(6)『そんなのありえないッ』
「はぁ……はぁ……」
喉が、熱い。
かなり無理のある駆動で避け続けたせいか、わずかな動きで身体が軋む。
【フェンリルファング・ダガー】を握っているつもりなのに、極度の緊張でその感覚すら失われつつある。
最初の不意打ちで傷つけられた右の瞼からは血が流れ、霞んでよく見えない。
(なんなの……コイツっ!?)
このフィールドに来てからのことだ。
かろうじて人型の全身黒の悪魔のようなモンスター『夜鬼』に襲われて、ライフがギリギリまで削られていたプレイヤーを助けたのだが、その直後、巨大なモンスターの出現と共に、態度が――激変した。
「きゃはは♪ そんな弱さでトップギルドのエースなの~? 私様にはその辺のザコと同じに見えるけど~」
変に間延びした鼻につく声。天性の、人をイライラさせるのに適した声だ。
少なくとも今まで現実やFOで会ったこのテの声を好んで気取り、人を見下すような連中は、無意識の内に自分を誇張しようとしているだけで、能力に実が伴わない奴ばかりだった。
でも目の前にいるコイツは違った。
両手の黒い熊爪付き手甲。
身体の各部に装着された紅色塗装のプロテクターは、身体駆動を極力どころか全く阻害しないように薄型で超軽量の硬質プラスチックのようだった。
しかしそんな装備は強そうには見えない。FOでは普通の姿だ。普通すぎる。
しかしそんな印象とは裏腹に、まるで勝利が、圧倒が、超越が、あらゆる上位性を享受したかのような存在感がある。全てを見下せるような不条理が先天的に備わっているような――絶対性が。
「お前……≪道化の王冠≫ね?」
「ピーィンポーォン~♪ 大正解~。でもでも景品は出ないからあしからず~」
ケタケタとおかしそうに、もとい愉快そうに笑う緑髪の少女は、サイドテールをピッと払って再び私に目を向けてくる。
「≪道化の王冠≫所属、『トゥルース』の火狩~。五分くらいの短いお付き合いになるだろ~けど……よろしくね~刹那お姉ちゃん♪」
聞いたこともない名前。
これだけの長い間FOで過ごしてきて、こんなに強いヤツの名を聞いた覚えすらないなんて、ありえない。
「トゥルース……って何……?」
「真の第一位、隠れた頂点、儚ちゃんに唯一恒常的に勝てる本物の最強、それが私様の正体なの~えへへ~」
ゾクリッ――。
戦慄が、背骨の辺りを駆け抜けた。
儚を、超える……!?
「ありえないっ」
「弱者の偏見で貶めないで~。それが普通にありうるのね~、それが私様、なのだから~」
「ハカナに勝てるヤツなんてッ――」
ハッとして、口ごもる。
ダメだ、私。
その先を言っちゃ、ダメだ。
それを言ってしまえば、今の私の、皆のッ、全てを否定することになる。
唇を、噛み締めるしかなかった――。
「あ、そうそう~。訊きたいことがあったの~。ミキリちゃんは元気~? ルビアちゃんはちゃんと働いてる~? 物陰の人影とアプリコットは元気にしてるの~?」
ピクッ。
顔を上げる。
「物陰の人影と……アプリコット……!? どういう意味……? 何かあるなら吐きなさい!」
「そういう台詞は勝者だけが言えることだから~。私様は非礼に答えない~」
「あぁ、そう……なら……アンタが負けたら吐いて貰うわよッ!!!」
「うんうん♪ それならお姉ちゃんには血ィ吐いて死んでもらうから~」
左腿の帯剣帯から【サバイバル・クッカー】を引き抜き、手の内でくるっと回し、逆手に持ちかえる。
対峙する火狩は両手をスッと前に構え、同時に戦闘休止で収納されていた鋭く黒い爪が指先のプロテクターからせりだしてくる。
互いに戦闘再開の準備が整った。
しかし、火狩は動かない。まったく隙のない構えを取ったまま、呼吸音すら聞こえてくるほど静かになる。
(ちっ……こっちだって、負けっぱなしじゃいられないのよ!)
