(12)『また会おう』
視覚を起点に対象者の触覚・聴覚を偽る魔眼スキル【思考抱欺】の発現に気づいたのは一週間以上も前のことだった。
ユニークスキルの発現条件が非常に多彩なFOにおいて、いつのまにかスキルが増えていること自体は珍しくない。
しかし問題なのは、【思考抱欺】の発現条件が『スキル・魔法不使用での“世迷い魔女”単独討伐』だったことだ。当然のごとく、ミキリがスキルを失してから、俺が世迷い魔女なるモンスターを倒した覚えはない。
発現条件を満たしていないのに、スキルが発現するわけがない。
それがDOでも変わらないとしたら、アバター変化・【0】と【魔犬召喚術式】のスキル詳細ウィンドウを埋め尽くす不気味な『?』に続いて説明不能な現象がまた起こったというわけだ。
実際に引っ掛かった経験のある身としては相手取った時にどれだけ恐ろしいスキルかはわかっている。その分、最初こそ不気味がりながらも喜んでみたものの、いざ(リコやレナを実験台にして)試してみると、使い勝手が悪いどころか不可能の意味で使えないことがわかった。
考えてもみろ。
本当の超能力ならご都合的な仕組みで何とかなるのだろうが、あくまでもこれはスキルの問題だ。見せる幻覚をはっきりとイメージしなければならない。
同時に二つの視界を見て、場合によっては臨機応変に動ける人間なんてそうそう存在するはずがない。一時的にミキリに師事しようかとも思ったぐらいだ。
(今回は火事場の何とやらで成功したらしいが……)
火狩は、瞬きすらせず呆然と佇む。
完全に静止し、電気のようなエフェクトが左目で瞬いている。
かかったのだろう、【思考抱欺】に。そして見て、会っているのだ。とっさにはっきりとイメージしてしまった――――現実世界の俺の部屋を。
仮とはいえ、主人の異常に気づいたのだろう。天回す機械時計は――ギリギリギリッ!
ランドルト環ライクなアームで、締め上げてくる。
だが、その一瞬。火狩を抗拒不能にすればそれでよかった。
「【0】」
残った魔力を全損し――――
【精霊召喚式】【思考抱欺】【阻塞する諸悪の尊厳】【地獄目繰り】【五分誤武】【妖刀・喰蛹】……、この場で適用され、この場を支配していた全てのスキルの効果が、存在が――――無効になる。
フッ、とアームが消滅し、俺が地面に降り立つと同時に、火狩はその場に崩折れてしまう。幻の部屋を見せた以外何をしたわけでもないのに、様子がおかしいのは何故だ……?
俺がその間に足元の【剣】を拾い上げ、火狩の手が届かない位置に下がって彼女に突きつけると、相対していた天鎧白虎が消滅した状況を呑み込めていないらしい刹那が説明要求顔で歩み寄ってくる。
「なんでたった十分で戦況ひっくり返ってんのよ、気持ち悪っ」
第一声から無茶苦茶な罵倒が出てくる辺りなんとも刹那さんである。
ちなみに【思考抱欺】のことは、誰にも話していなかった。俺の言うことなら何だかんだ大抵きいてくれるリコとレナとテルには口止めしてあるからまずバレていないだろう。
「少しは褒めろよ……」
「五分遅い」
無茶苦茶だ。
成功するかどうかもわからないスキルに重ねて、火狩の【零】がとっさに出ないようにする状況を作らなきゃいけないんだぞ。しかもそれでも確実に止められる訳じゃない。そもそも【思考抱欺】は最後の悪あがき程度に考えていたのだ。
刹那がそんな心中を知っているわけでもなければ、悟ってくれるわけもないのだが。
「後はコイツを片付けるだけね」
一件落着とばかりにそう言って【フェンリルファング・ダガー】を握り締める刹那。口元は笑みこそ浮かべているが、【精霊召喚式】を奪われた怒りがあるのか目が笑っていない。
(悪いけどお前は危険すぎる……)
心の中で火狩に謝りつつ、火狩の左胸に向けた【剣】の引き金を――
「だから言っただろう、火狩」
ピクッと火狩の肩が跳ねた。
バッ! と俺も火狩から顔を上げ、突然聞こえてきた声に周囲を見回す。
(ッ……この声……!?)
「やあ、お嬢ちゃん。君たちに会うのはこれで二度目、だったかな?」
コートのような黒衣に身を包み、足まで黒の革靴を履いた長身の男がいつのまにかそこに立っていた。
「クロノス……くん……」
顔を上げた火狩がポツリと呟く。
「自分勝手に単独行動をするなと言ったろう。人手が足りてない今、俺しか迎えに来れないことはわかっているはずだ。あまり手を焼かせないでくれ」
「……でも」
「言い訳はいい。余計なことをしゃべる必要はないから大人しくしていろ」
あの火狩が、完全に押されている。
クロノスは俺たちが何でもないかのように、無造作に歩み寄ってくる。
(チッ……!)
仕方なく火狩の制止を刹那に任せ、クロノスに照準を向ける。
「そこから動くな」
クロノスはピタリと足を止め、外人のような彫りの深い目を静かに向けてくる。
「ほう……【剣】か。いいモノだ。大切に使うといい」
そんなことを言って再び火狩に向かって一歩進め――バシュッ!
無数の刃がクロノスを襲う。
「狙いが甘いな、お嬢ちゃん」
ゾクンッ、と戦慄が走った。
(後ろに……いるッ……!?)
目の前にいたはずのクロノスの姿は、いつのまにか消えていた。
「俺を過剰に警戒しすぎだ。制止させるならコンマ一秒以内に弾が到達するその辺りまで引き付けることだな」
肩越しに、立ち止まった場所より手前の位置を指差す長袖に黒の革手袋の腕が伸びてくる。身体が動かない。
今何が起こったのかを処理しようとする脳が、フリーズしてしまったみたいに。
その時、その手が俺の口を塞ぐように押し付けられる。しかし声を出せないような力ずくではなく、あくまで俺の意思に任せると意思表示しているかのような力加減だ。
後頭部に少し固い、おそらくコートの生地の感触が伝わる。
「火狩は回収させてもらう。邪魔だけはしないでくれ。こちらにも事情があるんでね。君たちの攻略を阻害するつもりはない」
耳元で、低く囁いてくるクロノスに対し、俺は依然として動けない。
「悪いが今回の件、俺たちに賠償できる用意はない。二人分の【古代万能薬】で大目に見てくれ」
と空いている左手に小ビンを二つ握らせてくる。
「さあ火狩、立て」
火狩は無言で立ち上がると、泥で汚れたプロテクターを軽く叩いて、俺を睨み付けてくる。
「火狩」
たしなめるように言ったクロノスは、俺の耳元で、
「また会おう」
最後にそう囁いて、手を、離した。
直後、我に返って振り返った時には――――既に誰もいなかった。




