(21)『普通そう考えんだろ』
八時頃、風呂から上がってきた俺がロビーに入ると、トドロキさんがカウンターで酔い潰れていた。隣にはアプリコットもカウンターに突っ伏している。
「どんだけ呑んだんだよ……」
いつもならこんなに早くはない。何だかんだ酒には強いらしいからな。
「アプリコット、狸寝入りすんな」
肩を揺すると、アプリコットはあっさり目を開け、むくっと起き上がる。
「風呂上がりシイナ萌え」
「意味わかんねーこと言ってんなよ」
「エロくないですか?」
俺に言うな。そして少しは恥じらえ。
「他の皆はどうしたんだ?」
「アンダーヒルはもしかしたらその辺にいるかもしれませんけど他は知りませんね」
「お前、またアンダーヒルに何かしたのか……」
「酔ったフリして、セクハラしただけですよ。アンダーヒルの反応も含めて具体的に説明してあげましょ、なんて冗談に決まってるじゃないですかあははははは……」
突然空中から出現した【コヴロフ】の銃口が、ゴリッとアプリコットの後頭部に押し付けられたのだ。
「こんばんは、シイナ」
【コヴロフ】を構えて姿を現したアンダーヒルが、無感情の瞳を向けてくる。
「その挨拶の用法には甚だしく疑問を覚えるがとりあえずこんばんは」
「日本語で夜の挨拶といえば『こんばんは』です。間違ってはいません」
「お前は四六時中顔を突き合わせる半分家族相手に『こんばんは』なんて他人行儀な挨拶をするか?」
「……親しき仲にも――」
「せいぜい『おはよう』と『おやすみ』ぐらいだろ」
「……確かにそうかもしれませんね」
理詰めでアンダーヒルを言い負かすなんて、なかなかできる経験じゃないな。
「シイナ、『いただきます』と『ごちそうさま』はどうなるんですかね♪」
「お前ホント、人の粗探しをさせたら超一流だよな……」
とあからさまな嘆息を交えて皮肉ると、
「おっといいんですか? ボクは誉められると調子に乗るタイプなんですよ♪」
「別に誉めてないし、それを自覚してるなら調子に乗るな」
「嬉しくなって今夜アンダーヒルに夜這いをかけちゃうかもしれませんね♪」
「じゃあ今日だけ俺の部屋で寝るか、アンダーヒル」
「ッ!? シ、シイナ、それは……」
GLの部屋の鍵は、俺と俺が所有者のリコとサジテールしか開けられない。それはアプリコットだって同じはずだからな。
「俺は他の部屋で寝るから……ってどうかしたのか、アンダーヒル」
俯いて何かをブツブツ呟き明らかに様子がおかしかったから声をかけると、ハッとしたように顔を上げたアンダーヒルは
「な、何でもありません……」
後すぼみの慌てたような声でそう言って、また俯いた。
アプリコットも口に手を添えて何故か含み笑いしている。こっちが挙動不審なのはいつものことだが。
「私は睡眠をとっている間でも何かあれば目を覚ましますので、問題はありません。ですので結構です……」
元からアプリコットが何もしなければ問題はないのだが。
「残念でしたね、シイナ♪ さりげなく自分の部屋に誘導して夜這いをかける作戦が失敗しィッ!?」
アプリコットの頭頂に同時に振り下ろされた【コヴロフ】と【群影刀バスカーヴィル】の衝撃が激痛を生じ、同時に背骨を伝って全身をまっすぐ下に駆け抜けた。
ワンテンポ挟んで、涙目になったアプリコットは打たれたところを押さえて暫し無言で悶える。
痛みには総じて強いアプリコットでも、現実なら下手すると致命傷になりかねないほどの攻撃にはさすがに堪えられないらしい。これでもし堪えられたら、人以外のナニか認定しなければならないところだったが。
「ナニすんですか!」
自業自得だ。
「ったく……いつものことなんですから冗談だってことぐらいわかるでしょう」
「それを本人が言わないでください」
「そもそも今のシイナのアバターじゃ、そういうことはできねぇでしィォゥッ!!!?」
アプリコットの頭頂部を襲う衝撃再び。
今度はそこをさすっていた左手もろともだ。頭や首へのダメージはかなり軽減されただろうが、避ける暇もなく重量級の一撃の緩衝材にされた左手の方は堪ったものではない。
「に゛ゃあ……」
アプリコットは潰された猫のような悲鳴をあげて椅子から滑り落ち、お尻を突き出して膝立ちから上半身だけ前に倒したような格好で問題の左手首を押さえたまま、プルプルと震えている。
直前の言動はともかく少しだけ可哀想になり、思わず隣でアプリコットを見下ろすアンダーヒルに目を遣ると、ちょうどのタイミングで目が合った。
