(22)『ハロウィン・前編』
「アプリコット……だよな」
翌朝目を覚ますと、隣で首まで布団を被ったアプリコットがすやすやと気持ち良さそうに眠っていた。ただし何故だか髪が一本一本が絹糸のような綺麗な金髪に変わっているが。
「……何故コイツがここにいる?」
自問してみるものの答えなんてわかるわけもなく、とりあえず身体を起こす。
扉の方を見ると、手元に朱文字で『GL権限施錠』と書かれた別ウィンドウが開いた。鍵はかかっているようだ。
考えうる可能性は三つ。
一つ、リコ・サジテールを言いくるめて開けさせた。ただし二人には基本的に開けないように厳命してある。
二つ、昨日俺が部屋に入り施錠するまでの間に何らかの方法で侵入し、朝までこの部屋にいた。
三つ、何らかのチート、あるいはそれに準ずるスキル、システム。
「起こした方が早いな」
余計なことを考えるよりは、聞いた方が早い。アプリコットからすれば隠すほどのことではないはずだ。
「朝だぞ、起きろ」
アプリコットの肩を掴んで揺すると、
「ん、んぅ……」
妙に艶かしい声をあげてベッドの端方向に寝返りをうったアプリコットは、
「んん……」
ゴロンと再び俺の方に寝返ってきた。お前はコウモリか。
かと思ったら、うっすらと目を開けて俺を見ては瞬く。そして、
「なんでシイニャがここにいるんですか……?」
まだ眠いのか、目を擦りながらそう言った。そこで気づいたのだが、何故か猫のような犬歯が口元に目立っていた。
「寝ぼけてんのか? ここは俺の部屋だ。どうやって入った?」
「んぁ……っとですね……。一般には知られてませんが、GL権限のロックは別のギルドのGLでも外せるんですよ……。元々はギルド同士の争いで膠着を防ぐための……」
話している内にだんだんとアプリコットの目蓋が下がっていき、そこで力尽きた。お前はスペルビアか。
「寝るなー」
アプリコットの頬をつまみ、ぐにぐにと弄り倒す。普段イジられまくってるからな。その仕返しも兼ねている。
「起きまふからひゃめう」
「……お前、いろんなキャラ混じりまくっていろいろカオスだよな」
「ふぇ?」
なんというか、古今東西のあらゆる要素をごちゃ混ぜにした感じだ。なんと形容すればいいのかはわからないが、時には今のように無邪気な(というよりは邪気を感じさせない)一面も持っているのに、普段はまさにアレだからな。
薄い毛布を纏ったまま手を使わず器用に起き上がるアプリコット。その毛布の下から、むちっとした太ももが出ていることには気づいているのだろうか。
「ところで二,三聞きたいことがあるんだが……」
「ウェスト以外ならいいですよ」
調子を取り戻してきたようだ。
「お前、いつからここにいた?」
「んーと……今朝方、だいたい五時頃ですかね。たしか」
「じゃあ次な。どうしてここに来た?」
「たぶん………………寒かったから?」
適当かよ。
「寒いんなら深理玖射音に毛布を貰えばよかっただろ」
「たぶん………………人肌が恋しかったんじゃないですかね?」
適当かよ。
ホント空気を読まないくせに、その場の空気で動くヤツだな。
「最後のひとつは何ですか?」
アプリコットは首を傾げて、毛布の中で何やらもぞもぞ動きながらそう言った。
「……ああ、まあこれは最悪どうでもいいんだけどな。その髪と歯はどうしたんだ?」
アプリコットは無言で手鏡を取り出すと、自分の顔の前に――――ではなく俺の顔の前に突き出してきた。
「……アプリコットさん」
「何ですか?」
「……何コレ?」
「シイナですけど」
思わずその手鏡を奪い取り、鏡の中の自分を注視する。
アバターの素体が大きく変わったわけではないが、明らかに変わっていた。
今の俺の種族は九ヶ月前から人間なのだが、その耳はまるで古民族のように尖っている。
そして髪の色は桜桃色、瞳の色は赤色だ。
しかも意識してみると何となくそういうものだとわかる、しまってはあるが翼を持っている感覚があった。
「うん、何コレ?」
「思い出したのは昨日の夜ですけどね。たしか去年も実施したと思ったんですが、シイナは未経験でしたか? FO全体イベントクエスト『Halloween Party』」
「ハロウィンってことはまさかコレ……」
「本日限りの常時スキル【仮装変奏会】。この日の仮装の風習をROLなりのやり方で実装化したっつーことですね」
「じゃあお前のソレも……?」
「ええ。ちなみに装備の外見もハロウィン仕様に調整されるので……」
そう言ったアプリコットは纏っていた毛布をパッと取り払った。
そこに着ていたのは、あちこち肌を露出させたゴシック調の漆黒のドレス。足がほとんど露出してる上にガーターベルトとタイツも相俟って、やたらと扇情的に見える。
「どうやらボクは吸血姫みたいですね」
吸血姫って、ROLの連中サボりやがったな。それ、種族として確立されてるじゃないか。
そう思いつつ、イケない気がしてアプリコットから目を逸らし、そこで初めて自分の格好に気づいた。
「な……」
頬が熱を持つ。
「災難ですね、シイナ。日頃の行いの差でも出たんですかね?」
「行いだったらお前の方が悪いだろ!」
「いやいや、故意と無自覚では罪の重さが違うんですよ」
勝手知ったる風にワケのわからないことを言うアプリコットを無視して、改めて視線を下に向ける。
幅七~八センチほどの黒い革のベルトを組んで作られたような露出度の高い装備。
全体的に体型にピッチリ合うようにできているのに、交差する柔らかな布だけで覆われた胸部だけかなりゆったりとしている。
肩もほぼ露出し、ハイレグカットでヤバいぐらい露にされた足は、左足だけ網タイツの上に同じ革ベルトが巻かれていた。
(色々とありえねえだろ!)
