(17)『ログアウトできないの』
心穏やかな憩いのひととき、その一寸先には何がある。怒り悲しむ少女に、少年はただ困惑する。
「ああああ、あのっ、いくらゲームの中だからってそう言うのはまだ早いと思うんですッ、その、私たちただのクラスメイトですしッ、そそそ、それにアバターが女の子同士ですから、あまり一般的なことではないと思いますし、その、そういう人もいらっしゃるとは思うのですが……あああ、私は何言ってるんでしょうか……でもやっぱり――」
なんでこんなことに……。
クラスメイトの水橋苗が[ネア]だった。
そこまでならまだいいのだが、昼時で人が増えてきた広場では事情を話すわけにもいかず、とりあえず私有地扱いの俺の家まで連れてきたのだが、一度入れたことがあるせいで完全に油断していた。
ネアちゃんは部屋に来るなり突然挙動不審になった。
というかおそらく過度な緊張で混乱してしまったのだろう。俺のことを知ってしまった以上、この部屋は彼女にとって『自分を助けてくれた女性プレイヤーの部屋』ではなく、『クラスメイトの男子の部屋』として再認識――もとい認識が塗り替えられていたのだ。
俺が事情を話している最中にそわそわとしたり、ことあるごとに立ち上がろうとしたりしてまともに話を聞いてるかもわからない彼女がもどかしくなっていたのもあるのだが、彼女がついに立ち上がった時に引き留めようとして強く引っ張りすぎた。
後は容易に想像できるだろう。
足がもつれてバランスを崩し、彼女をベッドに押し倒したような体勢になってしまったのだ。そしてあらぬ誤解を抱かれたまま今に至るのだが、当然すぐさまどいて床に正座までしているにも関わらず彼女は倒れ込んだ体勢のままずっとブツブツ呟き続けている。
「ネアちゃん、混乱してるのはわかるけどお願いだから目を開けて」
ちなみに、あくまでもマナーとして[Freiheit Online]内ではプレイヤー名で呼ぶことにしている。
「――興味がない訳じゃないんですけど、まだまだ子供ですし、心の準備というものが……それに段階があるとよく聞きますし。確かにお礼をするとは言いましたけど、こういうことでは――――え?」
彼女は倒れ込んだ時に思わず目を閉じてしまい、そのせいで誤解を解くまでにかなり無駄な時間を費やしてしまった。
彼女はそろそろと身を起こし、パパッと部屋の隅で丸くなる。その際、慣れない存在であるがゆえに背中の翼を壁にぶつけてしまったのが不憫だ。
「えっと……説明、どこまで聞いてた?」
「その……サーバーのダウンというところまで……」
「最初じゃねえか!」
『木曜日の夕方に管理してるサーバーがダウンして、色々なところに不都合が――』の辺りだろう。
俺の事情説明文の冒頭であり、この直後一回目の立ち上がり未遂。
「ご、ごめんなさっ」
びくびくするネアちゃんに、ハッと我に返る。
「あ、いや。怒ったわけじゃない。えっと、うん。ネアちゃんも混乱してるみたいだし、放課後にしよう。そっちの時間が空いてたらだけど、刹那も呼ぶから。それなら安心だろ?」
コクコクと頷いたネアちゃんは、
『[ネア]はログアウトしました』
初心者とは思えない早業でメニューを操作し、速攻で接続解除していった。
思わず俺が呆けるほどの速さだ。
もしかしたら[FreiheitOnline]は始めたばかりでもVR自体の経験はあるのかもしれない。ゲームは初めてといっていたから、その例はかなり限られてくるだろうが。
俺もログアウトして現実に戻ると、同じく座っていたベンチの隣で水橋さんが黙々とお弁当を食べていた。
俯き加減の頬が若干赤く染まっていること以外はさっきの慌てようは何処へやら、である。ここまで現実と仮想現実を切り替えて考えられるタイプは珍しいが、そういう意味では案外向いているのかもしれない。
水橋さんを観察しつつもそんなことを思っていたが、さすがに気まずくなって俺はベンチから立ち上がった――。
「じゃあ俺は教室に戻るよ」
「あ、ダメですっ」
――途端に制服の裾を引っ張られた。
「は?」
振り返ると、さっきまで彼女が手にしていたピンク色の短い箸と弁当箱は脇に置かれ、身を乗り出してまで俺を止めている。
水橋さんの顔を見ると、頬の赤みを少し増した彼女は顔を逸らした。しかし、手はずっと俺の服の裾を掴んだまま放さない。
「……何で?」