右目がまともに使えない今、相手の左側を取れるよう地面を蹴って陣取る。
「【精霊召喚式】『ドレッドホール・ノームワーム』!」
驚いたような顔をした火狩の足元がバキバキと地響きをあげて割れた次の瞬間――ドオオォォンッ!!!
岩盤を割り砕いたノームワームが火狩の身体を上方へ撥ね飛ばした。
「なっ、なにッ? ボス……?」
空中で一回転した火狩の顔にあらゆる感情が入り交じった表情が表れる。
驚きだけでなく巨大なノームワームへの恐れや不定要素への苛立ち、手応えを感じた喜びまでもが含まれた複雑な表情は顔立ちこそ幼いものの――――儚に似ていた。
「大地喰らい!」
ミシミシと空気が軋み、空中の火狩に一撃必殺技『大地喰らい』の爆風が迫る。
(殺った……!?)
そう思った瞬間、
――愚か者――
と、聞こえた気がした……。
そして次の瞬間――ゴォッ!
(なっ……!)
上から下に押し付けるような激しい暴風に襲われた。恐ろしい風圧に思わず地面に両手両膝をついてしまう。
(なんっ……でッ……!?)
身体中の露出した肌という肌を鎌鼬のような鋭い痛みが這い回り、ガリガリとライフが削られていくのを感じる。
大地喰らいを受けた時の痛みだった。
その時、首筋が突然引っ張られ、暴風が止んだ。いや、激しい風音は続いている。私がその中心から引きずり出されたのだ。
地面に下ろされ、おそるおそる目を開けると――犬……?
違う。その化け物には頭が二つあった。
黒色の二頭犬は、シイナの操る地獄の猟犬だった。
スタンッ!
地撲音に向き直ると、何故か同様に傷だらけになった火狩が、着地時に刺さったらしい爪を地面から引き抜きながら、こっちを睨み付けてきた。
「まさかワンキルスキルがあるなんて知らなかった~」
さっきまでとまったく同じ喋り方に聞こえるが、腹部が痛むのか少し音が低い。
「アンタこそ、何をしたの……?」
岩盤を再び割り砕きながら地中に消えていくノームワームを横目に、足の痛みに耐えつつ立ち上がる。
「私様の戦闘はハカナちゃんのと違ってUSを使える基本的な戦法。今や私様はハカナちゃんを抜いて、ユニークスキルの最多保持者。きゃはは♪ 【五分誤武】は敵から受けるダメージを半分にして相手にも返すスキル~、きゃはー、無っ敵いぃぃ♪」
「……!?」
思わず見開いてしまった右目に激痛が走り、手を添えて押さえる。
「そんなの、絶対にありえなッ、ゴホッゲホッ……」
嗄れかけた喉から声を絞り出し、思わず咳き込む。
それはつまり全ダメージを均等に配分していくということだ。仮に火狩から攻撃しなくても、確実にライフの高い方が勝ってしまう、バランス崩壊どころではない。
強者が弱者を確実に潰すスキルだ。
「お前……不正操者ね!」
「あんな連中と一緒にされるのは心外な侵害だよ、刹那お姉ちゃん~。私様は何もズルいことをしなかった~。故にきゃはっ♪ 【完全懲悪の結末】!」
ドクンッ。
(え……?)
残っていた魔力が一瞬で消滅し、極短時間の大量使用で立ちくらみに似た症状が起きる。背中からべちゃりとぬかるんだ地面に倒れ込むと、その視界に――。
ドレッドホール・ノームワーム。
神託を下す戦巫女。
魂を導く戦乙女。
鳳凰神の美しき従者。
クラス・イクイッパー。
激情の雷犬。
天回す機械時計。
天鎧白虎。
普段使っている召喚精霊群が立ち並んでいた。
「なんでアンタが……」
上半身を起こす。
【完全懲悪の結末】は、相手が最後に使ったスキルを暴走発動させるユニークスキル。
「それは……ハカナのスキルよッ!」
「それを奪い取った~♪」
「そんなのありえないッ!」
「そんなのがありうる~、きゃは♪ そのスキル~【精霊召喚式】だったっけ?」
火狩は年下とは思えないほど悪い笑みを浮かべて、
「頂戴」