言うなれば全裸の上に包帯巻き付けてるアンダーヒル状態だ。ただしローブで隠せない分、なおタチが悪い。
「ステータス見ればわかると思いますけど、たぶん淫魔かと」
「冗談にしても酷すぎるな、おい!」
「イロイロ手玉にとってる辺り納得できますよね」
「意味わかんねえからな!?」
部屋を出ると、ちょうどロビーから出てきたらしいリュウとばったりはちあわせた。
気まずい空気の中、俺が何のアクションも起こせずにいるとリュウはアプリコットを一瞥し、続けて無言のまま俺を上から下まで見て、肩にポンと優しく手を置いてきた。
「……色々大丈夫か?」
「大丈夫じゃねえよ!?」
思わず狂いまくったイントネーションでそう叫んだ。
「土人形ですか?」
「そのようだな」
確かにリュウの額には『אמת』と書かれていたが、それ以外に特に変わったところはない。いつも通り西洋の騎士鎧を着ていられるようだし。
適当すぎるだろ。
「他の連中もロビーに大抵揃ってるから、先に行っているといい」
「お前は何処行くんだ?」
「なに、シンを起こしにいくだけだ」
そう言って、リュウは廊下をすれ違っていった。その時に気づいたが、リュウの背中が半分石っぽくなっていた。
「あながち適当ってワケでもないですね」
同じところに気づいたらしいアプリコットもそう呟き、先に立って廊下を進む。
そして、ロビーに通じる扉の前に立ち、手をかけた。
「トリック・オア・トリックーッ!」
「選択肢をやれよ」
扉を開けるなり両手を挙げてそう叫んだアプリコットの後頭部に、ノーダメ程度の力加減で手刀を打ち込む。
「何するんですか」
「わからないのか?」
振り返って心外だという顔をするアプリコットのデコに再び手刀を打ち込む。
「朝っぱらから相変わらずね、アンタたち二人は」
待ってましたとばかりに歩み寄ってきた刹那は、カウガール姿だった。ようやく仮装らしい仮装というべきか、ハロウィンではある程度メジャーな変装だな。
活発なイメージがよく似合ってる。
「ぷっ、あはははっ、その格好ナニよ、シイナ」
「うっ……し、仕方ないだろ……」
「まぁ、完全ランダム制だし? ぷっくくくっ、ごめ、でも無理……あははははっ」
笑い過ぎだろ。
刹那がこんなに大笑いしてるの見るのは久しぶりだけどな。
部屋の中を見渡すと、ほとんど揃っているというほどでもない。リュウとシンを除いても、椎乃・アルト・トドロキさんの三人の姿がない。
次に歩み寄ってきたのはアンダーヒルとネアちゃんだった。
「おはようございます、シイナさん」
「おはようございます、シイナ。ご愁傷さまです、と一応言った方がいいですか?」
「おはよう、ネアちゃん、アンダーヒル。二人とも結構似合ってるよ」
ネアちゃんは典型的な魔女装束だった。とんがり帽子に黒のベルベットローブに身を包んでいる。正直普通の装備過ぎて羨ましいが、アプリコットではないがやはり日頃の行いの問題なのだろう。
対するアンダーヒルはわずかに青みがかった白の和服なのだが、両肩をはだけさせて露出し、胸元を大きく開いた着崩しスタイルだ。小柄な体躯の割に色っぽく見えるのはやはり着物マジックと言うべきか。
「それ……恥ずかしくないのか?」
かなりギリギリ、上部は完全にオープン状態の胸元を指差すと、
「ほっといてください……」
かなりふてくされた感情たっぷりの言葉をいただいた。恥ずかしいらしい。
「正統派魔女に雪精霊ですかー。アンダーヒルはなんか罰ゲームコスプレっぽいですよね」
余計なことを言って、昨夜に引き続き【コヴロフ】を向けられたアプリコットが慌てたようにヘラヘラ笑う。
雪精霊というのは要するに雪女のことなのだが、これもFOの種族として確立されている。端的に言えば、氷の妖精みたいなものだ。
他の仮装も全て解説していくと――。