「九条くんには迷惑を掛けちゃいますけど、教室の皆には私が九条くんを呼び出したことバレちゃってますから。今から九条くんだけが教室に戻ると私がフラレたみたいじゃないですかっ」
「いや、別に告白とかそんな話じゃなかったわけだし、そんなこと――」
「でもクラスの人たちはそう思ってるかもですっ」
「うっ……」
朝、ひそひそと話していた声。
少ししか内容は聞き取れていないが、あのシチュエーションなら間違いなくそんな勘違いをしている馬鹿もいるだろう。
水橋さんが言う方の危惧はともかく、今戻ると俺はその連中の相手を一人でしなきゃいけないことになる、かもしれない。
確かにそれは面倒だ。
「でも俺が中々戻らないと、逆に付き合い始めたとかそんなことを言われるだけだと思うんだけど……」
「そっちの方がまだいいですっ」
「いや、どちらにしろよくはないよな!?」
そういうことを言える、ということは水橋さんには好きな人とか付き合っている人とかはいないのだろうが、逆にただでさえ目立っている俺の知名度がさらに上がりかねない。
「俺と付き合ってることにされたらそっちだって嫌だろ。ちょっと特殊な自覚はあるけど、実際はただのゲーム廃人だし」
「九条くんは人気があるので大丈夫ですよ…………男女問わず」
「片方本気で要らねぇ……」
女子からはたまにマスコット扱いだし。身長が百七十センチほどあったのがせめてもの救いで、もっと身長が低かったら本気で女扱いされかねない。
もっと子供の頃から、俺はあまり、というか極端に男っぽくない外見のせいで様々な扱いをされてきた。
概略すら精神的な安寧のため省くが、それ故に男は嫌いで女は苦手な今に至る。
「またこんな扱いか……」
「ホントは私なんかが話しかけていいのかもわからなかったぐらいです」
「普通の対応でお願いします……」
ただでさえ唯一のオアシスだったFO内の[シイナ]があんなことになって凹んでいるのだ。
これ以上に現状が変わると、本気でSAN値0まであと少しである。
再びぽすっとベンチに腰を下ろした水橋さんは箸と弁当箱を手に取り、ひょいぱくと小さいお口にミニトマトを含む。
「水橋さん」
「何ですか?」
「俺、飯とか持ってきてないんだけど」
精神的なものに左右されたのか、あるいは水橋さんのおいしそうな弁当に触発されたのか俺の身体が栄養を欲していた。
水橋さんは俺が手ぶらだったことに今気付いた、というような顔をすると、自分の食べていた弁当に視線を落として、
「あ、私だけ……ごめんなさいっ」
「いや、それは別にいいんだけど……」
「じゃ、じゃあこれを……あ、でももう箸を――」
「いや、水橋さんから貰おうなんて図々しいこと考えてないから。ちょっと購買行ってきてもいいかなと」
「それはダメですっ」
「うん、何となくそれは予想してた」
聞いてはみたものの何となくそんな答えが返ってくるんだろうとは予想済みで、仕方なく一食抜くことにして、ベンチに腰を下ろす。
「九条くん、これをどうぞっ」
と、そこで水橋さんがまだ手をつけていなかった下段にあたる弁当箱を差し出してきた。
内ブタが閉まったままの弁当箱を見た俺は、無言のまま水橋さんが膝に置いている方の弁当箱に目を遣る。その中には彩り豊かなおかずが量控えめで収められており、主食は入っていない。
俺はもう一度差し出された方の弁当箱に視線を戻す。
「これ、開けたら白米だけとかそんなオチだったりしない?」
「開けてみればその発言、後悔することになると思います」
受け取った手のひらサイズの弁当箱を目の高さに持ち上げ、おそるおそるフタに手をかけると、俺はその隙間から中を覗く。
そしてもう一度フタを閉める。
隣に視線を遣ると、水橋さんは何処か挑戦的なものを感じさせる目で、
「言うまでもないってわかりました?」
……水橋さん、案外表向きのキャラが全部じゃないようだ。
事件が起こる日の昼放課は、普段あまり関わりを持っていなかったクラスメイトの女の子と他愛のない現実を過ごしていた。そして、あわよくばこれからこの良くも悪くも素直じゃない面もあるクラスメイトと少しぐらいは仲良くできるか、なんてことまでも考えていたのだ。
その日の夕方までは――。
俺が家に帰ってきて、ちょうど部屋に入った時のこと――――突然、刹那から電話がかかってきたのだ。
「はい、もし――」
「シイナッ、今何処にいるの!?」
刹那の第一声はそれだった。その声は件のアニメ声ではなく、FreiheitOnline内でのボイスで、何故か慌てているように息が荒くなっている。
