(34)『這い寄る混沌‐ニャルラトホテプ』
「あと二つ!」
周りを飛びながら電撃と炎撃を混用して放ってくる炎の吸血鬼の三匹目を撃ち落としたことを刹那に報告すると、
「こっちもあと二よ」
との答えが返ってくる。
これは先に見えるニャルラトホテプとの間にある山のような岩塊・岩壁の数だ。
後ろから追いかけてくる生ける炎の攻撃をより安全に躱しつつ、ニャルラトホテプにできるだけ気づかれないようにするための目隠し楯に使っている。
件のクトゥグアさんは、まるでニャルラトホテプの姿が見えていないかのように俺たちを追うことにご執心だが。
なんて迷惑な、とも思ったが、クトゥグアさんといいニャルラトホテプさんといい、細かいことを気にしないようでよかった。その辺りはさすが神様。思考回路のスケールが違う。
レナが目の前に見えていた岩塊をわざわざ遠い方を回り込むように駆ける。これも俺の指示だ。一瞬、本体の視界から俺たちと配下の姿が見えなくなる。
その一瞬を狙って――ガツンパァンッ!
刹那の奇跡を司る神杖と大罪魔銃が、少しずつライフを削っていた炎の吸血鬼二匹を霧散させる。
「魔法使えよ」
「こっちのが早いのよ」
ごもっとも。
振り返ると、ちょうどその時に死角から突進業炎が飛び出し、灰色炎の目が俺たちを捉えた。
そして――ボボッ!
「ッ!? 刹那!」
「ちッ、理想を捨てた小心者、狭き門は汝を拒む!」
轟ッ!
わずかに逸れた直状火炎放射が、姿勢を低くしたにも拘らず頭上至近距離を素通りし、髪の焦げる匂いが鼻をつく。
「あ、ゴメン……」
比較的詠唱短めの不定形指向性攻撃の操作魔法とはいえ、とっさだったためか少し逸らすのが精一杯だったようだ。
珍しく謝ったし、普通に許すことにする。ていうか言える立場じゃないしな。
「刹那のが燃えるよりマシだよ」
「ッ……遺書書け!」
何故逆ギレ!?
などと思いながら、最後の岩塊に差し掛かり、多少警戒心を強めつつもクトゥグアを引き連れ、コーナーを曲がる。
その、時だった――ゴッ!
一瞬何が起きたのかわからずに、右半身――岩塊側に強い衝撃と痛みを覚えて地面に叩きつけられた。
「ッ……?」
視界にうねうねと蠢く触手が入ってくる。その本体は巨大な影だった。
そして理解した。
最後の、と思っていた岩山を反対側からアイツが、ニャルラトホテプがほとんどタイムラグもなく、莫大な力の一撃で粉々に吹き飛ばしたのだ。その破片――といっても巨大な岩の塊も含まれている。こういうのも久しぶりだが、ゲームじゃなかったら死んでいただろう――が俺たちを襲ったのだ。
「っ……刹那、レナッ!」
起き上がって二人を探すと、同じように地面に叩きつけられていたらしい刹那も起き上がってくる。ぬかるんだ地面を転がったせいで泥まみれだが、運がよかったのだろう。ダメージは俺より低かった。
日頃の行いとか絶対嘘だろ超越論理的理論め、などと刹那が無事だからこそ言える台詞をさりげなく呟いてみる。
と同時に、こちらは運が悪かったらしいレナは大ダメージでライフを削られ、自主的に召喚をキャンセルしたのだと何となく、だが確信を覚える。
「大丈夫か、刹那」
と彼女が立ち上がるのに手を貸しつつ、改めて状況を確認する。
這い寄る混沌。
そんなモンスター名が表示されている、クトゥグアと対峙するように動きを止めたソレは、明確に異形だった。
「キモッ」
と刹那が端的に形容するほど確かに気味の悪い造形だった。
上部には円錐形に固められたような混沌色の肉の塊――全体を見ればおそらく頭なのだろう――が妖しく小刻みに揺れていて、その下の胴体からは無数の触手あるいは触腕が生えている。それらは地面に届かない長さのモノから、ずっと長く伸び岩陰の死角まで続くほどのモノまで、長さが様々だ。
身体を支えているらしい多くの触腕には、巨大な鉤爪が見える。
無理に理解できる範囲で形容するなら、イカの足を無数に増やし、身体中に肉を大量に貼り付けたような姿だった。
見ている限り顔があるようには見えない。目も口も、何もかも見当たらない。
「よっ、無事だったか」
後ろからの声に俺と刹那がバッと振り返ると、そこにはいつもの通り妙な忍装束を纏ったアルトが音もなく立っていた。
さすが『無影』のアルト、と称えるべきなのかベータテスターの自分が気づけなかったのを悔やむべきなのかはわからないが、そこに静かに佇むアルトがいつ来たのかいつからいたのか、まったく気づかなかった。
「シンとサジテールは?」
「あそこだ」
そう言ってアルトが指したのは、這い寄る混沌の触手が伸びている岩壁だった。
「元から戦りやすかったトコ、スペルビアが来て暇になったから、お前らとの連絡役を買って出たってわけだ」
「お前、一回炎の塊相手にしてみろ。二度とそんな台詞吐けなくなるから」
這い寄る混沌と生ける炎は、未だ睨み合うかのように向かい合ったまま、大きなアクションを起こしていない。まるでボス同士で争っているようなモーションだ。
その時、岩陰からピョコンと顔を出したスペルビアが――たったった。
ボス二体の間を素通りして、絶句する俺たちの元に駆け寄ってきた。
「はろはろ」
「馬鹿じゃないの、アンタ!?」
即座に罵倒じみたツッコミを返す刹那に、スペルビアは「ふみゅっ」などと小さく声をあげて驚いたような顔をする。
「どうしたの刹那ちゃん」
「どうしたの、じゃないわよ! あんなトコ【閃脚万雷】も使わずに通ってくるなんて、ナニ考えてんのよ!」
「……?」
素直に心配できない刹那に対して、スペルビアは刹那が何故怒っているのかわからない様子で首を傾げる。
「くてぐあとにゃるらてぷ動かないから」
「そういう問題じゃないわよッ!」
後で確かめたところ、魑魅魍魎から昔『生ける炎と這い寄る混沌は、プレイヤーの干渉が入らない限り二分ぐらいは膠着を続ける』と聞いていたことがわかったのだが、この時はそれを曖昧にしか説明しないスペルビアのせいで刹那が肩を落とす結果になる。
「……聖なる再生・復活を示せっ」
スペルビアが来る直前辺りから詠唱を始めていたアルトが回復魔法を発動させる。
ネアちゃんのように《エンハンス・ヒーリング》の種族資質を持っているわけではないが、それなりに強力な魔法らしく、アルトを中心に広がった半径二メートル程の円の中にいた俺・刹那・スペルビア・アルトの今までに削られたライフがほぼ全快になるまで回復する。
「さーて、こっからが厳しい戦いになりそうだよなぁ」
アルトの呟きには、全員が同意した。




