルッ、とニャルラトホテプの胸の肉が、まるで傷口を広げるように割けた。
「我々に身体欠損の概念は存在シナイ――と同時ニ、肉体の概念も存在シナイ」
引き抜いたグレイプニルの先端を触手から手に移したニャルラトホテプは、おもむろにそれを掲げて見せる。
「ちッ……、【神魔の拘束】!」
もう一本のダガーも鞭へと変形させた刹那はニャルラトホテプの手の中のグレイプニルを強く引いた。
「落チ着ケ、人間。慌てるとこうナル」
傍からは、グレイプニルの先端の小刃が突然大きくなったように見えた。
「我々には元ヨリ、空間も何も関係ナイ」
刹那の手元に戻った刃先に刺さっていた小肉片が、誰も反応できないほどの一瞬の内にまるで蛇の頭のような形に膨れ上がり、無防備だった刹那を丸ごと――呑み込んだ。