「……総重量十二キロです」
特に聞いていないことを教えられても困るのだが。読心術ばりの勘の良さが特技じゃなかったか。
「アプリコットはともかく、彼女をこのままにしておくわけにはいきませんね」
「そもそもなんで『シードルのポーション割り』を普通に飲んで平気なトドロキさんがこんなことになってるんだ?」
「ハッシュドライバーと呼ばれるカクテルは飲みやすく、酔いが回るのが早いことで有名ですから」
それをなんで子供が知ってるのかは聞かない方がいいのだろうか。
「【浮游伝】」
スキルを使ってトドロキさんの身体を浮かせると、もう一度悶絶するアプリコットを無言で見下ろし、
「……」
トドロキさんをゆっくり引いて、音も立てずロビーを出ていった。
「………………そろそろ狸痛がりはやめたらどうだ、アプリコット」
「バレてました?」
むくっと起き上がったアプリコットは、白Tシャツの胸元やミリタリーパンツの膝をぱんぱんとはたいて埃を落とす仕草をする。つく埃がそもそもないのだが。
「あ、でもホントに最初は痛かったんですよ? まぁ、痩せ我慢できなくもねえ感じでしたけどね♪」
コイツ、人間じゃないかもしれない。
アプリコットは珍しくロビーのソファに歩み寄り、ポスンと寝転がって、
「消灯~」
勝手にロビーの電気を消してしまう。
「おい。まだ俺がいるだろうが。点灯!」
「消灯」
「点灯」
「消灯」
諦めた。
いや、正確には諦めたというより、他に優先事項ができたからどうでもいい方は切り捨てたと言うべきか。
目がチカチカするような連続消点灯の間に気づいたのだが、ロビーと繋がっているベランダにアルトがいたのだ。
「寒くないのか?」
アプリコットを放置し、後ろからアルトに声をかける。
「いつまで待たせる気だよ。今日はもう来ないかと思ってたぞ」
「悪かったよ、凜ちゃん」
「何だよ、思い出したのか。ちゃんとした挨拶は一回しかしてないし、ずっと気づかねえと思ってたんだが。ていうか今さら“ちゃん”付けやめろよ、キモいから」
アルト、四光寺凜は妹の友達で、何度か家に来たこともある。思い出したのはついさっきだったが。
「それでさっきの話だけどな……っと、一回切れるとノリが悪いよな」
名前程度の挨拶ではこんな男勝りの喋り方とはわからなかったからな。
「……あたしらはみんな現実での時間が完全停止してんだぞ? ずっと停滞してんのに時間だけはどんどん過ぎてくんだ。少しぐらい焦ったりパニクったりしねえのかよ」
ホントにさっきの続きから話してるようなテンションで始まったな。怒ってるような、強い口調だ。
「……難しいとこだけどな。たぶん皆も結構混乱してると時期もあったと思うけど、だからって焦ったりパニクったりしても意味ないだろ。現実の俺たちが停滞するのは今はしょうがないけど、ここでジッとしてる方がその分期間が長くなるわけだし」
「だからってそんな簡単に割り切れるもんでもねえだろ……。閉じ込められて、ハイそーですかって次の日から動けるお前らがどうかしてんだよ」
ごもっともです。変人だらけだしな。
「むしろどうかしてたからこそここまでやってこれたのかもしれないだろ」
「あたしにもどうにかなれって言うのかよ!」
「俺はこれをゲームって思えなきゃやっていけないと思うけどな」
「ここまで九ヶ月! 一年も二年も二十四時間三百六十五日ゲームやってろってか!?」
「現実だって考えてダメならって話さ。アンダーヒルの受け売りなんだけどな。初期に動けなかった奴らは、現実的にしか考えられなかったから、外から助けが来るのを待ってたってことらしい」
「普通そう考えんだろ!」
「だから普通でダメなら、少しぐらいおかしくなってって話だな」
「……話がループしてんだろ。相変わらずだな。ったく……」
「……吹っ切れたか?」
「こんなんで吹っ切れるわきゃねえだろ。ちくしょー、あんな男か女かわかんねえお兄ちゃんに説教されるなんて腹立ってきたな」
「いや、ちょっと待て。それは関係ない上に別に説教してるつもりは……」
「あたしはもう寝るからな!」
アルトはヤケを起こしたように、荒っぽくベランダの戸を開けて、中に入っていってしまった。
「嵐かよ……。まぁ……中学生なんかそんなもんかな」
涼しい夜風に当たりながら、ベランダからトゥルムの街並みを眺めてみる。
ああは言っても、現実味を帯びすぎてるからな……FO。
「…………へくしっ」
風呂上がりなのを忘れてた。




