(19)『置いて帰るか』
「ご迷惑をお掛けして申し訳ありません、リュウ、ミストルティン、スペルビア」
ようやく身体の調子が戻ったアンダーヒルは、スペルビアの手を借りて装備を整えてから、三人に頭を下げた。
ちなみにリュウとミストルティンの右頬が赤く腫れているのは、アンダーヒルのあられもない姿を見た途端にスペルビアが気を回して(?)叩いたためだ。
特に災難だったのは、スペルビアの身長に対し、リュウもミストルティンも差を開いて高かったことだろう。普通手のひらでやるところを、スペルビアは何の躊躇もなく巨鎚の柄でやってのけた。
「違う。反応を誤らないで。こういう時は謝るんじゃなくてお礼を言う」
アンダーヒルの謝罪に対し、最初に口を開いたのはスペルビアだった。
これは何ということもなく、口を開こうとしたリュウとミストルティンの二人は頬の痛みが再発したためである。
これに対して一瞬きょとんとした表情を浮かべたアンダーヒルだが、気恥ずかしさからか頬をわずかに朱に染めて、
「あ、ありがとうございます……」
呟くようにそう言った。
「俺は仲間を助けただけで、礼には及ばんさ。こっちこそ遅れて悪かった。お前さんのことだから大丈夫かと思い込んでいたんだが……。シイナからティンダロスの猟犬のことを聞いてな」
「シイナ? シイナに会ったのですか?」
「ああ。今は刹那と一緒にネアの所へ向かっているはずだ」
「ネアは無事ですか?」
「なに。リコとケルベロスがついているそうだからな。心配あるまい」
それでも万が一のことが頭を過り、心配になるのが人間だ。
と難しい顔をしていたアンダーヒルに、時間経過でようやく右頬の腫れと痛みの引いたミストルティンが口を開く。
「そんな顔をしたらいけないよ、アンダーヒルさん。彼……彼は君のことをすごく心配していたからね。今だけは心配される側として、男の子を立ててあげるべきだ。ネアさんもきっと、彼が助けてくれるから」
むぅ、とアンダーヒルは閉口した。
論理的で理論家で、当然理論に強いアンダーヒルだが、こと人間関係の駆け引きに関しては誰よりも疎く誰よりも弱い。
その理由は言わずもがな、どんな学問よりも不可解な心理学と同じで、そこに必ずしも実際的な根拠が存在しないからだ。
とアンダーヒルは推測しているのだが、その実、どちらかといえば感受性の強い幼少期にほとんど人と接することがなかったからであり、重ねて彼女の唯一と言っていいコミュニティである[FreiheitOnline]でも極端に他人との接触の少ない『情報家』などという立場であることを選んだがゆえの経験不足の弊害あるいは結果である。
つまり普通なら考えられないほど、人として未成熟なだけだった。
「ミストルティン、アンダーヒルを口説くの、ダメ。後でアルトに言っとく」
「僕は別にそういうつもりで言ったワケじゃ……」
スペルビアに対しても反論が弱いミストルティンは、後にスペルビアの言葉足らずで曲解の余地が大きく残るような報告を受けたアルトに殴られることになるのだが、それはまた別の話である。
アンダーヒルは、誤解を解こうと努めるミストルティンと何処か感覚がズレているせいでさらに誤解を深めるスペルビアとの会話にも耳を傾けながらマップを開き、リュウから現状を聞き出していた。
「……あっちにはアプリコットもスリーカーズもいるから問題はないだろう。シンといちごタルトもそろそろシイナたちと合流できるようだな」
顎に手を当て、アンダーヒルの開いたマップを覗き込むリュウ。
アンダーヒルはその間に、【隠り世の暗黙領域】によるメッセージ機能で、シイナとスリーカーズに安否確認のメッセージを送った。
「しかしある意味予想通りだが……」
リュウが含むように呟き、目配せと共に台詞の続きをアンダーヒルに預けると、彼女もそれを察して、
