(13)『どうしてあなたは』
「ドクター、ちょっといいかしら?」
魑魅魍魎がDO内部研究室で無数のウィンドウに向かってBROのプログラムチェックをしていると、背後から少し高めのイントネーションで、疑問色の声がかけられた。
「その声は儚ちゃんだねェ。ちょっとだけ待っててくれないかなァ。具体的には一分十三秒くらい」
そう返し、精操作用キーボード端末ウィンドウに指を走らせる。統計平均比較で他の人より長いその指は、実はあまりこういう作業に向いていない。
「七十一……七十……六十九……」
小声で残り秒数を数える声。声色と呼吸・振動数・カウントと実時間との誤差から計った心拍数から、少なくとも緊張時の生理的特徴は感じられない。
大した用事ではないのだろうと推測できるのだが、実は『破綻した才媛』[儚]に関しては、大したことのない用事こそむしろ周囲に多大な影響がある。その影響には、当然被害も含まれる。
「三……二……」
作業にキリをつけ、保存処理を待つ。
「一……」
ウィンドウに映し出された『保存完了』のメッセージを見て、
「ゼロ」
回転椅子をくるっと回して身体ごと後ろに向き直った。
現実で会った時には思わず挙動不審を自覚し、同席していたスペルビアとクロノスに冷たい視線を向けられたほどの相変わらずの美貌だが、今は見慣れて、むしろ何の要素も持たない彼女に惹かれることはない。引かれることはあっても……。
「ドクター、クーデレの可愛らしい小柄な女の子の妄想をしているところ悪いのだけれど、ちょっといいかしら?」
「ハイハイ、待たせたねェ……ってそこまでわかるのかい!?」
「顔に出てるわよ?」
「そこまで複雑なのに読み取りやすい顔をした覚えはないんだけどねェ!」
ため息混じりに肩を落として次の言葉を待っていると、儚はおもむろに何かを取り出して目の前に掲げてきた。
「……これは?」
思わず聞き返す。
『自称する天才』二ノ宮時雨の頭脳を以てしても、目の前のソレに納得のいく説明の予測がつかない。
“果たす”
毛筆でそう書かれた紙だった。
左下には何故か“ドクターより”と書かれている。
「果たし状らしいの。火狩が残していったメモによると」
「果たし状!? それでそのメモは?」
「これ」
渡された二つ折りの紙を開いてみると、
“ハカナちゃんへ”
“ドクターから決闘の申し込み。果たし状なんだって。”
“ヒカリより”
「僕は何も知らないからね!?」
火狩ちゃんは僕に何かただならない恨みでもあるのかなァ!
「火狩のイタズラにも困ったものね」
「んーまあうちのメンバーの中では一番特例だからねェ」
とは言え、ミキリちゃんやルビアちゃんみたいに年齢不相応さも一枚噛んで、火狩の子供っぽさが浮き彫りになっているところもあるのだけどネ。
「それじゃあ決闘しましょうか」
「なんで拾い直すかなァ!? 僕の状況把握が正しければ、火狩ちゃんのイタズラだってわかったって理解してたんだけどねェ!」
「頭脳労働だけじゃ身体にも悪いでしょう? 根を詰めすぎるのはよくないわ」
「心配そうに剣を抜くってシュール過ぎるよハカナちゃん! だいたい僕がどれだけ弱いかわかってるでしょ!?」
「安心して、ちゃんと後処――治療はしてあげるわよ」
「今、後処理って言いかけたよねェ!? それに普通は治療とかじゃなくて手加減じゃないかなァ!!!」
「あなたの優秀さは私が知ってるわよ。手加減なんて……それじゃあ私があなたを格下に見ているみたいじゃない。あまり自分を卑下しないで、ドクター。あなたは十分強いわ。胸を張って。それを誇るべきよ」
僕の右手を取り、両手で包み込むように引き寄せる儚。まるで子供を諭すような優しげな目つきでまっすぐ目を合わせてき――。
「いい台詞に後半誤魔化されかけたけれども、僕のレベルは1だよ、1! 他でもないハカナちゃんが忘れてどうするの!?」
何を隠そう、自演の輪廻下で僕のレベルを1まで引き下げたのは目の前で、子供のようにきょとんと似合わない表情を浮かべている儚本人と『電子仕掛けの永久乙女』なのだ。
理由は僕の名誉にも関わる問題だから、念のため伏せるけれどもね。
「あれはドクターがスペルビアに度を超したセクハラをするからでしょう?」
言っちゃった!?
「何度も言うけどアレはセクハラじゃなくて僕なりの愛情表現なんだよぅ……。それに止めたのは、勝手に勘違いしたハカナちゃんとイヴちゃんでしょォ? ルビアちゃんも嫌がってはいなかっゴメンナサイッ!?」
当時のルビアちゃんの表情で思い出し萌えしていると、脇の下、二の腕と胴の間を殺気の込められた聖剣の刃が背後の壁まで貫通した……!
「ドクター?」
ギリギリギリッ。
「ぁ痛ァッ!? いだ、いだだだだだっ!」
さっきの然り気無さ過ぎるやりとりで人質にされていた右手が、まるで万力に挟まれたような激痛に苛まれる。
ちょっと待って!?
さっきは全然見えなかったけども、両手が使えなかったのにどうやって【虚構と偶像の聖剣】で刺突ができたの!? しかも僕みたいなシステムのチート技もなしに!
「はぁ……。どうしてあなたはいつもそうなのかしらね。そういうことばかりしているのだから、純粋に呆れるばかりだった私ですら諦めすら抱いてしまうのも無理はないわね……」
ギリギリギリッ。
「言ってることとやってることが噛み合ってないんだけどねェ!」
コキンッ!
「ぅぎぃっ!」
手首から先が痺れてきて、感覚があるのかないのかもわからなくなってきた。
「はぁ……」
二度目のため息をついた儚は、仕方ないとばかりにもったいつけてパッと手を放した。
すぐさま手を奪うが如く身体ごと引き、隙を見て三メートル以上距離をとる。
「そう言えば、そのスペルビアを最近見ないのだけれど――彼女に何をしたの?」
「既に質問からしておかしくないかい!? それじゃあ僕が何かしたみたいな聞き方にもとれるじゃないか!」
「そういう意味にしか聞こえないんだが」
割り込んで入ってきた声に振り向くと、後ろのドアのところにクロノスが立っていた。いつのまにか帰ってきていて、今の騒動を怪しんできたんだろう。
「おかえりなさい、クロノス。シイナと刹那は元気だった?」
聖剣を鞘に納めた儚は、笑顔ですたすたとクロノスに歩み寄る。
「俺に聞かないでくれ。火狩に勝てるぐらいには強くなっていそうだが。それより何の話なんだ?」
「スペルビアを見なかった?」
「スペルビア? いや、見てないが。ああ、そう言えば寝起きにドクターに胸を触られたとこぼしていたな。それからは確かに姿を見ていない」
「ちょっ、クロちゃん!?」
なんでそれを知って――と続けようとした時、まるで無機物を見るような2人の視線が胸に突き刺さった。
「あはァ♪ 今スゴく嫌な予感がするんだけどさァ♪」
「ドクターの予感が当たるなんて珍しいわね。雨でも降るんじゃないかしら」
できれば『血の雨』だけは降って欲しくないなァ……。
儚にしては珍しく、笑みすら浮かべず聖剣と魔剣の両方を鞘から引き抜いた。