スペルビアは眠り子。アプリコットの説明を聞く限り、一日の大半を寝ている魔物・妖怪の類らしいのだが……あまりにもそのまんま過ぎて笑えない。外見上変わったことといえば先が丸まっている尻尾が生え、髪色が鈍ったような蒼色になっていたことぐらいか。
ちなみに俺が声をかけても寝ていた。
ミストルティンは口元以外を隠すような形の仮面を付けているだけで最初はまったくわからなかったのだが、にこっと笑って翼を広げてくれたところでわかった。繊細な造形の天使の翼をそのまま黒く染め上げたような翼。優しげな神父のような笑みを口元に湛える時点でミスマッチ感が半端なものではなかったが、あれは堕天使。
これも種族として確立されているだけ、かなり運がいいだろう。
ちなみにリコとサジテールはまったく変化がない。メイドたちもそうだったし、NPCには何も変化がないのだろう。
途中でやってきたシンは骸骨の仮面を被り、普段の和装着物は西洋の騎士鎧に、いつも腰に差している大太刀はサーベルに変わっていた。アプリコット曰く、骸骨騎士というらしい。
今のところ一番戦闘向きに見えたスカルナイトだが、女子陣の格好を見た瞬間に発狂したように暴走し、カウガール刹那の投げ縄に縛り上げられ、リュウの足元に転がされている。
スカルナイト、弱っ。
「アルト、連れてきたよーッ!」
ようやくハロウィンイベントで浮き足立っていた部屋の中の雰囲気が落ち着いてきた頃、もう一人の馬鹿の声が下のエントランスホールの方から聞こえてきた。まだ姿は見えないが。
「放せって言ってんだろうが! こんなカッコで人前に出られるかっての!」
なんとなく可哀想な予感を彷彿とさせるアルトの声も聞こえてきた。
「私の前にはもう出てるからだいじょーぶっ♪」
「どんな理屈だ! そもそもお前は人間じゃねえよ、この宇宙人!」
「酷ーっ!? 暴力だ! それ言葉の暴力だよ、アルト!」
「あたしの知ったこっちゃねえよ、だからはーなーせ――っ!」
「ふーんだ。こうなったらアルトの恥ずかしい姿でプラスマイナスゼロにしてやるもんねーっ!!!」
「意味わかんねえだろ!?」
『どーんっ♪』と楽しげな椎乃の声が聞こえてきて、ほぼ同時につんのめるように階段の上に姿を現した人影が、勢い余ってカーペットの上ですっ転んだ。
当然、足だけで器用に立ち上がったシンも含め、その場にいる全員の視線がその人影に注がれる。
な、なんだあのカッコ……。
「ゴメンゴメン、アルト。だいじょぶ?」
遠目で少し分かりにくかったが、起き上がった人影、アルトはその場の全員に見られていることに気づいた瞬間、頬から顔全体、耳に至るまで真っ赤に染め上げた。
「さすがにアレを笑うのはボクでも不謹慎な気がしてきました」
隣のアプリコットが珍しくそんなことを言ってくる。
アルトの格好はへそ丸出しで薄いピンク色のフリルドレス、宝石のついた胸元と背中には少し濃いピンクの大きなリボン、フリルのミニスカートは背中側に伸びているリボンの端を大きく強調している。さらにその足はホワイトソックスに膝まで覆われ、ピンク色のローファーもリボンがあしらわれていた。
「確か出現確率で言えば最上級の激レアなんですけどね。魔法少女って」
アルトは椎乃と同じ中学二年生。ただでさえ精神年齢が実年齢より高いのに、あの年であんな格好をするのはコスプレイヤーでもなければただの羞恥プレイだろう。
対する妹は猫耳猫ミトン猫ブーツのオール猫コス。既にハロウィンの仮装から離れてコスプレの範疇に入っているだろとツッコみたいが、FOでは珍しいものでもない。
涙目になったアルトはその場に崩れ落ち、しくしくと泣き始めてしまった。
そんなに嫌なのか……。
「ア、アルト……」
困ったようにあたふたする椎乃は何を思ったか、手を頭の耳の横に添えて、
「アルトっ……にゃ、にゃー!」
空気読め。




