(17)『夜鬼‐ナイトゴーント‐』
客観的に見て“意外”と思われているが故に忘れられがちな事実をまずは特筆しておこう。
アンダーヒルは近接戦闘が苦手である。
これは強いとか弱いとかそういう段階の問題ではなく、センスだとか慣れとかステータスパラメータとか努力如何の問題でもない。
『身体が突然動かなくなる事態』を怖れるあまり、必要以上に敵との直接接触を避け、確実に安全が確保されない状況では無意識に手控えてしまうのだ。
その結果、個々の敵に対してかける時間が長くなる。さらに単独戦という状況も、本人も気づかない内にアンダーヒルをじわじわと追い詰めていく。
数に任せて取り囲み、緊張と連携で徐々に獲物を衰弱させていく――典型的な罠そのものだった。
「はぁっ……はぁっ……」
アンダーヒルは【正式採用弐型・黒朱鷺】を杖のように使って身体を支えつつ、一弾倉計五発の銃弾を撃ち尽くした全長千四百ミリの【コヴロフ】を振るっていた。
槍術、あるいは棒術の要領である。
現実問題、こんな扱いをすれば銃身は曲がり内部の細かい部品は歪み、二度と使えなくなる問題を差し引いても、華奢なアンダーヒルの体躯では物理的にまず不可能な所業だが、あらゆる身体能力が数値で表される非現実の中ならば腕力値次第でそれも可能なのだった。
(とはいえ…………やはりいい気はしませんね……)
どんなに優秀な銃でも、弾が尽きればただの棒より厄介なお荷物。それをわかってはいても狙撃銃の価値を逸脱した用法をしなければならない。
どんな状況においても自分以外を責めることなく『自分の何かが悪かったのだ』とする、ある種の内向的性格のアンダーヒルにとって、それほど追い詰められた状況であることが何よりも情けなかった。
ォオオオオン。
雄叫びを上げながら掴みかかってくる夜鬼の横っ面に【コヴロフ】を叩き込むと、ゴッと骨まで響く打撃音と共にライフを全損し、オプションとして頸椎骨折を賜った夜鬼は倒れ込んで動かなくなる。
【コヴロフ】は総重量十二キロ、振るうだけで十分凶器となりうる。驚くべきは狙撃銃を打撃使用した時にも武器の攻撃値を適用した強ダメージが発生することだったが。
残っているのは異形犬2頭に夜鬼十六匹。
感覚で二種のステータスを推測したアンダーヒルはより強い方、異形犬を努めて倒すようにしていたのだ。
ガンッ!!!
さらに回転させた【コヴロフ】を後続の異形犬の頭頂に振り下ろし、同時に足で跳ね上げた杖扱いの【黒朱鷺】をその気味の悪い生命体の頭に押し付け――バスンッ!
引き金を引く。
ズキンッ、とアンダーヒルの胸に電撃のような痛みが走る。未だに働き続け、死亡あるいは戦線離脱でのみ解放されるミキリの呪いスキル【受呪繋ぎ】の効果だ。
本来なら大した効果ではないスキルだが、自演の輪廻というルールの下では驚異的な効力を発揮する。
特に誰よりも“無力”を恐れるアンダーヒルにとっては。
異形犬のわずかに残ったライフゲージも追撃の回し蹴りで全損させつつ、その死骸を飛びかかってきたもう一頭の異形犬に器用にぶつけて空中で撃墜する。
(次……)
一秒足らず死角になっていた背後を振り返った瞬間、アンダーヒルはブチブチッと布地の裂ける音を聞いた。
(――!?)
アンダーヒルは半ば仰け反るように上体を大きく逸らし、鼻先数ミリを薙ぐ夜鬼の病的に痩せ細った腕を紙一重で躱し後ずさる。
しかしその交錯で顔の黒包帯は、力任せに剥ぎ取られた。さっきの音はそれだったのだ。
周囲を蠢く黒一色の夜鬼たち。これほどまでに一挙手一投足の所作の全てが気味の悪い集団を見るのはそうそうない経験だろう。
(名状しがたいとはよく言ったものですね……)
アンダーヒルの黒の双眸から、およそ人らしい感情という感情が消滅する。
斜め後ろから伸びてきた夜鬼の腕を気配だけを頼りに屈んで躱し、【コヴロフ】でその足元を素早く薙ぎ払う。
そしてローブを翻すと、振り返りざまにようやく起き上がった異形犬に【黒朱鷺】の銃口を向ける。
(この一匹さえ仕止めれば、機動性の低い夜鬼は撒ける……!)
しかし、アンダーヒルが引き金にかけた指に力を込めた瞬間、
「……!?」
異形犬の姿が煙のようにかき消えた。
(何処に……いえ、探している暇はありませんね……)
異形犬がいなくなり、前の空いた空間に跳ぶ。
ォオオッと雄叫びをあげた夜鬼の下顎を【コヴロフ】の打撃で跳ね上げ、同時に【コヴロフ】を手放し、【黒朱鷺】を上に放る。
そしてその夜鬼の腕を取り、
「哈ァッ!」
背負い投げで思いきり地面に叩きつける。
そしてそのまま前に倒れ込むように、肘をその夜鬼の首に押し当て――ゴキリ。
その首を思いきりへし折った。
アンダーヒルは続けて腕を突っ張り、その腕の力だけで飛び上がり、放った二丁の狙撃銃を空中でキャッチしつつ体勢を立て直す。
(慌ただしいですね……)
横薙ぎに振るわれた夜鬼の腕をしゃがんで躱す。
ガンッ!
その時――――首筋に衝撃が走った。
(……ッ)
アンダーヒルの視界が一瞬、暗転する。
目の前に、火花が瞬く。
(何が……ッ?)
アンダーヒルの身体から全ての力が抜けていく。
崩れ落ちる視界の中に映るのは、自分を見下ろす夜鬼ののっぺらぼうな顔だけだった。
(ここで……オチるワケには……ッ)
意識を意志だけで覚醒させる。
しかしその空白は、戦いの流れを変えるには十分すぎた。
ォオオオォオォオオオォオン!
いくつもの雄叫びが重なり、辺りに不気味な重唱が響き渡る。
その直後、伸びてきた腕がアンダーヒルの右肩を地面にガッと強く押し付ける。
「痛っ……」
アンダーヒルがその腕を撥ね除けようとした途端、別の個体が左の二の腕を強く掴んで動きを阻害する。
(まずい……!)
四肢を泥臭い地面に拘束された途端、アンダーヒルの頭は蓄積した情報の中から思い出し損ねた事実を浮上させた。
クトゥルーの世界観において、あらゆる邪神の元で使役される夜鬼は、その行動面で特異な性質がある。
その行動の本質は獲物を深淵に引きずり込むためであるのだが、少なくとも表面上そんな目的のためとは考えられない。
アンダーヒルは、せわしなく指を動かしながらおもむろに伸びてくる無数の黒い腕に戦慄を覚える。
夜鬼の特異な行為――やつらの攻撃方法は……。
「や、やめ……」
『くすぐり』である。