「はい。やはり三百五十層超えからはモンスターの個体値もさることながら、連携攻撃の練度が桁違いです」
三百五十層以降は、あらゆるNPCが戦闘に参加することができる。要するに、資金さえあれば、たった一人でも強大な軍隊が作れるのだ。戦力補充にこれほど有用なものもないだろう。
しかしそれができる分、敵が強くなければ三百五十層以降はそれ以前よりも容易く攻略ができてしまう。それではゲームとして興が冷めてしまう。もちろん、こんなログアウト不可能ではない健常の場合は、だが。
それは≪アルカナクラウン≫総員の見解としてある程度は予想済みだったのだが、予想よりその幅が大きかったのだ。
「やはり分隊での行動は危険すぎますね。一度体勢を整えるためにも、一度ギルドに戻るべきだと思います」
「……そうだな。メッセージ打てるか?」
「先ほど、安否確認の際に二人に打診しておきました」
「俺が切り出す前からそのつもりだったのか? さすがだな」
「誉められるべきものではありません」
今の私にはこれくらいしかできませんから、とアンダーヒルは小声で呟いた。その声はあまりにも小さく、ミストルティンやスペルビアはおろかリュウにすら聞こえなかった。当然、アンダーヒルはわざと三人に聞き取れない声量で呟いたのだが。
まるで自分に言い聞かせるように。
「えーっ。ヤダヤダこのまま攻略しちゃおうよ、リッちゃん! 本気出すから! 必殺技使っちゃうからーっ!!!」
「棒読みでだだっ子演技すんなや、アプリコット。ジブンにリッちゃん呼ばれるんも初めてやし、本気出すんは当然やし、ツッコむところ多すぎて大変やけど、とりあえず何もかもまず反対する癖もええかげんにしい」
「いや、リッちゃん、癖ちゃうて。ナニ言うてんねん。癖やったら無意識やけど、ウチのはただの確信犯やさかい」
傍から二人の遣り取りをこわごわ眺めている詩音・アルト・サジテールの三人はスリーカーズの堪忍袋がキレる音を聞いた気がして、一斉に後ろに飛び退く。
「あ゛~~~~ッ、腹立つぅうううッ!!! 喧嘩売っとるんなら、ウチをナメとったらあかんで、アプリコット!!!」
ついに皮肉のひとつもなく普通に怒りを爆発させたスリーカーズが、無手でアプリコットの襟を掴み上げる。
くいっくいっ(止める?)
ブンブン(いや、これは無理だろ)
こくっ、しゅっしゅっ、ぱんっ(うん、私もそう思う。でも止めないとメッセの返事どころじゃなくなるよ?)
ぐっ(じゃあどう止めるってんだよ)
……くいっ(……さあ?)
ゴスッ!(少しは考えてから喋れ!)
あぅっ……ピッ(痛っ! ……わかんないからアルトに聞いてんじゃん)
バッ!(あたしだってとっさに思い付かねえよ)
こくんっ……くいっ(だよねー。テル姉に訊いてみる?)
こく……ニッ(そうするか。仮にも人工知能だしな)
にぱっ(それ、おもしろい♪)
パッ、くいっくいっ(で、どう思う?)
「ごめんね、二人とも。私にはちょーっと意味がわからないかなー?」
サジテールの目には無言の詩音とアルトが手の動作や視線、頭の動きや暴力を駆使して何かの意志疎通をしている、というところまでしか理解できていなかったのだから当然である。
「……」
「……」
「……」
無言で目を見合わせた三人は同じタイミングで超近接戦で接戦を繰り広げる2人に目を向けて、再び同じタイミングで目を見合わせ、同じタイミングで頷いた。
「置いて帰るか」
「私たちじゃ近づけないしね~♪ あ、テル姉、また乗せて~。さっき楽しかった」
「おい、今度はあたしだろ」
「アルトは飛べるじゃん!」
「の、乗ってみたいだけだよ……」
「はいはいあっちの二人みたいに喧嘩しないの。二人とも乗れるから」
背後で爆発音とアプリコットの小馬鹿にしたような悲鳴が聞こえた。




