(35)『特製爆鳴気』
アンダーヒルがクトゥルー神話に関する自身の知識と魑魅魍魎からスペルビアへの助言を斟酌・検討した結果、弾き出された作戦――同士討ち。
つまり、生ける炎と這い寄る混沌双方の攻撃をうまく誘導し、互いに互いを攻撃させる。
アンダーヒルの仮定――クトゥルー神話における生ける炎と這い寄る混沌の相関関係が適用されているとするもの――が正しければ、生ける炎に弱い這い寄る混沌が先に倒れるため、別動隊がクトゥルフの時間稼ぎをしている間に倒さなければならないモンスターは実質一体となる。
そして可能なら生ける炎を倒してクトゥルフ戦線に合流する、というのが理想だった。
「なぁ、お兄ちゃん」
「どうした凜ちゃん」
「だから本名やめろって言ってんだろ」
「じゃあお兄ちゃんって呼ぶのやめろよ」
凜ちゃんの兄として生まれた覚えはないしな。
生ける炎の放つ操作性抜群の炎弾や外道じみた火炎放射を何とかかんとか躱しながら、うまく間合いを操作してスペルビアと刹那が誘導した這い寄る混沌の触手に当てるという精密作業の離れ業を強いられる戦場で、アルトとそんな遣り取りを交わす。
ちなみにサジテールとシンは、それぞれ細かいことを考えず、ただボスそれぞれにダメージを与えるいわば副戦力だ。
「で、何だよアルト」
「こんなたりぃ作業しなくても、コイツを直接イカにぶつけりゃ終わるんじゃねえのかと思ったんだが……」
「火だしな。あとイカって言うな」
イカが不憫だ。デモンズ・カトルの方がまだイカっぽいし。
「言っとくけど俺は協力できないぞ?」
保有スキルの問題で。
「それは最初から期待してねえよ。あたしに任せろ、っとあっぶねぇな」
突っ込んできた炎弾を躱したアルトは、鎖鎌の鎖部分を両手で捧げ持ち、
「【四面狙枷】!」
クトゥグアに向かって、鎖に繋がった銀色の鎌を無造作に投げつけた。
そして回転しながらわざと外れるような軌道を描いて飛んだ鎌は――ギュンッ!
不自然に加速し、何度も鋭角に軌道を変えて、文字通り瞬く間にクトゥグアを鎖の檻で囲ってしまう。
そしてアルトは返ってきた鎌を左手でうまくキャッチすると――グッ!
鎖を強く引っ張った。
しかし当然のごとく想像できるのだが、高熱体を金属鎖で引っ張ることなんて大抵の場合不可能だ。
檻を構成している鎖は既に赤熱し、引っ張った途端にアルトの手とクトゥグアの中間辺りで鎖が引きちぎれた。
「ナニやってんだよ、お前は」
煌炎を噴き上げ、まるで怒ったかのように白熱する炎の神性は、周囲に浮遊する鎖を原形を留めないまでに溶かし始める。
「あたしだって本気でできるとは思ってねえよ。当然次を試してみるまでだっての」
俺はこの時点でそのニィッと誇らしげに笑って見せるアルトに、少しぐらい嫌な予感とやらを覚えるべきだったと思う。
小ビンのような何かを投げ込むような挙動も見えていたのだから。
「【鎖爆気巧】!」
ドォオオオオンッ!
半ば溶けて次の瞬間には原形を留めてはいなかっただろう鎖の檻が、クトゥグアの本体を巻き込んで爆散した。
一瞬で視界を埋め尽くした黒煙でよくは見えなかったが、クトゥグアは細かい炎塵に分かれ、周囲に爆炎と爆風、そして地面を抉るほどの破壊を撒き散らした。
当然近距離からの爆風に為す術もなく薙ぎ倒された俺は、思わず顔をかばった腕にピシピシと激突する高熱の炎片に堪えつつ、収束するのをじっと待つ。
そして灼熱と破壊の嵐が過ぎ去った直後――グイィィッ!
「痛い痛い痛いっ!」
ポニーテールを強く引っ張られた痛みに1秒も堪えられず立ち上がる。
「いきなりなんってことしてくれてんのよ、バカシイナッ!」
俺じゃねえよ!?
周囲の岩山をもまとめて瓦解させた爆風の影響は思ったよりも遥かに大きかった。
同じく薙ぎ倒されて仰け反るように傾いていた這い寄る混沌は身体中にボコボコと陥没したような穴が空いていて、そこに飛び散った炎弾や炎塊が当たったのだとわかる。
酸素が少なくなってしまったのか、少し息苦しさもあった。
そして肝心のクトゥグアは、一周見回した限りでは見当たらない。
「何があったんだ……?」
ただでさえトリッキーな戦い方で敵を翻弄する鎖鎌の戦闘スキル。ライフが半分以上残っている三百五十層クラスのボスモンスターを一撃で葬るほどの高威力とは思えない。
その時、ガラッと音がして、アルトが楯にしていたらしい小さめの岩板を投げ捨て、片手をついて起き上がった。
「たー、すっげーな、オイ。まさかこんなになるとは思ってなかったぞ」
右手で黒髪を乱暴にかきあげながら、感心したようにそう言うアルト。
アイツ、一発殴ってもいいかな。殴らないけど。一応あれも女の子だし。
「何やったんだ、お前……?」
「ん? うろ覚えだったけどバックドラフト現象っつーやつじゃねえかな」
バックドラフト現象。
“密閉室内”における火災で、扉を開けるなどの理由で新たな酸素が大量に流入した際、爆発的な炎上。
「あれは“密閉”されて酸素が薄くなってる時ぐらいしか起きないだろ……」
「燃える鎖で囲ってたんだ。酸素くらい薄くなんだろ?」
いきあたりばったりな上、理由説明が適当過ぎる。
「さっき、何を投げ込んだ?」
「酸素の持ち合わせはなかったからな。あたし特製爆鳴気だ」
ただの酸素より危険な代物だった。
ちなみに爆鳴気とは、水素二に対し酸素一を混ぜた混合気体のことだ。火を点けると、激しい音を立てて燃焼する。
「アンタたち、まだニャルラトホテプは残ってんのよ。作戦から何からめちゃくちゃにしてくれちゃったみたいだけど」
クトゥグアは爆散。
確かに這い寄る混沌に効果的なダメージは与えたものの、まだ半分以上ライフが残っている。
(爆散……?)
起き上がって再び動き始めたニャルラトホテプにアルトと刹那が向き直った時、俺の視界を一筋の炎塵が横切った――。
「ッ!? アルトッ!」
「ん?」
地面を蹴る。
瞬く間に何処からか現れた無数の炎塵、炎片、炎塊が、アルトの背後に音もなく漂う炎塵を核にして、目で捉えるのがやっとのスピードで集約した――。