「待たせたか? 俺も今から入るトコだ」
刹那には昼の時点でネアちゃんの件は伝えてあった。放課後、ちょっとした用事で遅れ気味だったし、もしかしたらそれで怒らせたのかもしれないと手早く用意を始めながらそう言ったのだが――
「絶対に来ちゃダメッ!」
「は? それ、どういう……」
予想外の返答に思わず聞き返す。
しかし、
「わか……ザザ……アウ……ザザ……ザザザザー……対……ザー……」
「刹那?」
何だろう。
今までPODを使っていて、こんな通信障害が起こったことなんて一度もない。やけにノイズが走るそれを一度耳から話し、無意味に振ってみてから窓の近くに移動しカーテンを開ける。
「どうだ?」
返答がないのに気が付くと、音声通信は既に切れていた。
「またサーバーがダウンしたとかじゃないだろうな……。『感覚接続』」
刹那が言った最初の言葉。
それだけでことは足りていたのに、俺はこの時、その言葉を無視して[FreiheitOnline]にログインした。
否――。
『声紋認証。[DeadEndOnline]を起動。アカウント[シイナ]でログインを開始します』
声紋認証の音声ガイドが流れたその瞬間に感じた違和感。その文言に含まれていた明らかにおかしい言葉に首を傾げる間もなく、俺の意識はいつものようにFOフロンティアに降り立った。
「今……デッドエンドオンラインって言ってなかったか……?」
不思議に思いつつも周囲を見回すと、場所は塔の周囲を囲むような円形広場の一画、第一広場。今日の昼頃、ネアちゃんと入った場所だ。
しかし周りの様子が明らかにおかしかった。
キョロキョロと不審に周りを見回す者。
誰かの名前を大声で叫びながら、走り回っている者。
ベンチに突っ伏して動かない者。
ふらふらと歩き回っている者。
誰もかれも挙動不審で、周りにはそんな誰もかれもしかいなかったのだ。
「何かあったのか……?」
いつもならうるさくなるほど活気に満ちているトゥルムが、まるで全体から沈み込んでいるように静まり返っている。
そう思った瞬間、突然バサバサと大きな羽搏き音が聞こえ――――どっずぅぅぅぅぅん!!!
衝撃音が背後に響いた。
驚いて振り返ると、この間見たばかりのモンスター、土偶騎竜が地上に落ちてグズグズに潰れていた。
そして、
「シイナッ!」
その上に乗っていたらしい人影が一拍遅れて飛び下りてきた。
「刹那!?」
それは泣きそうな顔で、息を荒立たせた刹那だった。
その声で周囲にいた数人のプレイヤーが刹那に集中するが、刹那はそんなこともお構いなしに、すたすたと歩み寄ってきて、
「どうしてここにいんのよッ!」
〈*ハイビキニアーマー〉で露出している俺の肩を掴み、額と額がぶつかりそうになる距離まで引き寄せてそう叫んだ。
「来るなって言ったでしょ? 絶対にログインしちゃダメって言ったよね。どうしてここにいんのよッ、どうしてアンタまで今ここにいんのよ! どうしてこっちに来ちゃったのよッ!!!」
こっちの反応には構わず一方的にそう捲し立てた刹那は、涙を浮かべた目でキッと俺を睨んでくる。
「ちょ、ちょっと待てって。どういうコトなんだよ。何があった? なんでそんなに怒ってるんだ!? まず事情を説明してくれッ」
「怒ってなんかないわよ! ――――できないの!」
ビクンッ。
刹那の叫び声に、周りのプレイヤーたちが過剰な反応を示した。
「ちょ、今……。今、なんて……?」
刹那の言葉が聞こえなかったわけじゃない。
信じられなかったのだ。
あまりにも突飛過ぎる言葉が、理解できなかったのだ。
「だからッ……!」
自棄気味に髪を振り乱した刹那が、握った拳で俺の肩に正拳を極めてくる。
八つ当たりのような、理解の遅い俺にキレているような攻撃行動。刹那の暴力には慣れっこだが、欠片も理不尽性のない拳は久しぶりだった。
「ログアウトできないのよッ!」
刹那の叫び声はこの世界を揺るがすほどに思える大音量で、俺にその事実を叩きつけてきた。
Tips:『感覚接続』
FOランチャー起動用の符丁。符丁自体の声紋認証とバイタルサイン照合を併用して個人を識別し、同時にFOのアプリケーションを起動して保有アカウントに自動的にログインする。PODには通常のパスワード入力機能も存在するが、三十二桁もの文字列を要求されるため実際に使用するユーザーは非常に少ない。




