(30)『クトゥグア・ニャルラトホテプ』
近づいてきた夜鬼のち異形犬時々触手塊を極力魔力消費を抑えつつ蹴散らすこと三十分――。
「先程の魑魅魍魎の情報を検討していたのですが、この世界の世界観を元にして作られたのであればおそらく……ボスは先日先行組がエンカウントしたクトゥルフに加え、情報の通りならクトゥグア、そして未知のもう一体はニャルラトホテプかと思います。当然可能性の範疇ですが、あながち間違いではないかと」
襲いかかってきた夜鬼の顔面を踏みつけて地面に叩きつけたアンダーヒルは、突然そう切り出した。
「アンダーヒル……私はクトゥルーのこと何も知らないけど、なんでもう一体のことがわかったか、一応根拠を教えて」
そう聞き返した刹那は異形犬の頚骨を素手でミシミシと軋ませ、その間に割って入ったリュウが両顎を開き折ってトドメを刺した。
「私も特別クトゥルー神話に通じているわけではありませんよ。一般知識として表面上の一部の知識を吸収したまでです。まず予備知識ですが、クトゥグアという存在はニャルラトホテプという邪神にとって天敵にあたる、ということを理解しておいてください」
ゴキン、とアンダーヒルの足の下の夜鬼の首が嫌な音を立ててあらぬ方向にへし折れる。
「天敵……って、なんでそんな連中が一緒に出てくるなんて思うのよ」
「おそらくこのフィールドがそういう仕様のものなのでしょう」
「……? どういう――」
「いっくよー! 【局地性暴風刑法】!!!」
刹那の声を遮って聞こえた椎乃の声に合わせ、直打の延長線上に竜巻のように渦巻く暴風が吹き荒れ、無数に集まっていた夜鬼・異形犬包囲網の一画をまとめて薙ぎ倒す。
「っし!」
「――じゃねえよ、馬鹿かテメェは!」
ガッツポーズを決める椎乃の頭に背後から詰め寄ったアルトの拳が振り下ろされる。
「???」
頭を両手で押さえ、目を白黒させる椎乃の襟を掴んだアルトは、
「んな大技で雑魚連中に無駄な魔力消費して、ボスが強襲してきたらどうするつもりだったんだ、このアホ娘ッ!」
「カッコいいでしょ?」
「それがアホだってんだよ!」
「て言うか、アルトがそういうフラグ立てるとホントにボス来ちゃうかも」
「人の話聞いてんのか、お前は……」
微かに聞こえてきたため息に振り向くと、アンダーヒルが珍しく複雑な感情を含んだ表情でうつむいていた。
しかし、すぐに顔を上げると、
「仮に三百五十層クラスから強さを増すにしろ、先日のクトゥルフを含めて三体ものボスを同時に相手取るなど至難の業です。魑魅魍魎が言っていた通り、敵が一体になる、そしてクトゥグアの存在からして……」
アンダーヒルは少し言葉を切り、溜めるように再び口を開く。
「未知の敵Xはニャルラトホテプとなります。このことから、今回のボス戦はクトゥグアの攻撃を上手くニャルラトホテプに当てさせつつ――」
アンダーヒルの言葉が途切れた。途端にその視線は鋭くなり、周囲を警戒する素振りで視線を泳がせる。
そこで初めて、周囲の夜鬼・異形犬包囲網の様子がおかしいことに気づいた。より外周に近いところにいる一団から、戦線を離脱しようと動いていたのだ。
「前方から一、右方から一、後方から一だ。貴様ら気を付けろ」
最も索敵範囲の広いリコが警告を発し、刹那がチッと舌打ちを漏らした。
「やっぱりエンカウントは三体同時ってわけね。これなら三つに分かれた方が多少マシだったかも……」
「それはちゃうで、刹那。チームに分かれるんはこっから。せやろ、アンダーヒル」
スリーカーズがお見通しやとばかりのドヤ顔でそう言うと、アンダーヒルはこくっと強い調子で頷いた。
「アプリコット、スリーカーズ、リコ、リュウ、いちごタルト、ミストルティンは今すぐクトゥルフの足止めに向かってください。ネア、詩音。二人は私と共に。残ったシイナ・刹那・シン・サジテール・スペルビア・アルトはこの場に残り、クトゥグア・ニャルラトホテプの二体を討ちます」
「アンタとネアちゃんと詩音はどうして別動なの?」
「私とネアでやりたいことがあります。詩音はその護衛も兼ねつつ、安全に魔力回復をする時間をとります」
見ると、前方に連なる岩山の陰から巨大な影がチラチラと覗き始めた。
「時間がありません。クトゥルフ担当Aチームはすぐに向かってください。目視距離ですが、前方クトゥルフが最も近づいています」
振り返ると、背後からもズルズルと同じくらい巨大な影が近づいてきている。右には岩陰から後光が射しているのが見えた。
各々、各隊に分かれていく。
俺も向かおうとしたその時、
「シイナは少し待って下さい」
アンダーヒルに呼び止められた。途端、足踏みしていた刹那がシビレを切らして悪態をつき、スペルビアと共に後光の射す岩山に向かって駆け出した。
「すぐにあなたにも戦線復帰してもらいますが、その前に話があります」
残っているネアちゃんと椎乃が心配そうに他のパーティメンバーに視線を泳がせる中、アンダーヒルは開いたウィンドウからひとつを抜いて、ドラッグ投げしてくる。
(……?)
覗き込むと、俺と火狩が戦闘中に交わした会話記録だった。
「何故あなたがあの魔眼スキルを……【思考抱欺】を保持しているのですか?」
「そのことか……」
アンダーヒルはお得意の無感情正視線でジッと俺を見つめてくる。
「いつのまにか発現してたんだよ。なんでかは未だにわかってないし」
「……わかりました。シイナはクトゥグアをお願いします」
「あ、あぁ……」
言われるがままにアンダーヒルに背を向け、刹那とスペルビアに向かって走る。
アンダーヒルにしては珍しく表情が隠れていなかった。何か心当たりのありそうなわかりやすい顔。
最後にチラッと俺を見たあの目は、まるで何かを教えようとしているような、それでいて自分で気づくのを待つような――。
ドォオオオオン!
突然、光に照らされていた岩山が破裂するように目の前で吹き飛んだ。
身構えていた刹那とスペルビアが同時に後ろに飛び退き、そのおかげもあって二人の元に追いつく。
「アンダーヒルは何の話だったの!」
「後で話すかも!」
逃げ道を用意した言い方をしつつ、土煙の中から姿を現した敵の姿を視認する。
視界左部に表示された名前は『生ける炎』。
その名の通り、今も神々しさとはかけ離れた輝きを放ち続けるそれの姿はまさに炎の塊、一部がくすんだ灰色に変色しているのは目なのだろうか。
不自然な揺らぎ方をしているのが、まさしく生きているようだった。
「これがくてぐあ?」
「いや、クトゥグア」




