(32)『自由自在すぎる』
「ギガじゃ足りなかった……」
「いいから立て」
何がそこまでショックなのか、四つん這いになって落ち込むスペルビアを引っ張って立たせると、握られていた【戦禍の鬼哭】の柄が彼女の手からするりと抜け、地面に落ちてべちゃっと気の抜けたような音を立てる。
と、同時に破損武器残留時間が経過した【戦禍の鬼哭】は砕け散り、光の粒子となって自動的に開かれたスペルビアのウィンドウに吸い込まれていく。
「早く別の武器出せ、スペルビア」
上に乗っていた障害物が消滅し、解放された生ける炎が頭上に、宙に浮き上がった。
灰色の眼が見下ろすように俺とスペルビアの方に向き直り、クトゥグアの内部がバチンッと一回大きく爆ぜた。
(ヤバいっ……気がするッ!)
スペルビアの手を引き、姿勢を低くして飛び退くように転がる。
次の瞬間、轟ッと空気が震えるような音と共に、炎の塊の下部から噴き出した爆風、続いて爆炎が、下降気流のように地面に叩きつけられた。
言うなれば下降噴炎とも命名すべき炎流は地上で拡散し、五匹の業炎の巨蛇の一匹がさっきまで俺とスペルビアのいたところを長々と通過する。
今いるところですら熱風が吹き荒れ、息苦しいのだ。逃げてなかったら、デッドエンドはないにしても、大ダメージに加えて火傷による行動阻害その他の状態異常ぐらいは受けていたかもしれない。
思わず想像してゾッとするのも束の間、本体を構成する炎は全て、長さにして十メートルほどの五匹の炎蛇流に分かれ、各々うねるように再び天に昇っていく。
そして一点に吸い込まれるように、激しく炎塵を撒き散らしながらぶつかり合い――ッパァンッッ!!!
上空で花火のように破裂した。
「嘘だろ……」
直径一メートルほどの炎球が無数に地上に向かって降り始めた。その範囲は圧倒して広く、間違いなく他の二体――当然、クトゥルフとニャルラトホテプのことだ――との戦域にも及んでいる。
「シイナッ! こっち!」
他の皆を心配している暇もなく、刹那と合流し、
「【伝播障害】!」
肉薄していた炎球に対して、刹那が全方位障壁を展開した。
そして、最初から狙ったかのように山なりの曲線を描いて落ちてきた炎球を真っ向から障壁で受け止め――
ミシッ……。
俺は咄嗟に二人を両手で突き飛ばすように、障壁内から飛び出していた。
不思議そうな顔で背中から倒れ込む刹那とスペルビアの上に覆い被さるように倒れる俺の背後で、ガラスが砕け散るような音と共に爆音が轟いた。
ワンテンポ遅れて二人の表情が驚きに塗り潰される。スペルビアの方は無表情から目を見開くだけと程度の差はあったが。
俺は見えないが、彼女たちは見ているはずだ。四種ある汎用障壁スキルの中でも特に取得が難しい分、使用者のレベルの百倍のダメージ耐久値を持つ信頼性の高い【伝播障害】が、ほとんど継続耐久時間も無しで粉々に砕け散った光景を。
「っくッ……」
漏れそうになる声を根性で堪えて、二人の上から身体を起こす。そして改めて後ろの灼熱地獄さながらの光景を省みる。
「すっげーな。耐久値93600が一撃で木っ端微塵だぞ」
直撃してれば今のライフと防御率があっても四分の一持ってかれるかもな、などと楽観的なことを考える。俺だけでも楽観的に考えていなければ、明らかに動揺している二人と一緒にパニック起こすからな。
他の皆が心配だけど、ライフが半分以下になってなければ一撃死は回避できるからたぶん大丈夫だろう。
「こんなもんどうやって倒せってのよ!」
ようやく我に返ったらしい刹那が起き上がってくるなり、さっきとまったく同じ台詞をもう一度吐いた。
「シイナ、死亡者はありません。全体の被害も軽微です」
ちょうどスペルビアを助け起こしたその時、アンダーヒルの気の利いた報告が疑似音声通信で聞こえてくる。
通信士でもしてるのか……?
