(4)『ちゃんと首輪付けといて』
少し間を置いてから行った方が刹那に怪しまれることもないだろう、と考えて5分ほど隠れて時間を潰してロビーに入ると、見事においてけぼりをくらっていた。
――のは追いかければいいのだが、俺を待つ名目で残っていたらしい人選に問題があった。誰だコイツら選んだの。
一人目、眠りの殿堂スペルビア。現在すやすやと幸せそうな顔で爆睡中。
二人目、怠けの殿堂アプリコット。現在、毛布にくるまりミノリコットモード。顔は見えないがおそらく熟睡中。
三人目、浅薄の殿堂詩音こと椎乃。現在一人掛けソファでうとうと。おそらくスペルビアとアプリコットが寝始めたため、その場の雰囲気に流されて眠くなったと推察。
四人目、良い子の殿堂ネアちゃん。現在長ソファに座るその両膝をスペルビアとアプリコットに枕扱いされ、起こすに起こせず泣きそうな顔でこっちに視線で助けを求めてくる。普通に俺より頭が良いのに、コイツらみたいなイレギュラーの近くでは同い年とは思えないほど慌てっぷりが子供だ。
「蹴り落とせばよかったのに」
「できないですっ」
仕方なくスペルビアとアプリコットを起こさないように、まずはネアちゃんを救出することにした。正面から救出するのは無理そうだったので、必然的に背中側に回って引き上げることになる。
「お、お願いしますっ」
何故かいつも以上にテンパっているネアちゃんの脇に手を――。
「ひゃっ!」
突然悲鳴をあげられて心臓が跳ね、反射的に手を引っ込めた。
「あ、すっ、すみません。ちょっとくすぐったかっただけでっ、それだけですからっ。別に恥ずかしいとかじゃなくて、嬉しいとかでもなくてそれがその……!」
「ネアちゃん、落ち着いて」
わたわたと両手を忙しなく振って、聞いてよかったのか反応に困ることまで色々口走っているネアちゃんにそう言うと、口を噤んでこくこくと激しく首を縦に振ってきた。
「上げるよ、ネアちゃん」
「……まだ……」
「えっ?」
「あ、いえっ、どうぞっ」
ネアちゃんの脇に再び手を差し入れ、ソファのラインに出来るだけ沿うよう後ろに引きつつ持ち上げる。
体勢が悪いのか少し重く感じる。
腕力パラメータもそれなりにあるので助かった。別にネアちゃんが重いということはない。
「ありがとうございますっ」
「いや、こういう言い方もどうかと思うけど、俺と水橋さんの仲だし律儀に頭下げなくてもいいって」
誰が聞いているわけでもなし、あえて本名の方でそう言うと、ネアちゃんはパッと頭を上げた。
「ネアちゃんは詩音を起こしてくれ。アイツは普通に起こしても安全だから」
「シイナさん、大丈夫ですか?」
ここでこの質問が出る辺り、少しは変人にも慣れてきたのか。
「ってもネアちゃんにやらせるわけにもいかないだろ。危ないし」
「は、はいっ……」
椎乃を起こしに出向くネアちゃんを見送り、まずスペルビアに向き直る。
「おい、スペルビア。起きろ」
そばにしゃがみこんで声かけしつつ、肩を揺すると、
「にゃあ……」
などと鳴いて顔をぐにぐにとグルーミングし始める。猫か。
かと思うと、突然半開きまで目を開けて、
「にゃお……」
やって、とばかりに目を瞬かせて、こっちを見上げてくる。
(……俺にグルーミングをやれと……?)
仕方なくそのもちもちとした柔らかい頬の辺りから目元までを丸めた手でさすってやると、いちいち『うにゃあ』『みぃ』『にゃう』などと完全猫モードの愛らしい声を漏らしてくる。ちょっと楽しい。
「何やってんですか、シイナ」
ビクッ!
アプリコットが起きて……!?
「ふにゃうっ!?」
驚きすぎて、スペルビアの頬を無意識の内につまんでしまっていた。パッと手を放すが、既にその部分が赤くなっている。
「わ、悪い……、スペルビア」
「ぐっもーにん、シイナ」
気にしないのか。事故だってわかってるからかもしれない。スペルビアもすぐに寝たり起きたりする以外の感覚は案外マトモな奴だからな。隣で『好感度キタキター! スペルビア、Mっ娘やっふー』と寝起きの廃テンションで意味不明のことをほざいているアプリコットとは大違いだ。
なんて考えながらミノから飛び出したアプリコットの顔に手を伸ばし、無言でその両頬をつまんで引っ張ってやる。
「ちょっ痛っ。ボクが手も足も出ないからってそれはちょっと――イタ気持ちいいかもですねっ、目覚めちゃいますよ?」
変人の上に変態が重なるのか……。
それにしてもなんでコイツ両頬引っ張ってるのにマトモな発音ができるんだよ。
アプリコットを解放すると、真っ赤になった頬をさすりながら、ミノから這い出してくる。器用なヤツめ。
「皆は塔の攻略に行ったって解釈でいいんだよな?」
各々準備を揃えているのを眺めつつ、一番マトモなネアちゃんにそう訊ねると、
「はい、全員です。あ、あといちごタルトさんも来てましたよ」
……行くのやめようかな。
「リコとサジテールは? ケル――レナはさっき【群影刀】を外しちゃったから戻されてると思うけど」
リコとサジテールは所有者と同じ領域内でしか行動できないから、ギルド内にいるはずだ。
「教官とテル姉ならそっちで模擬戦してるよ~」
最後に薄い水色のウィンドブレーカーを羽織って準備を終えた椎乃がエントランスホールの方を指差してそう言った。
テル姉=サジテールらしいな。これから俺もテルで呼ぶか。
普段通りの生足露出チャイニーズスタイルのスペルビアに対して、アプリコットは新兵訓練明けの女教官スタイル、朝着てきた方に着替えている。
「シイナ、あんまりジロジロ見ないで下さいよ。興奮しちゃうじゃないですか♪」
元から変態だったらしい。
両手を頬に添えて、くねくねと身体を揺らしている。今どきまったく見ることのなくなった照れる所作のひとつだ。
どことなく裏がありそうで気味の悪いアプリコットから顔ごと目を逸らすと、
「うぉっ!」
移った先に音も気配もなく至近距離まで近づいて俺の顔を見上げているスペルビアがいた。思わず飛び退いてしまったが、スペルビアの少しムッとしたような顔に悪いことをしたような気分になった。
「ど、どうかしたのか、スペルビア」
「刹那ちゃんの伝言、聞く?」
「伝言?」
とりあえず頷いてみると、スペルビアもコクリと頷き、小さな口を開けて一度深く呼吸する。そしてコホンと咳払いして――
「シイナが起きたら、『早く来なさい』って伝えといて」
刹那……!?
スペルビアから刹那そのものの声が出た。モノマネとかそんなレベルじゃない。少なくとも俺には違いがわからないぐらい完璧に同じ声だった。
「変声術を披露するのはいいですかスペルビア、ぶっちゃけ伝えるべきは『早く来なさい』の部分だけですからね」
また余計に水を差すアプリコットを完全スルーしたスペルビアはさらに刹那の声で続ける。
「もうアプリコットを逃がすんじゃないわよ。ちゃんと首輪付けといて」
ジャラ、と太い鎖と厚い革製の首輪が、スペルビアの袖から落ちた。
「へ?」
アプリコットの間抜け声は、珍しい。




