(5)『異形の邪神界域』
「あり得ねえでしょう、何ですかこの首輪プレイは。シイナはそんなにボクと主従のSMプレイがしたかったんですかね? なんならワンとかニャーとか言った方がいいんですか、ご主人様ー。っつーかアレですか。これからは『美少女ヒロイン』枠じゃなくて『牝犬』枠で過ごせと」
巨塔第三百五十三層『異形の邪神界域』入り口付近――。
テンションが最悪まで下がりきったアプリコットの首輪に繋がった鎖を引いて歩きながら、わけのわからない棒読みの独り言を聞き流していた。こうでもしないと逃げようとするからだ。なぜ鎖や首輪を切って逃げようとしないのかまでは謎だが。
どうでもいいけどお前、美少女ヒロイン枠だったの? 狂気の変人枠じゃなく?
などと思っていたのがバレたのか、何となく視線を感じて振り返ると、引きずられながらもあぐらを崩すまいと無駄に頑張っていたらしいアプリコットが、唇を尖らせて肩越しにジト目を向けてきた。
「何か言いたげな顔ですね、シイナ」
そりゃお前の方だ。
「らしくもなく、まともな反応で怒ってるのが新鮮だからな。首輪と鎖とはいえ」
「か弱い女の子であるこのボクごときが歪んだ情欲から『俺のモノになれ』なんつー支配欲暴走させてるシイナにこんなVIP待遇されてナニしろっつーんですかまったく。怒るぐらいしかないでしょう」
「色々ツッコミを入れたいところだけど面倒だから総じて前言撤回って言っとく」
コイツにまともな要素なんてない。
「あはは。兄ちゃんとアプリコットさん、仲良しだ。男女の仲ってヤツ?」
「せっかく人が流したのを拾い直すな、詩音。こっちは迷惑してるんだからな」
前を歩く椎乃が余計な合いの手を入れてくる。アプリコットはいちいち取り合わないのが一番だってのに。
「シイナとボクが? アハハ、それはないですよ、どんだけアピールしてもスルーされてるんですから、完全脈ナシです」
そう言ったアプリコットは、俺の背中に飛び付いてきた。
既に泥だらけになった手足でしがみついてくるからぬるぬるざらざらと気持ち悪い。
「ッ……!? ア、アピールとかっ……お前のはただ俺をからかいたいだけだろっ」
背中の上部から首にかけての範囲に押し当てられる柔らかい感触から逃れるようにアプリコットを外そうともがく。しかしガッチリと首をホールドされ、もがけばもがくほど息が苦しくなるだけだった。
「ん~、じゃあまあそういうことにしといてください♪ っつーかシイナ、そんなに慌ててどうかしたんですか?」
肩越しに頭を突き出し、にまーっと猫のような笑みを浮かべて至近距離から横目で見つめてくるアプリコット。
これ、確信犯だろっ。
ネアちゃんなんか顔真っ赤にして、目ェ逸らしてるじゃねえか。
「くっ……む、胸押し付けるのやめろっつの、このスキンシップ魔……!」
「そんな誰彼構わず触りまくる変態みたいな言い方しないでくださいよ。触ると決めた人にしか触りませんし触らせません」
「触ると決めるな」
全力で鎖を引っ張りつつ振り落とすと、アプリコットはぬかるんだ地面にどしゃっと顔から落ちた。ざまあみろ。
リコとテル(サジテール)に鎖とアプリコットの相手を丸投げすると、改めてフィールドを見回す。
無数の絵の具を塗りたくったような気味の悪い地面に、その色を反映したような空。そこかしこに大小様々な岩塊・岩壁が立ち並んでいる。しかしなんとなくだが、そこに生き物の気配はない気がした。何かが蠢くような、そんな感覚があるのだが、そこに――生気が感じられない。
「シイナ」
少し緊張したような声で隣のスペルビアがそう口にする。
「どうした」
と、スペルビアの広げているマップウィンドウを見てぎょっとした。
かなり離れた地点で点滅する光点が九つ。刹那たちだろう。しかし、その動きは統制がなくなり、散り散りに――バラバラに移動していたのだ。
この広いが見通しの悪いフィールド、組分けするなら効率を捨てて安全重視。四・五で分かれるのが定石のはずだ。
しかし、実際の分かれ方は、単独行が五人、残り四人が二人組二組となっている。
これは、組分けする余裕もなく、逃げた状況だ……!
