(26)『あの人に師事したい』
刹那に言われた通り片付けを手伝おうとしたものの、「もうメイド服の余りがないからやっぱりいいわ」との意味不明な理由+椎乃の「後片付けしないなら微邪魔はどっか行ってよ」との冷たい立ち退き勧告によりロビーを追い出された俺は、暇潰しにシンの部屋を訪れていた。
「シ、シイナ、これは違うんだ!」
シンが何やら続けて言い訳しているが、口元を引き攣らせるしか反応を返せない俺は右から左に聞き流していた。
「気にするな、シン。わかってるから」
「だよなっ。いやー、よかった。やっぱり普段からアプリコット被害者のシイナならわかってくれ――」
「ただ、いくらアプリコットが相手でもそれはさすがにアウトだと思うぞ……?」
「――てない!?」
シンは、ベッドの上でぐったりとしている白ビキニ姿のアプリコットに倒れ込むような体勢になっていた。見方によっては覆い被さっているようにも見えなくもない。
シンは十中八九、アプリコットの謀中に嵌まり込んでいるのだろうが、疲れていたのでわざわざツッコんで巻き込まれるよりは、アプリコットの思う通りに行動する方が楽なんじゃないかと思っただけだった。
シンには悪いが。
「お前がそんなヤツだったとは」
ススス、と閉めてあった扉に背がつくまで後ずさりつつそう言うと、
「ちょっと待てシイナ、お前普通に棒読みだからな!? わかってるだろ! わかってるよな! 遊んでるだろ!」
シンはベッドの上から飛び退いて、俺に近づき、またまた何やら釈明を始める。
シンが見てないのをいいことにパチッと目を開けたアプリコットは、グッと左手をサムズアップしてウィンクしてくる。
後で出演料に何か貰おうか。
「ま、まあ落ち着け、変態神」
「僕は紳士だよ!」
変態紳士か。
「サムライ顔で紳士って言われてもな」
「今それ関係ないぞ!? 女性に対する時の心構えの話だよ!」
「アレが女性に対する行動か……?」
と指差すと、
「さっき違うって言ったよな、僕!」
「口と行動が噛み合ってないけど」
「行動の方が嘘なんだよ!」
「なるほど……つまりそんなつもりじゃなかったんだ、って言いたいわけだな」
「いやいやいやいやッ! シイナお前、最近アプリコットに毒されてないか!? 挙げ足の取り方が似てきたぞ!?」
うぎゃああっ、と大袈裟な動作で頭を抱えて悶えるシン。普段は俺がこの立場な訳だが、傍から見てるとかなり不憫だな。
アプリコットの恐ろしさを改めて実感して少し怖くなった俺は、精神疲労もあり、早々にこの茶番を終わらせることにした。
まだ何か言おうとするシンの顔の前に人差し指を立てて静かにさせると、横をすり抜けてベッドに歩み寄り、ぴくりとも動かないアプリコットをジッと観察する。ただ黙って閉じられたまぶたを凝視する。
沈黙は長い。
そして、時計の音まで聞こえるほど静かになったその瞬間、
「わーっかりましたっ。すいませんでーしーたー、っと」
刺すような沈黙に堪えられなくなってきたのか、アプリコットが上半身を跳ね上げるように身体を起こした。
「せっかくいいところだったのにまさかの裏切りですよ、まったくシイナは」
何の恥ずかしげも臆面もなくそう言ったアプリコットは、ひらりとベッドから飛び降りて残念そうに笑ってみせる。
「最初から味方をするとは言ってない」
「まったく罪な人ですね。異性に対してからかい目的で故意に思わせ振りな態度を見せるのはモラル違反ですよ?」
「それをお前が言うな」
少し強めの口調でそう言ってやると、一度は首を傾げたアプリコットだが、すぐにしたり顔でにやっと笑った。
「つまりシイナはボクを恋愛対象の異性として認めてるってワケですね♪」
「いや?」
「即答!?」