「クトゥグアがそちらに戻りました。恐らく地中から現れるかと思いますので、足下に気を付けてください」
マジかよ。
「足下って、どう気を付けろってんだよ……。前兆あるのか……?」
「このバカシイナ。飛べばいいでしょ。ほら、掴まって」
いつのまにか金属製白銀翼のリアパーツ【ミスリライト・ウィング】を着けた刹那が手を伸ばしてくる。
その間にもスペルビアはバチバチッと青白い火花を皮表面から周囲に飛ばしつつ、ふわふわと揺れながら浮き上がり始める。
「ほら、早くッ!」
思わずスペルビアの空中浮遊に目を奪われていた俺が我に返ると、半ばキレかけの刹那が俺の手を取り、握り潰さんばかりの馬鹿力で握り締めてくる。
「せ」
「黙れって言ってんでしょ!」
『刹那』と呼び掛けることすら許されず、一度の羽搏きで浮き上がった俺は、自分自身の無力感と共に不安定な違和感を覚えていた。
「お、おい、なんか揺れ酷くないか?」
「アンタのその馬鹿でかい剣のせいでクソ重いのよ、バカシイナ!」
重さに慣れすぎてて完全に忘れてたよ、王剣。そうか……さっき刹那たちを助けた時、背中にかするぐらいは仕方ないと思ってたのにほとんど熱気も痛みもなかったのはお前のおかげだったか。
「こんなんじゃ重心も安定しな――」
ボゴォッ。
刹那の台詞が途切れる。
さっきの噴出音は何だ、と思って下を見た瞬間、戦慄した。
下の地面がどろどろに溶け、灼熱で溶岩に変わっている。その時、蒸気の上がる赤変した海から、巨大な炎の塊が顔を出した。まるで、沸騰したお湯の水面に吹き上がる気泡のように爆発したのだ。
「刹那、もっと上に!」
「わかってるけど重いの! バランスが……王剣下ろしてぇ……」
無理だ。
落とすのは問題ないが、体勢が不安定すぎて王剣を抜くことも、鞘ごと下ろすこともできない。
銀翼が大きく羽搏き、水平方向にも移動しながら少しずつ高度は上がっている。が、見ると下から炎がまるで腕のように伸びてきている。
「何でもありなの、アイツ!? 気持ちわるッ!」
刹那の悪態にも今回ばかりは納得だな。
自由自在すぎる。
不定形カテゴリで、近づくだけで熱ダメージ受けるとかチート過ぎる。
色々と文句はあるけど、こうなったら王剣盾にして手放すか――と頭に過った時だった。
「あぁもう!」
顔を真っ赤にしてそう叫んだ刹那を仰ぎ見ると――ガクンッ!
何かに引かれたように揚力を失った。
「ッ!?」
降下も束の間、急に腕を強く引かれて上昇に転じる。そして気がつくと――刹那に抱き締められていた。
「じゅ、重心のせいよ重心の!」
そう慌てたように言いつつ、刹那は王剣の鞘を留めるベルトを小型ナイフか何かで引き切った。
途端に背中が軽くなり、上昇の速度も上がり始めた。
「スペルビア!」
「ラジャ」
バチバチッと迸るスパーク音に下を省みると、近くを飛ぶスペルビアの手から伸びた一筋の電気エフェクトが王剣を捕え、引き寄せていく光景が目に映る。
「……どうやって?」
「マグネ」
「飛んでるのも?」
「リニア」
「雷霆精ってそんなことできんの!?」
「スキル」
カタカナ三文字縛りでもしてんのか。
何はともあれスキルの一つらしい。
「お、降りるわよ……」
火に当てられたからか、少し高めの刹那の体温。
思わず気恥ずかしくなり、それをスペルビアとの会話で誤魔化そうとしたのがバレたのだろう。少し不機嫌そうにそう言った刹那に対して、頷くことしかできなかった。




