(3)『これでまた頑張れる』
(どうしてこうなった……)
記憶を辿ると、『魔王』椎乃によって武装解除(強制脱衣)の上、最後の砦すら渡されず浴室に放り込まれ、なんとか椎乃を倒した時にその余波に巻き込まれて気を失ってしまった、という別に壮大でもなく、特殊ではあるがまだ日常と割り切れなくもないストーリーを思い出す。
そして今、どうやら何処かのベッドに寝かされているようなのだが……。
だがしかし、そのストーリーに刹那が絡んでくる展開経緯に心当たりはない。
いや、刹那がここまで運んでくれたと考えるまでは最悪譲歩してもいい。運よく機嫌がいいところにエンカウントしたのなら、いるかもしれない俺の運命を司る神に最大限の感謝をしようじゃないか。
四六時中ことあるごとに再三再四、刹那の怒りを何故か買ってしまうぐらい、彼女からの嫌われ様に定評(あくまで客観視したらそうだろうな、という自己評価だが)のある俺だが、今の刹那の表情は今までに見たことがない故に普通に怒ってる時より怖い。
今のところ、俺が既に目覚めていることは気づかれていないようだが、最初に薄目を開けた瞬間植え付けられた本能的な危機感は察して欲しい。
そろそろ今の状況をもう一度整理しておかないと混乱がピークに達しそうだな。そうなれば気づかれるのは必至だ。
・俺はベッドに横たわったまま、死んだフリもとい寝たフリを続けている。
普段の女の子設定による演技もそうだが、俺の前世は役者か詐欺師のどちらかだ。
・気配が他に感じられないため、アンダーヒルがいなければ部屋の中には俺と刹那の二人だけだ。
目を閉じると、音に集中できるから人の気配に敏感になるってのは本当みたいだな。
・件の刹那は寝ている俺の頬を指でつつきながら、幸せそうな顔をしている。
『どつく』ではなく、まるで寝ている赤ちゃんについ悪戯してしまうみたいに優しく触れてくるのだ。『不機嫌顔』ではなく、まるで小動物を見た時に自然と浮かべるような弛んだ笑顔なのだ(とは言え刹那が小動物を見て頬を緩めたところを見たことがないが)。
寝ている(無抵抗の)俺に何かを重ねているのかもわからないが、もしかしたら何かとてつもなくいいことでもあったのかもしれない。ここまでの上機嫌は久々だ。
それはそれで刹那の可愛いトコロを見れた気がするのだが、今にも起きていることに気づかれたらと思うと気が気じゃない。
「平和ねー」
おかしいッ……!
普段の刹那なら平穏な空気をまるで悪いことであるかのように「暇ね」的な表現を使うはずなのに……!
「シイナのアバター……早く元に戻ればいいのに……」
(え……?)
最近忘れられがちの俺の願いに、そう言ってくれるのは嬉しいが、どういう風の吹き回しだ……? と思わずわずかに目を開けると――
「そしたらきっと……」
刹那は、ぐっと握った拳を見つめて何かを考えている様子だった。
あの拳が殴る用途で使われないことを切に願うぞ、俺の運命を司る神様。
今一瞬目を開けて気づいたが、どうやらここは刹那の部屋みたいだな。椎乃は別の部屋なのだろうか。
「でも……やっぱり最優先は儚かな……」
刹那の真剣な声色に、胸を絞められるような感覚を覚える。
「早く現実に戻らなきゃ」
刹那の声に力がこもる。
同時にコンコンとドアをノックする、軽い木の音が聞こえてきた。
刹那が少し慌てたように息を吐き、立ち上がってドアの方に向かう足音が聞こえた。
続いてドアの開く音。
聞こえる声は……リュウか……?
内容までは聞き取れないが、図体の割りに静かに響くリュウの声だった。
「わかった、先に行ってて。私もすぐ……すぐに行くから」
リュウの気配が遠ざかると、刹那が戻ってきた。
そして立ち止まった足音は、すーはーと深呼吸をしている。
「……よしっ」
何が“よし”なんだ。
と思っていたら――一拍置いた次の一瞬だけ左頬に何かが触れた。
押し当てられたといった感じのそれは小さくて弾力のある柔らかさだったが……、少なくとも指じゃないな。
意を決して再び薄目を開けると、わずかに赤く染まった頬に右手を添えた刹那がまた深呼吸をしていた。その左手は、上下する胸元に当てられている。まるで脈動を確かめようとしているみたいなポーズだ。
「……これでまた頑張れる、かな……」
ポツリとそんな呟きを残した刹那は踵を返してドアから出ていった。
それを待って、俺はようやくベッドから起き上がる。
(何だったのかね……)
思わず左頬に触れてみるが、やっぱり指ではなさそうだった。
(……まあいいか)
手がかりもないし、それより気になるのはリュウが刹那を呼びに来た理由だ。時間を考えれば、たぶん塔攻略に出向くんだろうと予想はつくが。
そんなことを考えつつ、部屋を出ようとして思わず足を止めた。部屋の中の一点に目が止まってしまったからだ。
鏡台の上の、アクセサリースタンドにかかった、細身の剣を模したペンダント。ずっと昔に、刹那がハカナから貰ったものだ。
俺はハカナを思い出してしまうようなものはボックスの奥深くにしまいこんだまま全て壊れてしまったが、刹那は何だかんだハカナのことを姉のように慕っていたから、無理もないのかもしれない。
少しだけ昔のことを思い出して感慨に浸りつつ部屋を出ようとして気がついた。
「っと……インナーのままだったか」
湯冷めしたのか少し肌寒い。
刹那の部屋の鏡台を借りて、【フェンリルテイル】一式を装備し、髪を束ねて三種のアクセサリーを身に付ける。
胸が苦しくならないような微調整などの一連の作業もずいぶん手慣れてきたおかげで、そこまで時間はかからなかった。
鏡に映る自分の姿にも最初ほど違和感は感じなくなってきたし、最近は意識しなくてもつい『私』と言ってしまう回数が増えてきた気もする。気がつくと髪をいじっていることも多い。
(ホントはあまりよくないんだろうな……。こういう感覚も)
シンの言っていたことが頭を過る。VR世界の感覚が現実の脳に与える影響のことだ。
確証はないが、自分が変わっていることに気づいている内はまだ大丈夫なはずだ。
そんなことを考えつつ、俺は刹那の部屋を後にした。




