(29)『くてぐあ』
タイトルの意味は本文を読まないとわかりません(きっぱり!)
「酷いな……」
寄って集ってボコボコにされ動かなくなった夜鬼を見下ろしながらそう呟く。
「細かいことでうっさいわね、シイナ。早くやりなさいよ!」
「ハイハイ、わかってますー。【死骸狼の尾】、夜鬼」
手の中に現れた、狼の尻尾の形の光束を夜鬼の病的に骨張った胴体に触れさせる。
「――バインド・リバイバル――」
グググッと夜鬼の腕が持ち上がった。
ネアちゃんが後ずさる姿を見た途端、俺は思わずスペルビアを少し後ろに押しやり、かばうように前に出る。
「……?」
スペルビアは首を傾げているが、特に説明できる理由はない。
「ネアちゃん、一応回復させといて。もしかしたら雄叫びにも体力使うかもしれないし」
「は、はい……」
夜鬼にも感情があるのか、こわごわと震えながら少しずつ近づこうと努めるネアちゃんを見て首を傾げている。かと思うと、いきなりその顔を横から覗き込むように変なポーズでネアちゃんに急接近し、驚かせている。
当然その直後、可笑しそうにギィギィと哭いていた夜鬼は刹那の罵声と共に鉄拳を受け、無駄に生傷を増やしているのだが。
こうして見ると夜鬼ってピエロみたいだな、などと考えていると、スペルビアがフィンガーレス・グローブの人差し指を摘んで引っ張ってきた。
「ん?」
「シイナ、もう大丈夫」
放して欲しいということらしい。
一応すぐ支えられるようにおそるおそる放してやると、スペルビアはふらっふらっと二回ほど揺れた後、ぶんっと持ち上げた巨鎚を肩に担いだ。
「大丈夫?」
無言でこくりと頷いたスペルビアは、寄ってくる他の夜鬼や異形犬を警戒しているのか、きょろきょろと辺りを見回し始める。
「シイナ、回復終わったわよ」
刹那にそう言われて向き直ると、何が疑問なのか夜鬼は未だに首を傾げていた。その視線(と言っても夜鬼には目がついていないが)が俺に向いている理由が激しく気になるが、些細な問題と見做して切り捨てよう。
そして胸を覗き込むな。
「夜鬼、えっと……他のモンスターを呼び寄せる雄叫び……できる?」
正直話が通じているとは思えないのだが、別の意味で話が通じないアプリコットとすらコミュニケーションが取れているんだからなんとかなるはずだ。
すると、夜鬼は首を傾げたかと思うと――ゾワッ。
瞬く間に、俺の顔面至近距離にまで顔を近づけてきて、大きく裂けた口角を釣り上げるように笑みを浮かべた。
その名状し難い不気味さに背骨の辺りを嫌な電流が駆け抜け、腕に鳥肌が浮いた瞬間――夜鬼は真上を向いて空気を吸い込んだ。
ォオオオオン……ォオオオオン……。
底抜けに響き渡る旋律は消えるように広がっていき、プレイヤーたちには理由もなく緊張を強いる。
「相変わらず気味悪い鳴き声ね。ホントに効いてんの?」
「おそらくですが、多少は時間がかかるかと推測できます」
「なんでわかんのよ」
「体験済みです」
「体験……?」
刹那とアンダーヒルの会話に耳を傾けつつ、改めて武器のチェックをする。
装備してはいないがオブジェクト化した【永久の王剣エターナル・キング・ソード】を背負い、実際に装備武器扱いの【群影刀バスカーヴィル】と【大罪魔銃レヴィアタン】は、それぞれ腰と太ももに装着している。【バスカーヴィル】を腰に差すのは意外と久しぶりだ。
「そういえばさっき、あの変態が三体のボスがいるって言ってたわよね」
「はい。全てがアレと同級ならば、比較的厳しい状況です」
“アレ”……?
浮かんだ疑問を解消するべく、刹那とアンダーヒルに歩み寄ろうと足を踏み出した時――ぐいっ。
後ろから誰かに腰巻きを引かれ、背すじをビビッと電流が走った。
何かと思って振り返ると、またまたスペルビアが尻尾を掴んでいる。繋がっている腰巻きまで引かれたのだ。
「シイナ、静かに」
「……?」
「音声通信。ドクターから」
そう言って、まだ周りが騒がしい内から回線を繋ごうとするのを手首を掴んで止め、夜鬼と周囲に静かにするよう告げる。
「シイナ……痛い」
「っと……えっと、ごめんね」
強く掴みすぎていたようだ。
指先で俺が掴んでいたところをさすっていたスペルビアは、二分ほど完全に忘れ去られていた魑魅魍魎からのコールに気がついて、回線を開く。
『やァ遅かったね、ルビアちゃん。ナニかあったのかなァ?』
少し皮肉っぽく笑ってそう言った。
「忘れてた」
『コール音と目の前のウィンドウがある中でどうして忘れられるんだい!?』
「ドクターの名前」
『忘れてたのはそっち!?』
「ううん。ドクター」
『存在から!?』
話が遅々として進まない。っていうか魑魅魍魎はなんでまた連絡してきたんだ?
「ドクター、それで何かある?」
通信回線の向こうから聞こえてくる『酷いなァ、ルビアちゃん……。あ、でもこれのお詫びでうまくすれば……』などと丸聞こえの独り言を遮り、珍しくスペルビアから本題に入る。
『あァ、うんうん、それなんだけどねェ。さっきはティアちゃんに邪魔されて言いそびれちゃったことがあったからさァ』
「ナニ?」
『さっきは三体と言ったけど、可愛い可愛いルビアちゃんにひとついいことを教えてあげようと思ってさァ』
「いいこと?」
『うんうん♪ 助言助言。ルビアちゃんにだけ特別だよォ?』
「特別……うん」
少し嬉しそうに微笑を浮かべたスペルビア。将来、詐欺かなんかに引っ掛からないかが非常に心配です。
『そこのボスの中にはクトゥグアというモンスターがいるんだけどねェ』
「くとぅ……くてぐあ?」
言えてないし。
『あはァッ♪ 噛み噛みルビアちゃんだァ! んふふふぅっ! アッと……ゴメンゴメン。本題だったねェ。とにかく何人でそこにいるのかはわからないけど、君がいる時点で敵は一体だ。普段はあまり使わないだろうけど、最大出力の【機構変動】にあのスキルを重ねがけして、クトゥグアを叩ければルビアちゃんの勝ちだよ』
「……?」
『それじゃあねェ、ルビアちゃん。ティアちゃんにもよろしくネ』
スペルビアが釈然としない表情を浮かべているが、“くてぐあ”で一人テンションが上がっていたらしい魑魅魍魎は一方的に通信を切ってしまった。
「もういいよ。スペルビア、あのスキルって何のことなの?」
夜鬼に雄叫びを再開させつつ、首を捻るスペルビアにそう訊ねると、
「……わからない」
相変わらずの平坦な声で呟くと、スペルビアは首を傾げた。
「くてぐあ……?」