「一人になったのはッ!?」
「刹那ちゃん・アンダーヒル・アルト・スリーカーズ。いちごタルトとシン、リュウとミストルティンで移動中」
一人ずつしか場所確認はできないのに、意外な手際の良さで質問以上のことを答えてくれるスペルビア。
「戦力半減してる中で無茶すんなよ、ちくしょう……。今一番危ないのは刹那か……。救援行くぞ。テルとアプリコットと椎乃、お前らはアルトとスリーカーズのトコに行け。リコとネアちゃんとスペルビアは途中まで俺と一緒だッ」
すぐに展開され、駆け出したサジテールの騎馬に椎乃が驚くべき跳躍力で飛び乗り、アプリコットが白銀色の翼を大きく広げてその後を追い掛け離れていく。
「俺たちも行くぞっ」
「ノン、私は一人で行く。この中なら、私が一番速い」
いつのまにか目が全開きに切り替わっているスペルビアは背中の巨鎚を背負い直すと、
「雷霆精能力【閃脚万雷】」
バチバチッ!
スペルビアの身体が雷を纏い、希薄になっていく……。色彩全体が透き通るような黄白色に変化し、まるでノイズが走るように、スペルビアの輪郭が――ブレた。
そして後にはパチパチと蒼白い一筋の空中放電が残される。まるで、通った跡をなぞっているように、遠くの岩陰までずっと。
(マトモに、見えなかった……!?)
上位種族にはあんなチート技もあるのか。現種の人間種や元々の獣人族には上位種がないからな……。
などと今さら選択種族に後悔しつつ、
「【魔犬召喚術式】モード『レナ=セイリオス』、モード『激情の雷犬』三頭!」
こちらも雷、やはり昔から速さの象徴といえば雷や風なのか。
「しかしてなぜ我を呼んだのか?」
出てくるなりくいっと小首を傾げるレナを強引に雷犬に乗らせ、イマイチ単独騎乗ができないネアちゃんが乗った雷犬の後ろに飛び乗る。
「お願いします、シイナさんッ!」
いつになく気合いが入ったネアちゃんの声が結果的に号令となり、三頭の雷犬が地面を蹴って駆け出した。
(皆は……?)
前後に揺さぶられながらマップウィンドウを開き、雷犬に方向を指示しつつ皆の状況を確認する。
ひとつだけありえない速さで動き回っている光点はスペルビアだろう。リュウ・ミストルティンと一度だけ接触したが、すぐに方向を変え、いちごタルト・シンに向かって動き始めている。
さらにトドロキさん・アルトが合流できたようで、合理的に撤退ルートでアプリコットたちの方に向かっている。動きを見る限り何かに追われているのだろう。
アンダーヒルは姿と音を消せる。
まずは刹那だ。あと三分もあれば、激情の雷犬の足で駆け抜けられる地点だ。
残り一人の場所も刹那に近づいている。
(……ちょっと待てッ)
今、刹那に近づいてきている光点。
この九人目は――誰だ?
先行したのは刹那・リュウ・シン・トドロキさん・アンダーヒル・アルト・ミストルティン・いちごタルトの八人のはずだ。
全員の場所はそれぞれ確認できている。
「一人……増えて……!? いったい誰が……。……【魔犬召喚術式】、モード『地獄の猟犬』五匹」
念のため、雷犬よりも数段速いヘルハウンドを刹那の元に向かわせる。
あくまでも保険だが、必要なければ刹那が五匹を制止させればいい。妖魔犬は馬鹿じゃない。敵味方の分別はついている。
「しかしシイナ……あの戦力を短時間で分散させたあの地点。あそこには何がいると言うのだ……?」
リコの不安げな表情を映し出すように、不気味な空の色がさらに暗鬱なモノへと変化していた。