アプリコットが心外だとばかりに声を張り上げると、後ろから「アプリコットと互角に渡り合うとか……すごいな」とシンの静かなる呟きが聞こえてくる。
「シン、お前まだ寝る?」
不服そうな顔をするアプリコットににデコピンしつつ、振り返ってそう言うと、
「いや、まああんまり寝れてはいないけど大した問題じゃないさ。攻略にもいかなきゃいけないしな」
【妖狼刀・灼火】を腰に差したシンはニッと笑みを浮かべて扉のノブに手をかけた。
「行くか」
「いつまでもアプリコットに構っちゃいられないだろ?」
「いったいボクを何だと思ってんですか、二人とも……」
俺とシンが背後からぼそっと聞こえてくるアプリコットの声をスルーして部屋の外に出ると、アプリコットは何食わぬ顔で後に続き、部屋から出てくる。
「お前ね……」
「どうかしたんですか、シン? 朝っぱらから幸せ逃げそうな顔して」
「余計なお世話だ」
「要らん心配と言ってください♪」
「要らないんじゃないかっ」
「不必要の必要性って論理を知ってますかね? 要するに――」
シンももう相手にしなけりゃいいのにお人好しだな。俺も今さら人のことは言えないから黙ってるけど。
前を歩くシンとアプリコットが『不必要の必要性』とやらの議論を始めたのをため息混じりに見ていると、
――【音響塞停】――
どこからかスキル発声が聞こえた。
(消音スキル……?)
俺が首を傾げて振り返った瞬間、通り過ぎたばかりの曲がり角から伸びてきた鎖が俺の首に巻き付いた。
「ぐげっ……!?」
ヒキガエルの鳴き声のような声をあげた俺は、そのまま死角に引きずり込まれた。
ちなみに解説しておくと、消音スキル【音響塞停】と聞いて浮かぶだろう疑問は、防音スキル【免解遮絶】とどう違うのかということだろう。この二つのもっとも分かりやすい違いは、自分が音を聞けるかどうか。
【免解遮絶】が自分の耳に入る音を防ぐのに対し、【音響塞停】は指定した一定範囲内で発生した音を消滅させる、隠密行動に好まれるスキルだ。
「よう、お兄ちゃん」
「今朝はなんだかいつになく暴力的だな、凜ちゃん」
“隠密”に“鎖”と言えば歯に衣着せぬ毒舌がキラリと光るアルトさんである。
ちなみに昨日の記念撮影では一番長く、記録を残すことに反対していた。色々建て前は言っていたが、本音は底が知れている。
「そっちの名前で呼んでんじゃねえよ。あと“ちゃん”付けやめろっつってんだろ」
「こうした方が現状をよく理解できるんじゃないかと思ったんだけど」
「あたしを馬鹿にしてんのか?」
その声に含まれた怒気に思わず身をすくめる。
「で、朝っぱらから何の用だ?」
「物陰の人影が一番仲がいいのはお前だって聞いたからな」
「……誰から?」
「スリーカーズ」
絶対あの人面倒くさいこと俺に押し付けたかっただけだな……。
「その言葉の真偽はおいといて、それがどうした?」
「あたしを推薦してくれよ。確かに第二位はあたしにとっちゃ贅沢すぎる訓練相手だけどな。あたしは何かを学ぶならあの人に師事したい」
真面目な顔で拳を強く握るアルト。
「……あれは誰かに何かを教えられるキャラじゃねえだろう」
「そんなこたどうでもいい。教師じゃねえんだ。技術は教わるもんじゃねえ。盗むもんだ。師匠は優秀ならそれでいい。ついてくことすらできなきゃ弟子になる資格はそいつにゃねえんだよ」
「わからんでもないけどな」
「問題は近づくだけで避けられんだよ。どうにかしろ」
あれは恥ずかしがってるだけだと思うけどな。
「あたし、嫌われてんのかな……」
「アンダーヒルは人ならみんな苦手なだけだよ。基本的には詩音の真逆だからな」
あれ……? ダメ人間……?
「……何とか話をつけてくれ」
「俺が言ったところで、うまくいくとは思えないけどな」
「ちッ、役立たず」
「こらこらー、口の聞き方に気をつけなさい」




